2018年8月16日木曜日

8月12日(日)年間第19主日

1981年に訪日された教皇ヨハネ・パウロ二世は
「平和は単なる願望ではなくて具体的な行動でなければならない」
というメッセージを残されています。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『8月も中旬に入ります。先週、8月の6日と9日は広島と長崎の原爆投下、被爆の記念日でした。終戦から73年という月日が流れています。そして近づく15日は聖母被昇天、教会の祝日になります。この8月15日は日本では終戦記念日にもあたります。その終戦記念日を間近にして今年もテレビでは戦争の悲惨さを伝えるドキュメント番組が放映されていました。少し戦争をテーマにし今日はお話をしたいと思います。

  73年という歳月が流れていますが、73年という月日が流れても戦争にかり出された友を失う。そして終戦を迎え日本に還ってきて、今は高齢者として元気に過ごしている方がたくさんおられます。長生きできた幸せよりも、自分だけが助かったという心の葛藤を抱えるその声に、今なお戦争の悲しみ苦しみに心を痛めておられる方がたくさんおられます。友や仲間の死を想い出すとともに、生きて還ってきた人たちは申し訳ない気持ちで苛ませられて、そんなお話を語る人がいます。命令が絶対であった。従うしかなかった。あの戦争は何だったのだろうか。今、元気に幸せに生きている高齢者の中で戦争を体験した人は、友の死を胸に手を合わせているんだと語っています。
   8月15日、日本ではお盆という習慣でもありますが、皆さんはどんな想いが巡ってくるでしょうか。お盆というと私も小さい時分に、母の弟が戦争で亡くなっています。ですからお盆になるといつも古ぼけた白い小さな写真が飾られて、供え物がそこにありました。私は小さい時分からその人がどんな人なのかあまり理解できないで見ていましたが、大きくなって母の弟であるということを聞かされています。もちろん私は会ったことのない叔父さんにあたりますが、二十歳を少し過ぎただけで戦争で亡くなったということで、母は毎年お盆になるとその写真を飾って供え物をあげていました。皆さんの身内の中で、親類の中で戦争で亡くなった方がおられると思います。

 NHKのBSのスペシャル番組として、「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」というタイトルで放映がありました。夜中の放送でした。私は番組の最初から気づきませんで、途中からでしたがその番組に食い入るように観ていました。インドネシアのお話でした。インドネシアでポルトガルの支配下にあったインドネシアの人たちのお話し。そして支配を続けていたポルトガル人のお話し。そこに日本の兵隊はインドネシアに入って戦争をし、インドネシアをポルトガルの支配から解放したというお話しでした。インドネシアの現地の人たちは、長いことポルトガルの支配下で苦しみを受けていましたので、日本兵が加わってポルトガルと戦って日本が勝つて自分たちが解放されたと、いっとき日本に対する感謝の念がインドネシアにはあったそうです。でも、勝ってそれほど長い時間かからないうちに日本は戦争で負け敗戦国になります。 また、インドネシアの人たちはポルトガルの支配になり恐れました。
 そういうテレビのドキュメンタリーから入って放送されていましたが、その戦地で日本兵との間に生まれ、(今は戦後73年経っていますが)70歳を過ぎた人のお話がずっとドキュメントで放送されていました。現地で日本兵との間に生まれた子供のお話です。敗戦になり日本が負け兵隊が日本に送還されていく。そんな引き揚げた父親を捜す人々が今もいるという、そんな話で番組は進んでいきました。現地で日本人のお父さんの子供として生まれた二人の娘さんがそこにおられます。どちらも70歳を超える年代に入っています。上のお姉さんは敵国日本に良くない感情を抱いています。日本兵はその女性と結ばれて子供を二人産んでいるわけですが、その女性のお母さんは日本兵の手榴弾が家の中に投げ込まれてご主人を失っています。ですから産まれた二人の娘さんにとってはお婆ちゃんにあたるのですが、お婆ちゃんのご主人は日本兵の手榴弾によって殺されている。その後、二人の娘さんのお母さんは再婚して、また子供をもうけることになります。ですからひとつの家族の中で日本人の子供ともう一組の違った血をいただいた子供が生活することになります。お婆ちゃんにとっては、自分の主人を殺した敵国日本の血をひくお孫さんの面倒をみることになりました。その二人の娘さんのうち特にお姉さんの方はお婆ちゃんから常にいじめられた。小さい時からお婆ちゃんに抱かれたことは一度もありません。そういう状況でした。ですから上の娘さんはお父さんの顔はもちろん知りませんが、日本に還ったと聞かされ、お父さんを敵としてサタンにような形として育ってきています。下の娘さんは日本が敗戦となってお父さんが日本に還ってから誕生していますので、そういう事情も見えてきません。お婆ちゃんは上の子よりも下の子の方を可愛がったと思います。ですから姉妹同士でなかなか心をうちとけて話し合える状況ではなかったと言います。でも、60、70歳を超えるようになると二人のうちの一人は、自分がどのように生まれたのか知りたくてしようがない。自分の父はどういう人だったのか。お母さんとどのよういな関係をもって自分たちが産まれたのか。そういうことがとても気になって日本の名前を調べ、日本と連絡のとれる仲介者をとおして家族と出会ったということです。
  そういうお話しが続いて、日本の家族と出会っています。それも番組で放送されていましたが、日本にはお父さんを知る親類はただ一人、90歳を超えるお父さんとは叔母にあたる人が一人だけ残っています。その二人の娘さんは、その人にお父さんのことを話します。お父さんは日本に還ってから新しい家族を持ちましたので、日本の弟も妹もいるとのことでそうした家族とも出会っています。日本にいる叔母さんという90代の人から、お父さんの性格、生き方を伺ったり、また、日本にいる弟にあたる人からお父さんについての話を聞いたりします。特に憎しみだけを持って育ったお姉さんの方は、弟にあたる人から、実はお父さんは日本に還ってから家庭を持っていますが、何度かインドネシアを訪ねています。自分たちには一度も詳しいことを話さない父でしたが、何度か訪ねているのはあなたがたを捜すために訪ねていたのだろうと、そんな話を聞かせています。憎しみだけをお父さんにイメージしていたそのお姉さんは、叔母さんなどの話を聞きながら、お父さんはサタンのような人ではなかったことを少しずつ感じます。そして、お父さんの心のうちを感じながら、少しずつ心のうちを溶かされていきます。憎しみが少しずつ癒されていきます。自分はまったく知らないでいた。お婆ちゃんからの憎しみの言葉だけを聞いて、お父さんを憎み続けた。サタンのように思い続けていた。でも、そうでもなかった。すっかり癒されたわけではありませんが、お父さんが何度も自分たちを捜してインドネシアを訪れていたことを知って、少しずつ心が解きほぐされていくようなお話しになっています。そして二人の姉妹は少しずつ自分たちの絆も打ち解けあって、しっかりと話し合う様子がテレビで放映されています。
 こんな話が今もあるということ。今も父親を捜して日本を訪れる人々がいるということ。わたしたちはどんどん戦争のそうした悲惨さを忘れてしまっていますが、こうした終戦記念日が近づく放送番組を観ながら、今なお戦争は続いている、平和は遠いものであることを実感させられています。日本に平和が戻った。日本の国は戦後、平和になったと良く言われますが、パンだけでは満たされない心の平和を求める人がまだまだたくさんいるということを思いしらされています。

