2013年12月29日日曜日

聖家族

今日は聖家族のお祝いの日です。
今日のこの日を、自分のかけがえのない大切な家族のことを想う日としませんか?

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


私が施設長を任されているフィリピン イースタービレッジでは、
様々な事情によって家族と離れ離れになった子供たちを預かっています。
しかし、私たちが彼らに対してどんなに愛情を持って接しても、本当の家族とは違い、そこにはどうしても限界があります。
彼らにとって、設備の整った施設で、栄養のあるものを食べ快適に過ごせる環境も確かに必要なことだけれど、それにも増して何よりも大切なことは、家族の中で必要とされ愛情を受けて育てられることだと思っています。

イザヤ書49章14~15節にもこうあります。

シオンは言う。主はわたしを見捨てられた
わたしの主はわたしを忘れられた、と。
女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも
わたしがあなたを忘れることは決してない。

たとえ貧しくても、家族に囲まれて生活していくことは、心の在り様のうえでも最も大切なことです。
このことを確信してるため、施設ではなるべく早く家族の元に戻れるよう、また里親を見つけるような努力をしています。

日本人は、言葉での愛情表現を得意としていませんが、
言葉以外での方法でもかまわないので、自分の家族に対して愛情を伝えることはとても重要なことです。
今日お集まりの皆さんも、今日のこの「聖家族」の祝日を、かけがえのない大切な家族のことを想う日とし、愛情を伝えるよう努めてみてはいかがでしょう。


【編集後記】
今年も残すところ、あとわずかとなりました。
当教会のホームページ、ブログ、フェイスブックの本年中の更新につきましては、
これで終わりになります。1年間有難うございました。
新年からは、また新たな気持ちで教会の近況や出来事についてお伝えさせていただこうと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。
新年にまた、お会いしましょう!


「夕べの会」

12月28日午後4時から、カテドラルホールで「夕べの会」を行いました。
当教会の信徒をはじめ、森田神父様、神学生の佐久間さんと箕島さん、そして英語ミサの方々も集い、おいしい食卓を囲んで楽しく語らいました。

終盤には、恒例のビンゴ大会が行われ、景品を手に童心に帰って無邪気にはしゃぐ姿も見られました。

櫻谷実行委員長の音頭で「かんぱーい!」


神学生の箕島さんとメリンダさん


森田神父様も参加



どれにしようかな?


箕島さんは、何が当たったのでしょう?


カルロスはケン玉をゲット、ご満悦です。


(親子ではありません)、運営委員長と菅野さんお揃いの景品を装着して、ハイポーズ


とてもお似合いです。



2013年12月24日火曜日

主の降誕(夜半のミサ)

クリスマスおめでとうございます!
救い主イエス・キリストの誕生をお祝いしましょう。


午後7時から、勝谷司教様の司式により主の降誕のミサが行われました。
第1朗読イザヤ書(9・1)「闇の中を歩む民は、大いなる光を見」にあるように、聖堂の明かりが消された中を司教様と侍者が入堂し、馬小屋のローソクから火を取り、会衆が手に持ったローソクに移されました。




勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。

 イエス様がお生まれになった頃の時代は、貧しく病気に苦しむ人々は罪のために神様から罰を受けているのだと信じられていました。しかし、イエス様はこのような人々こそが神様に選ばれたものと教えられました。
 いつの時代も貧しさや病気で苦しんでいる人々の多くは、罰のせいではなく人間が生み出している社会悪が原因で苦しみを受けています。
 身重のマリアとヨセフを拒んだ宿屋も、決して悪人という分けではありません。彼らにしても自らの仕事を忠実にこなしているだけで、罪を犯しているという意識はなかったはずです。人間のエゴや欲望というものは、無意識のうちにも広がっていくものです。
 今日のミサの入堂の際、暗闇の中でローソクに火を灯し、お集まりの人々の手から手へと光が渡されていきました。闇は決して光を消すことはできません。
 このように神様もイエス様がお示しになった愛の教えを、人々が自らの手で述べ伝えていくことを望んでおられます。
 私たちに出来ることは何なのかということを考えるクリスマスとしましょう。

ミサの後は、カテドラルホールで降誕祭の祝賀会が行われました。


馬小屋に幼子のイエス様が飾られました






2013年12月22日日曜日

待降節第4主日

もうすぐ待ちに待ったクリスマスです。
アドベント・クランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。