 平和は単なる願望ではなくて具体的な行動でなければならないと、日本を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世はメッセージを出しています。平和は単なる願いであってはならない。具体的な行動にならなければならない。平和は実現しない。そんなお話しをされました。その教皇様のメッセージが今私たちが取り組んでいる「平和旬間」というものになっています。私たちは平和旬間を過ごしている中で、切実な平和の思い、祈りがどれだけできているかというと、私たちはまだまだ甘い生き方をしているのではないかと考えてしまいます。
 今日のみ言葉の中では、イエスとユダヤ人の論争が続いています。でも、旧約のマンナよりもはるかに勝るパンが示されています。イエス自らがパンとなり、裂かれて命のパンとなってくださる。私たちキリスト教の信仰の中心は、十字架につけられたそのキリストを信じることだと言われます。そして、今日のみ言葉の中で「つぶやき合うのはやめなさい。…信じる者は永遠の命を得ている。」と話しています。今日もまた、私たちはミサの中でその永遠の命のパンをいただこうとしています。キリストが、彼を信じその御教えを実践する人に永遠の命を与えるためにこの世に来られたと話しておられます。パンをいただくだけではなく、教えを実践する行動に移すということが付け加えられていることを忘れてはならないと思います。

 ミサをとおして生けるパンをいただけることに感謝しながら、今日もまた永遠の命のパンを私たちはいただきます。今日、ミサの中で、ミサをとおして私たちの平和とはどんな平和なのか、私たちはどんな平和を願っているのか、どんな平和を実現させようとしているのか、そのことも心にとめながら考えましょう。そして、具体的に祈りを捧げたいと思います。平和のために祈るとともに、今日もまた感謝のうちにご聖体に近づきたいと思います。』

2018年8月15日水曜日

聖母の被昇天(祭日)

平和の元后 聖マリアを祝うこの日、日本では73回目の終戦記念日を迎えました。
戦争で犠牲になられた人々のためにも、心を合わせて祈りましょう。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『聖母被昇天の祭日を迎えています。子供たちの夏休みの最中、お盆を迎えて、両親や祖父母の実家に戻られて過ごされている方も多いかと思います。久しぶりに家族と一緒に過ごし、邂逅に浸りながら今日、教会に来られた方もおられるのではないでしょうか。お盆には墓参りの習慣もあるので、先祖の墓参りに帰省された方もおられるかもしれません。今日はいつになくお顔をよく存じない人も来られているように思います。家族と共にこの被昇天の教会に来られていると思います。

教会の歴史を見ると、5世紀から8月15日は聖母を祝ってきたと記録があります。実に1500年以上にも渡って祝ってきたということです。今日、全世界の教会は聖母の被昇天を祝っています。私たち信者にとっては、何よりも親しい存在である神の母聖マリアです。その聖マリアは私たちにとっても教会にとっても特別な存在であります。なぜ特別な存在なのか?聖母被昇天の説明が教会でなされます。
聖母マリアは世の終わりを待つことなく、この世の命が終わってからすぐに御子キリストと同じ復活され、霊魂と身体も共に神の国で御子キリストの傍にキリストの勝利に与っておられる。教会はこのように聖母被昇天を説明します。それ故にマリアは特別な存在であり、私たちはその聖母マリアを祝います。ミサの今日の集会祈願の祈りに「全能永遠の神よ、あなたは御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。」とあります。この祈りの中で、私たちに聖母マリアの神秘を表し、聖母マリアは真に神の母であり、贖い主の母として認められ讃えられます。そして私たちにマリアの被昇天の姿を思い起こさせています。

聖母マリアは、平和の栄光とも讃えられる存在です。8月15日は私たちの国では特別な日であります。一般的なカレンダーには「終戦記念日」「全国戦没者記念日」と記載されています。テレビやラジオではその言葉が繰り返されています。そしてその言葉を耳にするたびに私は平和と戦争犠牲者のことを思い、そして考えさせられています。8月15日の今日、私たちは戦争でどのくらいの人たちが亡くなれたかを知っているでしょうか。改めて私自身考えさせられています。多くの人たちは今は、終戦記念日をあまり深く考えないで迎えてしまっているのかとそんな気もします。
昨日の夕刊の記事を読み、改めて平和への思い、平和と命の尊さについて考えなければならないと思いました。国のために戦うのが立派な日本人であると教育されて辛い体験を振り返る人がいます。戦後73年が過ぎ、そのようなことを思い起こす人がどんどん少なくなってきています。間違った教育を受けた私たちは、愚かだったという人もおります。
昨日の夕刊の記事に胸が熱くなる記事がありました。ご覧になった方もおられと思いますが、少しそのことに触れたいと思います。その記事のタイトルは、「ビルマの手紙」というものでした。結婚して半年が過ぎた若い二人は、子供の誕生を待つ日々をおくっていたといいます。教師であった夫は、その半年後に旧陸軍に徴収されビルマ、現在のミャンマーに向かったそうです。結婚後半年しか一緒に過ごすことができず、戦地に送られてしまった夫。夫は戦地から妻へ手紙を送り続けたそうです。実にその数300通を超えていた、という記事でした。子供が生まれ、そして妻から生まれたばかりの赤ちゃんの足形が夫のもとに届きます。その子は女の子であったそうですが、まだ見ぬ娘の朱色の足形に触れながら涙し、夫は唄を詠まれています。
「あざやけき 朱の足型は小さけれど 目にしみ吾を 泣かしまんとす」
この父親は、わが子の顔を見ることなくして現地で亡くなられたそうです。妻のもとに届いた絶筆の最後の言葉は、「元気であれ」という一言で結ばれていたそうです。
日本だけで戦争の犠牲者は、310万人を超えるといいます。この数字の中には、記録されない犠牲者もおられたのではないかと考えてしまいます。今日、その310万人の戦没者追悼式が行われようとしています。新聞の記事の中にこのような言葉もありました。当時軍の参謀部では、兵士を虫けらのように「何千人殺せば何処どこが取れる」、つまり日本の領地が獲得できると、囁かれていたことが記されていました。なんと残忍な言葉でしょうか。人の命の尊さ、平和とは無縁の現実がそこにあります。それが戦争という現実だと思います。

平和の元后、聖マリアも最愛のわが子の死を前に悲しみ苦しみがありました。
誰もが願う平和ですが、私たちの今の現実の中でも戦争や紛争が繰り返され、弱い人々がその命を失っています。
御子であるキリストが受難の道を歩み、十字架につけられて死を前にしたとき、十字架の前に立った母マリアは、母として我が子であるキリストの苦しみと心を一つにして自らを結び付けていたといわれます。十字架の上で死なんとしているキリストは、自らの言葉で「婦人よこれがあなたの子です」と、マリアは、母として弟子たちに与えられ、私たちの母ともなられたのです。
先ほど紹介した我が子を見ずして亡くなった父親、その悲しみ苦しみ、妻を思いながら、そして生まれてくる我が子の姿を想像しながら、どんなに苦しみの中で命を捧げたか。

私たちが願う平和への祈りはどんな祈りになっているでしょうか。
今日は本当に心から平和を考え、そして平和のために私たちが何をなすべきかを考える日にしたいと思います。
聖母被昇天の祭日を迎え、旅路の終わりにすべての聖人たちの交わりのうちに待っているのは、神の母であり私たちの母でもあるマリアではないでしょうか。
「幸いなものは神の言葉を聞き、それを守る人々である」という聖書の言葉があります。この世においても後の世においても、悲しいとき苦しいときにも、聖母マリアの御許に走り寄ってその取次ぎを祈りたいと思います。

聖母はいつもイエスの御前において、私たちの祈りを取成し恵みと慰めを与えてくださる方です。
聖母被昇天の祭日は、日本において73回目の終戦記念日となりました。平和旬間も今日で終わろうとしていますが、今日は改めて戦争で犠牲になった人々のためにも、心を合わせて祈りを捧げていきたいと思います。』

2018年8月7日火曜日

年間第18主日

イエスは空腹を満たされた人々に対し、「永遠の命」について父なる神に心を向けるよう諭しました。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日の福音は、先週のパンの奇跡に引き続くものです。「翌日」という表現が一番最初に読まれています。パンの奇跡の翌日のこと。先週、皆さんが手にとっていた「聖書と典礼」の表紙はどんな絵があったかご存知でしたか。今日の「聖書と典礼」では『パンと魚を弟子に与えるキリスト』という絵が表紙になっています。この表紙は、まさに先週も同じように使われてもおかしくない内容です。先週はパンと魚のモザイクの絵が表紙になっていました。今日もパンを中心にしたテーマで、み言葉が私たちに語られていますが、少し奥深い意味のあるパンのお話しになってきます。先週までのパンの奇跡の中での話しは、現実的なパンをイメージするかたちで語られていましたが、今日の聖書の中に出て来るパンは、「永遠の命のパンである。」という表現が入ってきます。ですから、より霊的な話しに入ってきているということが言えるかもしれません。

  ちょっと横みちに入りますが、今日の入祭唱が「聖書と典礼」の2ページに入っていますが、私たちのミサの中ではこの入祭は歌が歌われるので、この入祭唱とは違う典礼聖歌が選ばれ歌われ始めました。聖書の言葉でいうと、この入祭唱の言葉は「神よ、急いで助けに来てください。あなたはわたしの支え、わたしの救い。」。こういう言葉でミサのスタートが切られるのです。 わたしはこの入祭唱の言葉を少し心に留めております。「神よ、急いで助けに来てください。」この言葉はわたしたち聖職者=司祭や修道者が毎日唱える教会の祈り、むかしは良く「聖務日課」と言われていました。現在の教会の祈りの一番最初に唱える祈りになっています。「神よ、急いで助けに来てください。」という祈りは、神よわたしを力づけ急いで助けにきてくださいという祈りの言葉で、聖務日課は毎日唱えられています。急いで助けに来てください。何故そんなにせくのかなと考えてしまいます。急いで助けに来てください、皆さんは祈りの中でそういう祈りをしたことがあるでしょうか。神様、どうか急いで助けにきてきださい。助けてください、そんな祈りの言葉は、あまりないような気がするんです。聖務日課では、毎日毎日、一番最初の出だしの祈りの言葉が「急いで助けに来てください。」という言葉になっている。わたしは改めて、何故こんな急いでという言葉がついて、祈り始めているのだろうか、そんな事を想いめぐらしていました。
 現実に惑わされて心を騒がせているわたしたちにとって、一番大切にしなければならないこと、それは心が神から離れないようにすること、そのことではないのだろか。日常生活の中で、心が神から離れてしまって、祈りもそういうふうになってはいけないよと。何に向かうのか。神に向かう。神に深く繋がることの大切さを毎日毎日、最初のこの祈りの言葉で気付かされているのだろうか。そんなことを今回、改めて感じていました。そういう中でわたしたちの心は、どこに一番中心が置かれているのだろうか。現実の生活だろうか。目上の世界だろうか。そんなことも考えながら、今日のみ言葉を味わったり黙想したりしています。

 驚くべき五千人を超える人のためにパンの奇跡を行い、群衆のひとり一人に、欲しいだけ満足するだけ、パンを与えた先週の奇跡のお話し。残ったパン屑を集めると12の篭になったというかたちで、先週わたしたちはパンの奇跡に驚いていました。12の篭に残ったパンがあるわけですが、ある人は気になってしようがないかもしれません。残ったパンはどうなったんだろう。だれが食べているのだろう。12あるのなら弟子たちが一人ひとり貰ったのだろうか。12の篭、ひとりずついただいたのだろうか。そんなことのほうがとても関心があって、気になって、それがわたしたちかもしれません。やはり現実のこと。そんなことに心が向かうのがわたしたち。もし皆さんが残ったパンを想像して黙想して、実はこういうふうに本当はなっているんだ。もし素晴らしい思いつきがあったなら、裏話があったなら是非聞かせて欲しいなと思います。聖書には何も書かれていないので。12の篭のこと、皆さん一人ひとり考えてみてください。素晴らしい黙想で、素晴らしいお話しが出来上がるかもしれません。そんなことも考えています。

 さて、病気の人を癒すというイエスの力は、誰もがそれは人間の業ではない。人間の力では出来ないと驚きました。ここに神の業がある、神の力があるんだとイエスを見ていました。でもパンの奇跡はそれとは少し違って、少し当惑させる。今ちょっと話したように、12の篭まで残るほど、有り余るほど何で増えていったんだ。どのように増えたのか、そんなことがとっても気になります。でも、聖書の中で神の恵みが語られるとき、皆さんは気付いていたでしょうか。神様の愛はちっぽけなものではない。神様の恵みは限られたものではない。いつも溢れるほどの恵みが、神からわたしたちに贈られているということ。気付いたでしょうか。気付いているでしょうか。それに対して人間であるわたしたちが、もし恵みを人に分け与えるとしたら、どんなかたちで分け与えているでしょうか。わたしたちなら、その恵みを分かち合う時でさえも、どこかで計算して一人ひとりこれくらいで良いでしょうと、計算して恵みを分かち合っているのではないでしょうか。多すぎないように、余らないように、適当に適量に分配するのが、私たち人間のなせることではないでしょうか。でも神様の恵み、神様の愛と慈しみもそうですが、適量だけ人に与えるということではなくて、いつも溢れるほど、手からこぼれ落ちるほど、その恵みや愛をわたしたちに注いでくださっているのが神様の愛であり、神様の恵みです。ですから、そのことを考えながら、パンの奇跡を味わうとすれば有り余って当然。たとえみんなが満腹したとしても、もうすこしあっても良かったかなと言う人に、十分に分け与えるためには、溢れるほどの余るほどの恵みが神様からもたらされていたというお話しではなかったでしょうか。その神様の恵みを感じることが出来たならば、それこそ言葉に表さないほどの心の奥深くから喜びや感謝の気持ちが溢れてくるはず。まさに、わたしたちの感謝の気持ちも溢れるほどになっているはず。感謝しても感謝しきれない言葉に、そのようになってくるのではないでしょうか。
 群衆は満腹したのち、もう満たされていましたから、奇跡の前では何も尋ねることはしません。何も言いませんでした。ただただ満足していた。そして彼らはその満足していた気持ちの中で、イエスから離れたくない。イエスの傍にずっといたい。そんな気持ちの方が強くなっていたのではないかとわたしは考えます。でも、そこにいるイエスはそうした人々を見つめながら彼らの苦しみを知ります。そして憐れみをかみしめます。一人ひとりの心が満腹したときに、どんなにこれまで大変な状態であったかをイエスは見つめています。そういう背景があった先週のパンの奇跡のお話し。

 今日のみ言葉では、追いかけてくる群衆とイエスとの問答が示されています。でもここにおいても、人々の思いとイエスの目的との距離がはっきりと指摘されています。群衆は、お腹を満たされた人々は今、自分たちが信じられるようなしるしを求め続けています。お腹を満たすという現世のことばかり目を向けてしまっています。ですからイエスから離れたくない。イエスの傍にいればきっとパンは少なくても満腹出来るだけいただける。そんな思いが強かったのかもしれません。
 でもイエスはそうした人々に声をかけています。「永遠の命」について父なる神に心を向けなさい。彼らはそのときは素直にそのイエスの言葉を受けとめ、神の業を行うためにわたしたちはどうしたら良いのでしょうか。自分たちからは答えは見いだせませんでした。イエスに尋ねています。そしてイエスが答えたのは、神がお遣わしになった方を信じなさい。信じること、それがまず大切である。残念ながら彼らには、イエスが先祖の偉大な指導者モーセに重なって見えるだけでした。モーセという人は今日の第一朗読でも話されていますが、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から救って旅に連れ出した指導者です。そして、旅の最中に苦しんでいたとき人々はお腹が空いた。食べるものがない。奴隷の時の方がまだましだったと不平不満を漏らしたときに、「マナ」という天からの食べ物が落ちてきた。そういう旧約聖書の中で語られた信仰の話しを伝承として、イエスの時代に生きる人々も良く心に留めていることでした。ですからイエスがなさったパンの奇跡はまさに、モーセのあのときとわたしたちが先祖から聞かされているあの奇跡と同じ事。モーセとイエスはただ重なってくるだけでした。そこでイエスは話します。それはモーセが与えたのではなく、わたしの父である神が与えたのだ。現実的にモーセにのみ心が動いている人々に対して父なる神の業が今、父なる神の心に向けさせます。それがイエスのパンであったということも話されました。命を与えるパンである。そう聞くならば、わたしたちにそれをいつでもくださいとすぐさま答えてしまいます。でもイエスは続けます。「わたしが命のパンである。私のもとに来る者はけっして飢えることがなく、わたしを信じる者はけっして渇くことがない。」現実のことに父なる神に心を向けさせ、神を信じること。神が遣わされた御子を信じること。その神の御子はひとつであるということも含めて話そうとしています。