 今日の福音(マタイ1・18-24)では、聖霊によって身ごもったマリアと縁を切ろうと決心したヨセフの夢の中に主の天使が現れます。そしてヨセフにこう言います。
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。
マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。」




今日の主日ミサの司式は祐川神父様でした。
開祭のあいさつで、
「アドベントクランツのローソクにも4本全てに火が灯りました。待ちに待ったクリスマスまでいよいよ後3日になりました」というご挨拶がありました。

神父様のお説教の一部をご紹介します。
今日の福音朗読の箇所にも出てきたように、マタイ福音書の特徴として、「神は私たちと共におられる(インマニエル)」という言葉があります。
ひとつには、神様は創造した業の中におられる。二つ目には、み言葉や聖体の中におられる。そして三つ目には、イエス・キリストの人格の中におられます。
もうすぐクリスマスが訪れます。そして子供たちはサンタクロースを楽しみに待っているはずです。しかし、ある意味ではサンタクロースは必要ない方がよいのかもしれません。それは、私たち一人ひとりが困難の中にいる人たちのためにサンタクロースになることです。どうかそのような心でクリスマスを迎えましょう。

佐藤神学生が帰省しており、今日のミサで侍者をお手伝いいただきました。閉祭前のお知らせの中で祐川神父様から紹介がありご挨拶されました。来年3月には祭壇奉仕者の任命を受ける予定だそうです。


【降誕祭ミサ時間のお知らせ】

  • 12月24日(火)主の降誕(夜半のミサ)19:00~
  • 12月25日(水)主の降誕(日中のミサ)10:00~


2013年12月15日日曜日

待降節第3主日

待降節も半ばを過ぎました。
今日の福音(マタイ11・2-11)では、牢獄に捕らえられた洗礼者ヨハネがイエスの元に遣わした弟子に対し、イエスは自分がメシアだと伝えました。そして群集に対し、ヨハネこそ神の使者エリアであることを告げました。

今日の主日ミサの司式は、祐川神父様でした。
お説教の中で、この待降節の間に回心や「ゆるしの秘跡」に臨む際には、どうか共同体や社会の関わりの中での「自分」ということも意識されることを勧めます。というお話がありました。


アドベントクランツの3本のローソクに火が灯りました


2013年12月8日日曜日

待降節第2主日

今日の主日ミサは勝谷司教様による主司式で行われました。(祐川神父様 共同司式)


勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音で、洗礼者ヨハネは回心について語りかけます。
ヨハネの言葉は、厳しさに満ちており恐怖さえ感じさせる箇所もあります。
しかし、キリストの愛の教えをとおすことで
「”我々の父はアブラハムだ”などど思ってもみるな。」という箇所は、
⇒毎週教会に通い信心深い信徒であるからということだけで安心していてはいけません。
また、「神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。」については、
⇒誰にでも救いの機会は与えられている。
と解釈することができます。
そして、「麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」という箇所は、
⇒ 痛みを伴うかもしれないが、私たちを覆っている悪しき「しがらみ」という殻を取り去って焼き捨てること、と解釈できます。

回心とは個人的なことではなく、多少の欠点を持ち合わせている私たちが、互いに赦しあい支えあって、微力ではあっても少しでもこの世界を良くしていこうと決心を新にすることといえます。

辛苦に苛まれている人々に、どうして神様は直接救いの手を差し伸べてはくれないのか?という疑問があります。
これは、神は人間を創造されましたが、人間社会における様々な不条理や悪は、人間の行いによる結果からきているものです。
例えば、世界的にみると人間が食する食べ物の絶対量は足りているはずなのに、飢えに苦しむ人々は一向に減らないという現実は、平等に配分がなされていないという問題によります。また、世の中から大小問わず争いごとが絶えることがないということ・・・、など。

神様が本当に望まれていることは、人々が自分達の力で、この世界をより良いものにしていこうという努力をしないさい、ということなのではないでしょうか?
聖母マリアが、イエスを宿すとき、訪れた神のみ使いに対して「はい」と答えたように、私たちも神様の望まれることに対して素直に「はい」と言えることが大切で、そのことなしには何事も良い方向に向かっていくことは難しいでしょう。