 わたしたちはこのイエスの言葉をどう受けとめるでしょうか。今日もまたわたしたちはミサをとおしてパンをいただきます。イエスをいただきます。イエスとひとつになります。わたしを信じなさいという言葉は、わたしたちの心の奥深く留まっているでしょうか。何に執着するよりもまず心を神に向けなさいというのが、今日のみ言葉の中心テーマであるかのように感じています。聖体とパンとブドウ酒の中に神が現存する。福音の中に語られる奇跡を疑うならば、聖体に対する信仰に対しても懐疑的なものになってくるかもしれません。
 もう一度わたしたちは素直な心で神に向かいたいと思います。謙遜な心がわたしたちに求められているのではないのでしょうか。わたしたちの信仰の中心に聖体の信仰があることをもう一度認識したいと思います。そして今日もまた奉納をとおして、わたしたち一人ひとり小さなパンを奉納しますが、そのパンとブドウ酒が永遠の命を与えるイエス・キリストの秘跡となることを深く信じてイエスに近づきたいと思います。
 聖体を大切に、聖体によってさらに深く強く主と結ばれることが出来るように、今日もまた心を一つにしてミサをとおして祈りたいと思います。』

2018年7月29日日曜日

年間第17主日「パンの奇跡」

今日の福音では「パンの奇跡」が語られました。
イエスは弱い立場にある人々に対して飢えを満たす奇跡をもって神のいつくしみを示されました。


今日の後藤神父様のお説教の概要をご紹介します。

『パンの奇跡の物語は、四つの福音いずれにも出ているものです。それは聖書が書かれた時代に生きる人々にとって大きな慰めでもあり、人々はイエスの神の業をみて確信し、信仰の原点にもなったからではないでしょうか?
 飼い主のいない羊のように弱い立場にある人々は、大きな声を上げることができません。癒してもらおう、飢えを満たしてもらおうとイエスにすがりつくのです。この時代、貧しい生活を送らざるを得なかった時代に生きる人々にとっては、愛されること、愛する人々とともにいられることは生きる上で何よりの力になったはずです。イエスはそのよううな人々に対し神について語り、人々の飢えを満たす奇跡をもって、神のいつくしみを示し、喜びを分かち合い、神の存在を知らしめました。
 
 しかし、ユダヤの人々はイエスの行ったこのしるしを見て、「まさにこの方こそ世に来られるはずの預言者である」と、ローマの支配から解放してくれる自分たちの指導者、王に担ぎ上げようとますます熱心にイエスを迎え入れました。
 人々の目には”地上の王”としかイエスを見ることができませんでした。ですから、「永遠のいのちのパン」は、飢えを満たすパンでしかありませんでした。
 イエスにとっての奇跡はしるしに過ぎないのですが、ここでも、まだイエスの思いと時は満たされません。それでイエスは、ただひとり人里離れた山に退かれました。

”よき牧者”キリストにとって、迷える子羊に豊かな牧草を与えますが、ご自分のからだを食べ物として与えるにはまだ少し時間が必要であったようです。
 私たちはミサをとおして、永遠のいのちのパンをいただくことができますが、聖体をとおしてイエスとの出会いの道がさらに開かれるよう祈りましょう。』

2018年7月25日水曜日

年間第16主日

宣教から成功裏のうちに帰ってきた弟子達の様子をみたイエスは、過信に陥らないよう自省する機会を弟子達に与えました。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日の福音は先週に続いて、宣教のことが語られているようです。イエスは宣教に弟子たちを遣わすにあたって、貧しくあるべきだと先週話されています。杖以外はパンも下着も持つことのないように、そんな宣教への送り出し。弟子たちの振る舞いがどうあるべきかということを諭されたようです。そして、二人ずつ組にして宣教に遣わされた。二人ずつというお話しを佐藤神父さんは興味深く話され、神学校時代の思い出話しも語られていましたが。私たちは一人でやれば自由に、自分の思い通りに出来るのではないだろうか。そんなことを考えてしまう人もいるかもしれません。でも、旧約聖書を見ると、そうは教えていないようです。一人ではなく、二人ないし三人というのが、ずっと信仰の中で伝えられてきたようです。また、裁判のような場で証言が採用されるためには、一人の証言ではなく、二人以上の証言が必要であることも聖書は触れています。
  現代の教会法の中でもそういう内容が引き続いて決められています。皆さんは結婚式に参列された方がいると思いますが、教会の結婚式では必ず二人の証人が立ち会うことと定められています。ですから、教会での結婚式では新郎新婦の傍に二人の証人がおられる。そういう流れで結婚式が行われます。これもきっと昔から聖書と深い繋がりがあると思っています。
 旧約の聖書の中ではいくつかそう言う箇所が示されているようです。ひとつ、そういう内容を紹介しましょう。「コヘレトの書」の中にそれは書かれています。「コヘレトの書」は以前は「伝道の書」と言われていました。その中の4章9~12節で「ひとりよりもふたりの方が良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが ひとりでどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」こんな内容でコヘレト書に記されています。ひとりよりもふたりで活動するほうの利点について語ります。ですから、私たちが信仰者としてひとりで行動することなく、この教会に集められているのは私たちの弱さを知る、私たちはそれぞれ信仰者としての使命を果たすことが出来るようにと、神様が出してくださる「恵み」と言えるかもしれません。一人ではなく、二人で。二人ではなく三人で。そこに主もおられるという言葉が、聖書で語られているようです。

 弟子たちはいぜれにせよ、心強い仲間とともに宣教して、神の国について人々に話し聞かせる福音伝道をしてきました。その働きに手応えを感じ、弟子たちは喜びと感謝に満ちて帰ってきたのではないでしょうか。福音を聞いて感動して、そのまま弟子たちに付いてイエスのところまで来た人々も、多かったに違いありません。今日の聖書の中でも、弟子たちは出入りする人が多くて、食事をする暇もなかった。そんな記述があります。弟子たちも伝道旅行が成功裡に終わって、きっとそのまま弟子たちといっしょにイエスのもとに駆けつけた人も多かった。さらに、イエスの元に遠く近くから人々が集まってきたことも、聖書には書かれています。
 私はこの聖書の後半の前半に入って、弟子たちに話すイエスの言葉が一番注目されて黙想しています。弟子たちは感動して、その成功裡に終わった自分たちの仕事を省みながら、イエスに詳しく報告していたと思います。そういう弟子たちの情熱的な報告を聞きながら、イエスは弟子たちに奨めます。しばらく休むが良い。弟子たちの経験はその報告を聞くにつけ、自分たちの成功に有頂天となり、み言葉の力は凄いものだと喜びと感謝で興奮し、心が高揚化し続けていました。きっとイエスは弟子たちのそれを見て、言葉を聞いて、何か感じたようです。このようなときこそ、一番危険である。そんなことをきっと弟子たちの姿をとおして知ったのではないでしょうか。成功に終わったとしても、その過信はサタンが心の中に入ってくる期待ともなり、その危険から逃れる道はただひとつ。それは人を避け、寂しいところへ行って、ひとりで神に向かって自分の心を見つめることだけです。人里離れたところに行ってしばらく休みなさい。自分を振り返りなさい。その働きは確かに弟子たちの努力もあったでしょう。汗を流して福音を説いて人々に受け入れられた時、弟子たちは本当に喜び感謝の気持ちで満たされたと思います。でも、それは弟子たちの力であったでしょうか。神の恵みがそこに働いたということでしょうか。それを取り違えて自分たちの力である。弟子たちの過信にイエスが危険を感じたひとつの出来ごとだったのです。自分自身の力ではないことに気付かなければならない。弟子たちはそのことを意識していたでしょうか。自分自身を見つめることは次の新しい歩み、戦いの準備にもなるはずでした。私たちもそういう危険にさらされていることがあるような気がします。努力が報われ成功するならば誰もが喜びに満たされます。そのことを周りの人に理解してもらいたい、知ってもらうことも自分たちの喜びにもなります。それがある意味、自然かもしれません。
 でも私たちはそういう経験を思い出すときに、過信は禁物であると心の中で思い浮かべています。自信に満ち溢れ、自分の力でそれをなし得たことであると決めつけるならば、大きな間違いを犯すかもしれません。イエスは弟子たち一人ひとりに、このような小さな体験を積み重ねながら教え導いていきます。宣教者として、神のみ言葉をのべ伝える弟子として、何が一番大切なのかを教えようとしています。

  金曜日(20日)、カルチャーナイトで教会に多くの方が訪れていました。教会の皆さんの奉仕の姿の中にも、訪れる人のために「おもてなし」の心が溢れていたように思います。始まる前に、そういうお話しを皆で確認しました。少しでも訪れる人におもてなしの心が伝わって教会でのひとときが実りあるものになりますように。そんな祈りをしながらカルチャーナイトは始まっていきました。それは私たちが出来るひとつの福音宣教でもあったと私は思っています。きっと教会での訪れと出会いによって、皆さんがどこかで育っていくのではないかと私は信じています。
  プログラムが終わって一人の青年が私のところにこられました。きっと、聖堂の案内を聴いた後だと思います。「安息日、主の日」の説明を受けたらしく「日曜は休むということなんですね。」と、私に話されていました。きっと、その青年は「安息日」という言葉を、教会や聖書でどのように話されているか、初めて聞いたのではないかと思います。感心するように私にそのことを話してきました。休むことの大切さに気付かされたかのような話しでした。そういう出会いと経験が教会の中でひとつあったことを嬉しく感じました。
  皆さんは一人ひとり出会いの時をもって、それぞれに手応えを感じたり、喜びを感じたりしたと思います。来年はさらに、信徒として一人でも多くの人がこの伝道の喜び、出会いの喜びを体験することを願っています。

  もし、飼い主のいない羊がいるとすれば、私たちの手でイエスのもとへ導くことが出来ます。今日の福音をとおしてそのように考えています。私たちの周りには飼い主の見失った羊もおられるかと思います。そういう人が教会に足を運んで何かを見出したい。飼い主である神、イエスと出会ったりすることが出来るのならば、私たちの喜びであると思います。日々の生活をとおして、私たちが小さな福音の勉強が出来ると思います。いつも言います。笑顔のひとつに、挨拶の一言も、福音宣教に繋がるのではないでしょうかと話したことがあります。人の心に慈しみや憐れみや神の恵みが届く瞬間が私たちから伝えられるならば、それは福音の喜びに繋がっていくのだと思います。
  新しい一日をまた始めようとしています。私たちの働きが主イエスへと人々を導くことが出来るように。今日も心から祈り、主の祭壇に近づくようにいたしましょう。』

2018年7月21日土曜日

7月20日(金)カルチャーナイト2018に参加しました

今年もカルチャーナイトに参加し、ミサ聖祭のあと、オルガン演奏、聖堂内の聖画・装飾の紹介、DVD鑑賞会、教会活動の紹介などを行いました。
会場は、聖堂、カテドラルホール、そしてお隣のカトリックセンター1Fでも喫茶コーナーを開設しました。


ミサ聖祭は、18:30より森田神父様と後藤神父様の共同司式により行われました。


ミサの後、パイプオルガンのミニ演奏会を行いました。


聖堂内の聖画・装飾の紹介では、大勢の方々がスタッフの説明に熱心に耳を傾けられておりました。



隣のカトリックセンター会場では、教会活動を紹介しました。



2018年7月15日日曜日

年間第15主日

一人だと不安かもしれませんが、
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」
とイエスは励ましてくださいます。

今日のミサの主司式は佐藤神父様でした。


佐藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日のマルコによる福音の箇所は、マタイによる福音にも、ルカによる福音にも書かれています。しかし、マルコによる福音の中では、杖を一本持って行ってもよい、と書かれています。他の福音書では、杖も持たず、と書かれているので、そういう意味では少し優しいイエス様が描かれているのではないかと感じます。また、他の福音書では「下着を持って行ってはならない」と書かれていますが、ここでは、「2枚着てはならない」とあり、持って行ってもよいと受け取ることもできます。このようにマルコによる福音書は、少し私たちにとって、優しい感じがするかもしれません。

先週の福音の続きですけれども、先週の福音の最後では、イエスはガリラヤの村を巡り歩いて宣教していたと、締めくくられていました。その続きの箇所です。今日の福音では弟子たちがイエスによって派遣されるという場面になっています。
ずっとイエスの傍にいてイエスの言葉、そして行いを見てきたこの弟子たちを、イエスは人々の中に派遣させることにします。そして、その弟子たちを二人一組にして遣わされるということをなさいます。二人ずつというのは、当然一人で宣教するよりもずっと心強いしお互いに協力して歩んでいくことができることを意味しています。
マタイによる福音の中でイエスは、「二人あるいは三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいる」と言われています。二人一組で遣わされるとき、イエスご自身もその二人の中に共におられるのだということを意味しているのだと思います。だから、二人で出かけて行って安心して宣教しなさい、ということも意味しているのではないかと思います。
神学校で学んでいたころ、二人で組になって何かをするということが非常に多かったと思います。典礼の当番に当たった時も侍者として二人で協力して祭壇の準備をしたり、先唱係と香部屋係の当番になった時には、香部屋係が蝋燭を点けると同時に、先唱係が聖堂の灯りを点けるということをしていました。また、先唱係がミサの初めに案内をしたりする時には、香部屋係が聖堂の扉を閉めたりするという、そのような協力体制が出来ていました。
神学校の生活の場でも、二人一組というのは行われています。それを思い出すのは土曜日の昼食の準備の時のことです。土曜日の昼食はいつもカレーライスでした。カレーの準備も二人一組で行っていました。皿とスプーンを出して、炊飯器のスイッチを入れる人と、カレーを温める人に役割を分けていました。後片付けも二人一組でした。一人が皿とスプーンを片付け、もう一人がカレーの鍋を洗うということをしていました。先にお話しした典礼の当番もカレーの当番も、どちらも一人でやろうとすると非常に大変ですけれども、二人ならそれほど苦にはならずに楽にできます。これは非常に不思議なことだなと思います。
そして、私の大先輩の神父様が神学生の頃の話を聞いたことがありますけれど、散歩に行くにも二人一組で行かなければならなかったそうです。今はないですけれどそのような決まりがあったそうです。二人で散歩をする中で、お互いの中にイエスがおられる、聖霊がおられるということを感じるように、そういう意味があったのではないかと思います。中には、二人で散歩という組み合わせの中では、あまり気の合わない人もいたかもしれず、そういう時には気が重かったということも聞いています。神学生同士だから何とかうまくやっていけるというものでもありません。皆さんと同じように相手を苦手に感じたり、いやな奴だなあと思ったりすることも結構あります。ただ、二人一組で散歩したりする時に、いやな奴だなあと思ったにしても、実際に話をしてみると実はいい人だったとか、実は気が合う奴だったとか、ということもあります。人を誤解していたということも非常に多くあります。そういう新たな発見を期待して、二人一組で行動させる、遣わすということをしているのかもしれません。
そして神学生は司祭になって、司牧者として教会へ派遣されるわけですが、その中で多くの人々と接し、物おじせずに話が出来るとか、いやだなあと思う人がいても、しっかり話をして付き合っていくことができると、そういう訓練であったというふうにも思います。
今日の福音に戻りますが、弟子たちの派遣にあたって、いろいろな指示が下されています。食べ物を持たず、袋を持たず、金も持たず、下着も一枚だけ着るようにと、言われています。
誰の世話にならないように全て自分で準備しておくということではなく、人との出会いの中で、宿のことでも食べ物のことでも人の世話になるようにしなさいということだと思います。必ず迎え入れる人がいるのだというふうにイエスは言っているのだと思います。
自分のことは自分でしなさいと、この世の中ではよく言われることですけれど、自分の力ではどうしようもないということもあります。今日の福音では、神の呼びかけに応えていこうとする時に、神が全てを配慮してくださるという信頼と、人との出会いに対して、恐れずに関わるということを大切にしていくということが述べられているというように思います。