【お知らせ】
派遣の祝福の前に、祐川神父様からお知らせがありました。

  1. 待降節期間中に共同回心式は特に実施しません。赦しの秘蹟を受けたい方は、主日ミサの前に司祭に声をかけてください。
  2. 今後、毎週金曜日の午後5時から、「洗礼入門」を行います。ご希望の方はどうぞご参加ください。
  3. 12月14日(土)午後5時から、月寒教会敷地内の「働く人の家(札幌JOC)」で青年対象のクリスマス会が行われます。参加費は500円ですので青年の方でご希望の方はご参加ください。






2013年12月1日日曜日

待降節第1主日

教会暦では今日から新しい年が始まり、そして待降節に入ります。
待降節では救い主イエスの誕生を待ち望むと同時に、終末におけるキリストの再臨にも目を向けさせます。

今日の主日ミサは、祐川神父様の主司式で行われました(勝谷司教様:共同司式)。
お説教では祐川神父様から「待降節の期間、共同体の中で3つのことを心がけて過ごしましょう。一つは、今何をしているか?、2つ目は、何をするべきか?、3つ目は、これから何をしていくか?」というお話がありました。

お説教の後、お二人の方の洗礼入門式が行われました。
これから同じ共同体の中で、洗礼志願式、洗礼準備期を過ごします。温かく迎え入れ、そして無事に洗礼式を迎えることが出来るよう、私たちも支えとなっていくことができますように。


昨日、典礼部では待降節を迎えるにあたりアドベントクランツを準備、そして今日はミサの後、馬小屋とクリスマスツリー、玄関にリースを設置しました。
夜には、クリスマスツリーに灯が点っていることでしょう。



2013年11月24日日曜日

王であるキリスト

今日は教会暦最後の主日になります。今度の主日からは新しい教会暦A年が始まり、いよいよ待降節に入ります。

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。



ミサの始まる入堂前に、かわいらしい小さなお子さんから元気な声で「お早うございます!」と呼びかけられました。
子供というのは、無邪気で裏表がなく愛らしいものです。
しかし、幼子は歩くのにも不安定で、もちろん身体も心も完全なものではありません。
私たちは、そういう完璧ではない、弱さを持つ不完全なものであるからこそ、愛情というものを感じるのかもしれません。
神様に対する感情も同様なものなのかもしれません。人は完全無欠な存在に対して愛を感じることは難しいものです。
しかし、イエスが人々の眼前で、もがき苦しみ、そして最後には十字架に磔にされた姿を晒したからこそ、私たちは神がお遣わしになったイエスを愛し、神の子そして王として付き従うことを選んだのかもしれません。
今日の福音に示されたイエスの”王”としての姿を改めて思い起こし、使徒職の一つである「王職」について意識しながら、それぞれの自分の置かれた場で、日々の生活を送ることができるよう心がけていきましょう。


【信仰年が閉幕】
昨年の10月11日から始まった「信仰年」が、今日の「王であるキリスト」で閉幕します。
この一年をどのように過ごされましたか?
北一条教会が信仰年で取り組んだテーマは次のようなものでした。


【お知らせ】
  • ミサの後、運営委員会が行われました。
  • カテドラルホールでミニバザーが行われました。
  • 円山教会で、14時~中央ブロック会議が行われました。
  • 12月7日(土)と8日(日)の両日、月寒教会でケン神父様(メリノール宣教会司祭、天使大学講師)による待降節黙想会が行われます。



2013年11月17日日曜日

年間第33主日 「終末について」

フィリピンのイースタービレッジを訪問されていた祐川神父様が帰国され、今日の主日ミサを司式されました。


開祭のご挨拶で、「今回のフィリピンを襲った台風で、日本の多くの皆さんからご心配の連絡がありましたが、イースタービレッジのあるミンダナオ島には全く被害はありませんでした。しかし、私も訪れたことがあるタクロバン市があるレイテ島などでは甚大な被害が報告されており、まだ全容さえはっきり分かっていないようです。被災された方々が希望を見い出せるよう今日のミサでお祈りしましょう。また今日のミサ献金は、カリタスジャパンが行っている救援募金に当てることにしています。」というお話がありました。