今日私たちは、イエスが示された神の国をこの世に実現するために呼びかけられています。一人では不安かもしれませんが、二人あるいは三人であれば、心強く歩んでいけると思います。互いに助け合い、そして出来ることを分担していけば、神の国を大胆に伝えていくことが出来るのはないでしょうか。
弟子たちはイエスに呼ばれて、イエスが行ってきたことをイエスと同じように実践しました。イエスをとおしてここに呼ばれた私たちも弟子たちのように、二人三人で出かけて行って出会う人々に言葉だけではなく行いをもって、イエス・キリストを証しすることが出来るわけです。
このミサの中で、私たちもその勇気と希望を持つことができるように、祈り求めてまいりましょう。』

2018年7月10日火曜日

7月8日 年間第14主日

 私たちはいつの時代であっても神に心を向けながら、思い上がったり、時には強欲な心を捨てきれません。
この日の集会祈願を心に留めましょう。
「ここに集う私たちがあなたの言葉を深く受けとめ、心からあなたを賛美することができますように」


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日の福音です。そのときイエスは故郷にお帰りになった。イエスの故郷でのお話しが語られています。この最初の1行を読んで、私も今日、50年ぶりか50数年ぶりで故郷、羽幌町に帰ります。今日午後から、同窓会があるのです。最初の言葉が私と同じだと読んでいました。 今日の集会祈願を味わいます。私は良く集会祈願を心に留めて味わうのです。どんな祈りの言葉だったか、少し分かち合います。「ここに集う私たちがあなたの言葉を深く受けとめ、心からあなたを賛美することができますように。」ミサの最初の祈りの祈願の言葉です。「心からあなたを賛美することができますように。」今日、ミサの中で本当に心から神を賛美することが出来るように祈りたいと思いますが、私たちはいつの時代であっても神に心を向けながら、自分中心の傾きを抑えることが出来ず、思い上がったり、神に従うよりも、時には強欲な心を捨てきれないまま、神様のほうにまた、自分中心の生活の方へと、行ったり来たりしているような気がします。
 今日の第二朗読のコリントのみ言葉の中にも、弱さの中で思い上がることのないようにと  私たちを導いてくださるみ言葉がみられます。思い上がる心。どうして、なぜ、私たちの心の中から湧き上がるものなのでしょうか。きっと誰もが体験している、経験していることだと思います。自分の思い上がり、身勝手さ。それに気付くと少し恥ずかしくもあり、反省もありますが、日々繰り返しているのが私たちでもあるともいえます。
 イエスが故郷に帰った時の故郷の人々の反応も そういう心に繋がる思いでイエスを見、そしてイエスを非難しています。故郷の人々はそのイエスの業や奇跡について受け入れることよりも、賛美することよりも疑問が先になりました。何故、大工の家の子であるイエスがそんなことできるのか、考えられない、信じられない、受け入れることが出来ないことになってしまいます。もちろん故郷の人は、イエスの小さな時からきっと知っている方がたくさんおられます。なおのこと、何故、こんな素晴らしい立派なお話しを出来るようになったのだろうか。そういう思いが心の中から払拭されないかぎり、片寄った考え方、自分中心の考え方から抜け出すことが出来ないと思います。
  先入観。それはある意味で不審な目で見ることが先になることにも繋がってくるようです。こうしたことは私たちの日常生活にも見られること。神を信じる。神を信じたい。そんな信仰の道を歩んでいる私たちにもおこっていること。イエスが不信仰に驚かれたということは、故郷の人に言われたのではなく、まさに私たちに向けられて言われているのではないかと感じられます。

 先週、私は殉教者の話を取り上げました。今日もまた皆さんといっしょにミサの前に 殉教者の祈りを唱えていますが、「殉教者の信仰、その生き方の中に、現代を生きる私たちがどのような困難な時にも聖霊の助けを信頼し、キリストに従いあなたへの道をひたすら歩むことが出来ますように。」こういう祈りの言葉がありました。キリストに従い、ひたすらあなたへの道を歩むことが出来ますように。主が示される道を歩くこと、そのことを願いながら、何故か自分の思いが優先する道を選んでしまう私たち。主への道をひたすら歩むことと自分の道を選びとって自分の都合の良い道を歩いてしまう私たち。行ったり来たりしていると思います。
  先週、7月1日の日曜日は、ペトロ岐部と同志殉教者の10年目の記念日だということを皆さん思い出しておられると思います。以前お話ししたか定かではありませんが、もう一度伝えたいと思います。長崎のある神父様のお話です。殉教者と言えば長崎に多く見られるところですが、その深い信仰、強い信仰が尊敬を受けます。私の知っている長崎の神父様が話したことを私は忘れることが出来ず、また思い起こしています。「迫害以来、拷問を受けて多くの信者は信仰を捨てざるを得ませんでした。中には家族を思い小さな我が子を思う余り、信仰を捨てざるを得なかった人たちがいたということ。自分ではなく、我が子のため、子供の将来のために自分の信仰を捨てざるを得なかった。目の前に踏み絵が置かれます。十字架やマリア様の御像が置かれます。そして、それを踏みなさいと命令されます。踏むことによって信仰を捨てたことを証しするということになっています。」小さな我が子を持つ親の信条はいかばかりだったでしょうか。長崎の神父様の話しは「私の先祖が信仰を捨てたことによって、今、私が司祭である。」とのお話しでした。信仰を捨てる、棄教するということは、弱い信仰者のレッテルを貼られるかもしれません。でも、子どものために信仰を捨てる。信仰を捨てると言いながら「隠れキリシタン」として自分の信仰をひたすらに生きるという、そんな生き方を選ぶ人は少なくありませんでした。見かけは信仰を捨てた。我が子のために、愛する家族のために。でも、心の内では信仰を周りの人には隠して、隠れキリシタンとして生きる彼ら。その信仰を守り続け、何百年と経ってその子孫が司祭として信仰を導いているとしたら、殉教者の信仰に負けない、隠れキリシタンの信仰があったからではないでしょうか。それこそ、今日告げられたみ言葉。キリストの力が私たちのうちに宿るなら、むしろ大いに喜んで、自分の弱さを誇りましょうと言えるのではないでしょうか。棄教する、踏み絵を踏む。外見から見れば、弱さそのものを表すかもしれません。でもその弱さを誇りとして、隠れキリシタンとして信仰を生き抜いた人がたくさんおられたということ。

 聖書の中では、本当に愚かで弱さを抱える弟子たちの姿もたくさん見られます。ペトロもその一人だったと思います。美徳なまでに愚かさをイエスの前に見せる。叱られます。でも、ペトロは何度叱られても立ち上がります。それはイエスの愛と慈しみの手をいつも感じることが出来るペトロの信仰があったからだと思います。キリストに従い、あなたへの道をひたすら歩むことが出来ますように。ペトロもまた、殉教者の祈りの言葉の信仰がそこにあったように思えます。キリストから離れることなく歩み続けたペトロは、やがて何度も失敗を繰り返したにもかかわらず教会の頭に選ばれています。イエスを受け入れる心、ひたむきな心、そしてイエスを証しする心が誰よりも強く、深い意味で、あったに違いありません。ペトロももちろん最期は殉教して亡くなりますが、ペトロの殉教者の心を長崎の隠れキリシタンの多くの人たちが受け継いでいたこと、証しかもしれません。つまづいても手を伸ばして立ち上がらせてくださる愛と慈しみの主に、私たちは赦しを願いながら愛し続けることができます。

   今日も私たちの弱さの中で主の霊を、主の心を願い、思い上がることのない日々を過ごすことが出来るように、共にこのミサの中で心を合わせて祈りたいと思います。』


ミサの後、初めての消防避難訓練を行いました。
ほとんどの人が初めての体験で戸惑いもありましたが、無事終了しました。




◎カテキズム要約版を読む会が60回目を迎えました。
5年ほど前の信仰年を機会に立ち上げ、参加者も最近は増え、多いときには20名近くになっています。


2018年7月1日日曜日

年間第13主日

今日は「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日でもありました。
殉教者少年ディエゴの残したことばを心に留めてイエスのもとに歩みましょう。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『先週は月曜日から4日間、全道司祭会議で教会を留守にしていました。わずか4日間の日程でしたが、長い旅をして教会に帰ってきたような気がしています。今年は35名の司祭が全道から集まっての会議でした。
今年のテーマは、「これからの札幌教区の福音宣教」というものでした。私たち司祭にとっても今年の会議は、これまでとは少し意識が違う状況で話し合いが行われました。通常は3日間の日程なのですが、今年は重いテーマで、もっと真剣に語り合わなければならないとのことで、4日間の日程になりました。
皆さんは、今回のテーマである「これからの札幌教区の福音宣教」ということについて、どのような印象を持たれるでしょうか?皆さんも既に聞いていると思いますが、2019年には札幌教区の各教会に派遣されているフランシスコ会の神父様が引き揚げるという話が、ずっとここ数年続いていました。いよいよ来年、その時期を迎えるということで、私たちもさらに真剣に、そのことを考えていかなければならないというのが今年の会議の主旨でした。現実的には、全ての教会からフランシスコ会の神父様がいなくなる訳ではありませんが、フランシスコ会日本管区の方針として、修道会司祭の高齢化の状況を鑑み、一人で地方の教会を任されて、そこで生活するという現状を見直すということであり、教区司祭も現実的な対応を突きつけられているところです。来年に向けて大きな移動があるということも勝谷司教さんも口にされていますが、いよいよ差し迫ってきたという状況の中での会議となりました。たくさんの祈りを皆さんからもいただけたことと思います。お礼を申し上げたいと思います。少しづつ具体的な案については、司教さんを中心に皆さんとも考えていかなければならないテーマだと思います。これからもまた、一緒に祈りながらご協力をお願いしたいと思います。

さて、今日のみ言葉について、皆さんはどのように受け留められたでしょうか?
大勢の群衆がイエスのもとに向かってひたすら進んでいく情景がわたしたちに語られました。二千年を過ぎた現代においても、日曜日になると大勢の信者がイエスを求め、今日のミサのように教会に集まってきます。
聖書で語られるイエスのもとに集まる「群衆」という言葉が繰り返される中で、その人々の情景と、私たちが今集まっている教会の現状と、何が同じで何が違うのだろうかと、私は昨日から考えています。イエスのもとに集まった群衆と、教会に集まる私たちと、その心のうちは同じでしょうか?
み言葉では、群衆のなかの一人として会堂長ヤイロのイエスに向かう信仰の姿が浮き彫りにされています。愛する我が子を救うためにイエスの前に進み出て、足元にひれ伏し、しきりに願うその姿が描かれています。その心のうちは、神へのイエスへの信頼そのものでした。父親の信頼とその思いは、ただイエスに触れたい、触れられたいという願いでいっぱいだったと思います。イエスは命の主そのもの、イエスに出会い、イエスに触れることによって救いがあると、この会堂長ヤイロは考えていたに違いありません。その信頼は揺るぎないものであったと思います。
み言葉の後半では、誰もが死んだと思われた会堂長の12歳の娘は、イエスによって救いが現実となっています。大勢の群衆もまた、様々な形で救いを求めていたはずです。イエスを信じていたはずです。イエスに対する信頼は深いものであったにも関わらず、死んだはずの少女が歩く姿を見たとき、信じ難い出来事として「群衆は我を忘れ、驚いた」と記されています。100%イエスを信じていなかった故の驚きだったのでしょうか?
この話の合間に、もう一つの話が加わっています。長い間、病気に苦しむ女性もまた、イエスに近づき触れようとしていました。イエスに触れることで自分の病気が治っていくことを感じながら。イエスの体から力が出て行ったと聖書は記しています。そしてイエスは「誰がわたしに触れたのか」とそのことを突き止めようとしています。
救いをもたらすイエスへの信頼によって、「あなたの信仰があなたを救った」とやさしく声を掛けられています。
いま、私たちは神を、そしてイエスを、どこまで信じているでしょうか?そんなことを考えながら今日を迎えています。私たちはイエスに救いをどこまで真剣に求めているのでしょうか?私たちは何を求めてこの教会に、今日来たのでしょうか?本当にイエスに触れたいという思いが心の中に生きていたでしょうか?
日曜日のミサに与る私たちは、習慣のようになってしまって、何を求めることなくただ教会に来てしまった、という人はいないでしょうか?
そした私たちは、救いということをどのように考えているでしょうか?

今日は、最初の集会祈願でも触れたように、特別な日です。「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日が重なりました。そのことについても少しお話したいと思います。
日本の司教団から通知文書が届いており、掲示板にも貼られています。
2008年11月、日本の新しい聖人である「ペトロ岐部と187殉教者」が列福されて10年を迎えました。その後、ユスト高山右近も列福され、今度は、聖人となる運動を展開しているのが、今の私たち日本の教会です。
司教団からの文書は、列聖を求める祈りをぜひ今日皆さんと共に祈りをささげて欲しいという内容でした。その列聖の取り次ぎの祈りのなかに「現代に生きるわたしたちが、どのような困難のときにも、聖霊の助けを信頼し、キリストに従い、あなたへの道をひたすら歩むことが出来ますように」とあります。これはまさに殉教者と同じ道を歩みましょう、という呼びかけでもあります。
日本の司教団からこの日を思い起こして祈ってくださいというメッセージ。そして10年前を思い起こして、今日教会のホールに置いていた小冊子から、一人の少年殉教者を紹介します。
この少年殉教者は、「わたしを歩かせてください。イエス様はカルワリオ山へ歩いて行かれました」という言葉を残したそうです。
その経緯は、1613年10月7日、長崎の島原半島、有間川の中州で、3家族8人が縛られ、火あぶりの中で殉教しました。信者たちの信仰生活を助けるために、「サンタマリアの組」、「ご聖体の組」、「ミゼリコルディアの組」などを組織していた有馬の教会は、当地で迫害が始まると、1612年、城下町に新しい組を結成しました。「殉教の組」です。これは信者が殉教できるよう祈り、苦行をもって神のおん助けを求める信心会です。これに倣い少年たちも「子供の殉教の組」をつくり、大人に負けないほど熱心に祈り、苦行に励んでいたといいます。12歳の少年福者ディエゴ林田は、このとき、有馬の「子どもの殉教の組」の頭でした。ディエゴは、仲間と共に殉教の恵みを受けるために祈り、組の集まりでは皆を導き、ともに苦行に励んでいました。その殉教の記録は、素朴なこころの少年が、精神的に立派な大人に成長していたことを伝えています。
有馬の信者たちが殉教に立ち会おうと集まってきて、捕らわれた人々をすでに殉教者と呼び、その取次ぎを求めました。すると少年ディエゴは、「死ぬ前に殉教者の名はふさわしくありません。でもその名をいただくのは嬉しいことです」と言いました。そして、「まだまだです。まずオラショ(祈り)を頼みます」と皆の祈りによる支えを願ったのです。
のちに迫害で火あぶりにされたドミニコ会司祭ハシント・オルファネル神父は、ディエゴのこの言葉を日本語のまま記録しています。
ディエゴのこれらのことばは、長崎の潜伏キリシタンが殉教の心得として伝えてきたことを思い起こさせます。
「殉教とは死ぬこと、殉教は神からのめぐみであること、人は皆弱いので、殉教のとき力を与えられるよう、ふだんからいつも祈りと苦行に努めること」などです。