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。

今日の福音書(ルカ21・5‐19)にある終末の話を、私は子供の頃とても恐ろしい思いで聞いたことを覚えています。
ルカ福音書は、イエス様が福音書の中で言われている神殿の崩壊等の出来事が実際に起こった西暦70年以降に書かれたという背景もあり、”終末”について非常にリアルな表現がされています。しかし、ヨハネ黙示録の終わりは、「主よ、来てください(マラナ・タ)」で結ばれており、終末における神の国の勝利、すなわち希望について示されています。

ミサの中で毎回唱えている「回心の祈り」について改めて考えてみましょう。
「兄弟の皆さんに告白します。わたしは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。・・・・」と唱えていますが、
イエス様の教えである愛をもって、”思って”いるでしょうか?心の中でいつも他人の欠点や過ちばかりを非難していないでしょうか?
”ことば”でも同じようなことをしていないでしょうか?
人の欠点や不足している点を、思いやり補うような行動をしているでしょうか?
そして、愛をもって”思い”、”ことば”、”行い”をすることを怠ってはいないでしょうか?
典礼暦の一年の締めくくりに、「回心の祈り」の意味を改めて思い起こし心がけていくことで、私たちの共同体もより良いものとなっていくものと思います。

2013年11月16日土曜日

フィリピン台風 救援募金の呼びかけ

先週の11月8日に台風30号がフィリピンを襲ってから1週間が経ちましたが、甚大な被害の実態が連日、テレビや新聞等で報道されています。国民の10人に1人にあたる900万人が被災し、190万人が家屋を失うなどし緊急援助を必要としています。
カリタスジャパンでは、カリタスフィリピンが行う救援活動の支援を表明し、救援募金の協力を呼びかけています。
当教会でも明日の主日ミサで、緊急の救援募金を呼びかける予定としています。

カリタスジャパン 救援募金の呼びかけ


2013年11月10日日曜日

年間第32主日 「イエス様とサドカイ派」

今日の福音朗読(ルカ 20・27-38)は、イエス様と死者の復活を否定するサドカイ派の人々との問答が描かれています。

今日の主日ミサの司式をされた勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。



今日の福音を理解するためには、まず背景を説明しなければなりません。
サドカイ派は、モーセ5書(創世記~申命記)のみを聖典として認め、復活を信じていませんでした。また、当時では社会的、経済的にも優位な立場にある人々からなっていました。
聖書とは、神様は不変ですが関わりを持つ人間の方が様々な経験を積んで変わっていくという、生まれてから死ぬまでの人の一生に例える事ができます。
その中で、モーセ5書というのは、まだ経験の足りない幼子が、庇護者の言うことにただ従えば良いという、人間の側が未熟な時期にあたります。
ですから、今回登場するサドカイ派のように、聖書のある一部分だけを取り上げて、その教えだけに従うということには危うい面があります。

サドカイ派は、「神様にのみ頼ることしかできない」苦しみの中にいる人々とは無縁の立場にあり、神様との関係性は希薄で、彼らの行っていた典礼は、神様と繋がらない冷たいものだったのではないでしょうか。

過酷な現実社会の中では、第一朗読(マカバイ記 2マカバイ 7・1-2,9-14)にあるように信仰を持たない悪によって苦しむ人々がおり、復活がなければ救いを見出すことは困難な現実もあります。イエス様はそのような人々に復活を、そして神様の慈しみと愛を示してくださいました。
私たちも今日の福音のサドカイ派のことを戒めとして心に留めておきましょう。


ミサの後、大掃除が行われ、多くの方々のご協力をいただきました。
ボーイスカウトの皆さんにもお手伝いいただきました。有難うございます。
大掃除の後は、B地区の皆さんがご用意してくれた温かい昼食いただきました。

2013年11月3日日曜日

年間第31主日 「イエス様とザアカイ」

今日の主日ミサは森田神父様の司式でした。


今日の福音書(ルカ 19・1-10)では、イエス様がエルサレムに向かう旅の途中で立ち寄ったエリコの町での、イエス様と徴税人の頭であったザアカイとの出会いが書かれています。