「わたしを歩かせてください。イエス様はカルワリオ山へ歩いて行かれました」
少年ディエゴが残した言葉です。
私たちもイエスのもとに歩いていかなければなりません。必死になって歩かなければならないでしょう。

私たちの教会は、2年前に「次の世代につなぐ」というテーマを掲げて聖堂献堂100年を祝いました。「次の世代につなぐ」、まさにこの殉教者少年ディエゴの心を私たちはもっと大切にしなければ、私たちの信仰は中途半端な形で伝えることになるような気がします。殉教者の思いを伝える「明日の教会を託される子どもたち」というテーマは、私たちにとっても大切なテーマであり、私たちの教会が掲げた「次の世代につなぐ」というテーマに深くつながっていると思います。
幼い少年殉教者は、私たちを信仰の道へと導いているような気がします。神の目からみると私たちも弱く幼い信仰者なのかもしれません。イエスのいのちに出会うため、一人一人に示された十字架の道を歩むことができるよう祈りましょう。』

2018年6月25日月曜日

6月24日(日)洗礼者聖ヨハネの誕生

イエスが誕生した6ヶ月前の今日、洗礼者ヨハネの誕生をお祝いしました。
主司式は勝谷太治司教でした。


勝谷司教のお説教をご紹介します。


『洗礼者ヨハネの祝日は、洗礼者ヨハネの殉教と誕生を祈願しますが、特にこの誕生の日は 祭日と扱われ、しかも日曜日に優先する祭日になっています。通常、日曜日に優先するのはマリア様とイエス様ご自身のものです。すなわち、ヨハネの誕生、存在というものが、イエス様の救いの営みに深く関わっている。いわばイエス様が誕生されて救いを成し遂げるまで、その生涯のプロローグにあたるもとして、非常に重要な位置を示している。
 しかし、今日の福音書はそうは言っても、主人公は誰であるかと言うと、ヨハネを産んだエリザベトとその父ザカリアの話しになります。ザカリアはエリザベトがこの男の子を宿すという天使のお告げを信じなかった。そのために口がきけなくなったと書かれています。今日の福音書を見ると、「この子に何と名をつけたいか。」と、手振りで尋ねたという記述があることから、ただ口がきけなかったのではなくて、耳も聞こえなくなっていたと推測されます。これは天使のお告げを信じなかったから、その罰としてそうなったのでしょう。わたしはそうは思わないのです。このザカリアという人、今日の福音の前の部分を見ると、エリザベトも含めて二人、非常に敬虔で熱心な掟を守っていたユダヤ教の信者と思われます。すなわち自分たちに与えられた努めを忠実に果たし、律法を守り 敬虔に信仰生活を営んでいた人たちです。
 しかし彼らは自分たちをとおして神がなさろうとする、全く予想谷しなかった出来事、常識では考えられないような、この年老いた女が身ごもるということ、これを受け入れることが出来ない、それを超えたことを考えることが出来なかったわけです。ですから、毎日の生活の中で忠実に熱心に与えられた仕事、決められた掟を守り続けるし、生活を送っていましたが、自分の生活はおろか、身の周りでおこるこの神のこのダイナミックな業に対して、それに気付くことが、それに協力すると言う考えをまったく持ち合わせていなかった。そういうことが言えるわけです。
  この沈黙、耳が聞こえなくなり、話せなくなることが何を意味するのか。今、エリザベトをとおして行われる神の業を、いわゆる周りの常識的な雑念を捨てる中で、ただ沈黙のうちにそれを祈り続けるもの。この男の子が産まれるまでの間の、この沈黙の時間というものは、ザカリアにとっては、自分たちの生活をとおして神の業が実現していくものを深く受けとめる、黙想する期間であっと言えるのではないかなと思います。
 そして、この子が誕生し「ヨハネ」という名を付けたと。実は今日の箇所では省略していますが、聖霊に満たされたザカリアの預言があります。「神を誉め称えよイスラエルの民を/ 神は民を訪れて購い/ わたしたちのために力強い救い主を与えられた」。そのザカリアの預言は世界中の聖職者が毎日朝、聖務日課で唱えている祈りです。自分たちをとおして実現していった神の業、それに対する賛美を高らかに唄っています。
  この出来事は私たちにとって何を意味しているのでしょうか。  私たちと同様にこのミサに与っている人たちは、信仰生活を熱心に、そして社会人としても、人の子の親としても、非常に模範的な生活をしていると思われます。しかし、それは自分の生活というものをしっかり計画を組み立て、忠実に信仰生活を営んでいたとしても、今、ダイナミックに働かれる神の業に対して、開かれた心の目を持ち合わせているかどうか、自分たちに問い合わせなければならないことです。時々、この単調な私たちの生活の中で、まったく予想谷しなかったことが起こり、それについて考えさせられることは良くあります。
 今日の物語は誕生の物語ですが、年老いて私たちが経験することは、両親や配偶者との死別だと思います。さらに長寿社会になっていくならば、場合によっては自分の我が子の死別も体験しなければならない。そのような出来事は避けようのないことです。ですから、何故死んだのかということを問うことは、ある意味、現実にわたしたちは直面しなければならないのです。
「何故、今なのか」ということは常に、私たちの心に湧き上がってくる疑問だと思います。しかし、そこにどういう意味を見出すのか。神がわたしに、何故今わたしにこれを体験させるのか。そして、どこに導こうとされているのか。悲しみや苦しみを受けとめながら、その中にあってもなお神が私たちの人生に介入され、常により良いように導かれていることに信頼し続けていける。何が起こっても、そこにわたしたちは、常に臨機応変に、その神の出来事をとおしてわたしたちに与えられる招きに、応えることが出来るようになっていく。そういうセンス、常に与えられる日を祈り続ける必要があると思います。

  しかし、その死滅のような悲しい出来事だけではありません。歳をとってからまったく違う生き方に召されることがあります。停年退職がそれかもしれませんが、それ以外にも様々なケースが考えられます。
 余談になりますが、昨日、ローマ法王庁は日本時間の午後7時、幸田司教様の退任を承認されました。幸田司教様は東京教区の補佐司教として永年、岡田司教のもとで仕えてきましたが、昨日をもって補佐司教の職を解かれます。司教は司祭と同じで約束で与えられたり、解任されるものではなくて、一生司教のままです。役職は解かれますが、引退司教としての生活を送ることになり、今は 南相馬のベースで復興支援活動にもっぱら取り組んでおられます。今後もそうなると思います。幸田司教様は引退ですが、最近任命された司教様方は皆、高齢ですね。それよりも、これから自分の人生をあとゆっくり、今まで与えられていた役割を果たして、あとは死ぬだけだと思っていたときに、突然、青天の霹靂のように重責を負わされることになります。
 これは、この間任命された司教様方ばかりでなく、わたしたちの人生の中にもそのような出来事は起こりうるものです。その時々にわたしたちがどう応えるのか。今まで生きてきた常識にとらわれるならば、神がなさろうとするこの非常識的なことを受け入れることは出来ない。あるいは、ただそれを傍観しようとする。受け身的な態度を取ってしまいがちですが。しかし、今日のザカリアの態度が示していることは、ザカリア自身もわたしたちと同じと思われますが、この神の強い導きによって、自分をこうして働かれる神の業を深く受けとめる恵みをいただきました。
 わたしたちも、いつどんなときにも、何があろうとも常に神はわたしたちの自立性を見守る、
そして導いてくださっている。ですから、わたしたちの予想を超えた出来事は起こっても、 そこに神様の何らかの意図がある。その人生の意味をわたしたちは見出していくように求められていると思います。わたしたちがとるべきは、人生にどういう意味があるのかと、神様に問うのではなくて、神はこの出来事をとおして、わたしたちにどういう人生の意味を見出すよう求めておられるか。それをわたしたちは、そのように求めるべきではないかと考えています。』