主日ミサでの森田神父様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音に登場する徴税人のザアカイは、その職業ゆえ周りのユダヤ人からも罪人のレッテルを貼られ、当人もそのことに半ば諦め、開き直って生きていたことと想像されます。そのザアカイは、自分と同じ徴税人であったマタイを弟子に持ち、人々に対して罪の赦しを行っているというイエス様の噂を耳にし、イエス様が近くを通り過ぎるようとした時、一目見ようと桑の木に登りました。
その時のザアカイの心情は、興味本位なものなのか、イエス様が本物かどうか見定めてやろうとするものであったのか、それとも心の底から罪の赦しを得て救われたいという思いであったのかは想像するしかありません。
木に登っているザアカイにイエス様は言われました「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」こうしてザアカイはイエス様に招かれることになりました。
今日の福音にあるこのような神様の慈しみは、「見失った羊」(ルカ 15・4-7)でも同じように書かれています。
私たちが神様に招かれるきっかけには、神秘性を感じるものがあります。
私の身近でも、そのような方々を多く知っています。
不完全なものとして神様に招かれた私たちが、罪人にも赦しを与えるイエス様の慈しみをとおして、少しでも完全なものに近づいていくことができるようつとめてまいりましょう。


秋が深まって来ました。体調にはくれぐれもお気をつけ下さい。

教会の敷地の木々も色付きを見せてきています。



お知らせ
11月10日(日)は秋の大掃除です。聖堂床のワックスがけも行います。多くの皆さまのお手伝いをよろしくお願い申し上げます。



2013年10月27日日曜日

年間第30主日 「ファリサイ派と徴税人のたとえ」

朝晩すっかり寒くなってきました。秋が駆け足で通り過ぎようとしています。
皆さま、風邪などひかないようお身体にはくれぐれもお気をつけくださいね。

さて、
年間第30主日のミサは、祐川神父様の司式でした。
今日の福音朗読は、先週から引き続いて「祈り」がテーマになっています。
神父様のお説教の内容を一部ご紹介します。


聖書に「貧しい人は幸いである(ルカ6・20)」という有名なみ言葉があります。
何故、幸いなのでしょうか?誰でも貧しさからは遠ざかりたいものです。

「貧しい人」は、影響力もなく周りから重要視されず軽んじられます。
そして、搾取される立場になり、さらに何もかにも失っていきます。
その結果、神様にすがることしか残された道がなくなります。
この神様に頼り切るということこそが、「幸いなことなのですよ」ということを教えてくれているのです。

今日の福音朗読を改めて振り返ってみましょう。
二人の人が祈るために神殿に上りました。1人はファリサイ派の人で、心の中で祈ったことは、他の人よりも優れている自分のことでした。つまりこの人は、形では神様にお祈りしているようでいて、実のところは自分自身を頼りにしているに過ぎないのです。この姿勢こそをイエス様は戒めておられます。

私たちも無意識のうちに、このファリサイ派の人と同じように、他者と自分を比較して、優越感、逆に劣等感といった感情に流されていることがないでしょうか?
ありのままの自分で、神様と向き合い、祈り、そして委ねることを忘れることがないように心がけていきましょう。


【お知らせ】

  1. 10月20日(日)にカテドラルホールでDVD鑑賞会が行われました。約40名ほどの皆さんが参加して、祐川神父様が立ち上げ現在も施設長を務められている「イースター・ビレッジ」を扱ったDVD「復活と希望の村から」を視聴しました。皆さま大変感動されておられたようで、当教会での支援について今後、相談していくことになります。
  2. 10月21日(月)に聖堂でカテドラルコンサートが行われ、約160名の方の入場がありました。
  3. 福祉部では、降誕祭を迎えるにあたり、教会に来られない方々のために「クリスマスカード」の発送準備をしています。お送りしたほうがよい方の心当たりがありましたら、福祉部もしくは地区代表の方にご連絡ください。
  4. 教会ではセキュリティ設備の設置準備を進めています。運用方法が決まりましたら皆様にお伝えする予定です。
  5. 今週から教会駐車場の排水溝設置工事が始まります。1週間ほどかかる予定です。
  6. 祐川神父様は、明日(10月28日)から11月14日までの間、フィリピンのイースタービレッジに行かれます。旅の安全をお祈りしています。


2013年10月20日日曜日

年間第29主日 新司教着座

先週の10月14日に叙階された勝谷司教様が、今日、司教としては初めての主日ミサを司式されました。そして、また、主日のミサで初めて司教座に着座されました。



司教様のお説教では、時折ユーモアも交えながら、次のようなお話がありました。
司祭に叙階して初めて、主任司祭として就任したのが夕張教会でした。
当時の夕張教会は、聖堂をはじめ併設する保育園など建物の老朽化が著しく、あちこち雨漏りがする有様でした。
私は、この教会を地域の人たちにも役立ててもらえるような開かれた教会にしたいと思い、資金の当てもないまま、信徒総会で教会の改築を決めました。いざ決めたのはいいが資金をどうするか。

しかし、その後、通常かかる費用の半額程度で請け負って下さる業者の方が現れたり、また、教会が運営する保育園出身の地元の方々から思いもよらないほどの寄付も集まり、実現することができたのです。
一見、困難だと思われるようなことでも、それが神様が望まれていることなら、良い方向に私たちをお導き下さるのです。
札幌教区もこれから新らしいビジョンのもと動き出す時が来ますが、その実現には様々な困難が伴うことと思います。しかし、それが正しい道であるなら、必ず神様がお導きになります。


ミサの後、カテドラルホールで「イースタービレッジ 復活と希望の村から」のDVD鑑賞会が行われました。これは、祐川神父様がフィリッピンで立ち上げたイースタービレッジの記録です。
午後からは、バスをチャーターし、白石墓地と里塚墓地での合同墓参が行われました。

祐川神父様からのお知らせで、毎年カトリック札幌教区として行われている高校生主体のフィリピンエクスポージャー募集の案内がありました。来年の1月2日から11日までイースタービレッジで行われる予定です。教区と教会から参加費の助成もあるとのことです。
詳細の案内は、教会ホール掲示板をご覧ください。

2013年10月14日月曜日

10月14日 ベルナルド勝谷太治師 司教叙階式

今日、札幌司教区に新司教が誕生いたしました。
10月14日(月・祝日)午後2時から、藤学園講堂でベルナルド勝谷太治被選司教様の司教叙階式が行われました。
会場は2階席も含め満席になり、およそ2000名が叙階式に参列しました。

開祭に先立ち、叙階式実行委員長を務められた上杉神父様からご挨拶がありました。


典礼聖歌5番「あなたの いきを」が歌われる中、司教・司祭団の入場です。



壇上には、日本全国からお集まりになった司教様と、道内を中心に司牧されている司祭団が列席されました。


主司式は、東京大司教区の ペトロ岡田武夫大司教様でした。


第一朗読「使徒パウロのコリントの教会への手紙(Ⅰコリント1章22-31節)」


福音朗読「ヨハネによる福音(ヨハネ17章21-24節)」




【叙階の儀】
「聖霊の続唱」が唄われた後、受階者の紹介があり、
使徒座の任命書が朗読されました。



タルチシオ菊地司教様によるお説教



【受階者の約束】


【按手と叙階の祈り】
「諸聖人の連願」の後、主司式司教様が受階者の頭の上に按手し、続いて、列席しているすべての司教様が1人ずつ同じように按手していきました。





叙階の祈り


【聖香油の塗油、福音書の授与、指輪の授与、ミトラ(司教帽)の授与、バクルス(牧杖)の授与】

聖香油の塗油


指輪の授与


ミトラ(司教帽)の授与


以上で叙階の儀は終わり、奉納から通常どおりのミサが続けられました。
感謝の典礼からは、新司教がミサの主司式を務められました。


【閉祭】
列席された各師からご挨拶がありました。

教皇大使 ジョゼフ・チェノットゥ大司教様


司教団代表 ペトロ 岡田武夫 東京大司教様


前札幌司教 ペトロ 地主敏夫 司教様


新司教 ベルナルド 勝谷太治司教様のご挨拶(その1)



新司教 ベルナルド 勝谷太治司教様のご挨拶(その2)


退堂の前に司教・司祭団の記念写真が撮影されました。




 



この後、藤学園体育館へ会場を移動し、祝賀会が行われました。

札幌教区信徒の長年の念願がかない今日、新しい司教様が誕生いたしました。
ベルナルド 勝谷太治新司教のもと、
私たち共同体がこれからも実り豊かな信仰の日々を送ることができますようお祈りいたしましょう。

神に感謝