2023年7月17日月曜日

7月16日 年間第15主日

この日は、ケン・スレイマン神父様のミサ司式でした。




お説教はこちらを

 


【聖書朗読箇所】


すべての人を照らしてくださる神よ、

 あなたは、暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、

 真理の光を輝かせてくださいます。

 洗礼を受けたすべての人が、

 信仰に反することを退け、

 キリストに従って生きることができますように。

  集会祈願より


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第1朗読 イザヤ書 55章10~11節


(主は言われる。)

雨も雪も、ひとたび天から降れば

むなしく天に戻ることはない。

それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ

種蒔く人には種を与え

食べる人には糧を与える。

そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も

   むなしくは、わたしのもとに戻らない。

それはわたしの望むことを成し遂げ

わたしが与えた使命を必ず果たす。



第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章18~23節


(皆さん、)現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、 取るに足りないとわたしは思います。 被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。 被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、 服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。 つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、 神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。 被造物がすべて今日まで、共にうめき、 共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。 被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、 神の子とされること、つまり、体の贖われることを、 心の中でうめきながら待ち望んでいます。



福音朗読 マタイによる福音書 13章1~23節


 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。 すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、 イエスは舟に乗って腰を下ろされた。 群衆は皆岸辺に立っていた。 イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。 蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。 ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、 そこは土が浅いのですぐ芽を出した。 しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。 ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。 ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、 あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。 耳のある者は聞きなさい。」


  弟子たちはイエスに近寄って、 「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか」と言った。 イエスはお答えになった。 「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、 あの人たちには許されていないからである。 持っている人は更に与えられて豊かになるが、 持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。 だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。 見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。 イザヤの預言は、彼らによって実現した。

  『あなたたちは聞くには聞くが、

    決して理解せず、

  見るには見るが、決して認めない。

  この民の心は鈍り、

  耳は遠くなり、

  目は閉じてしまった。

  こうして、彼らは目で見ることなく、

    耳で聞くことなく、

  心で理解せず、悔い改めない。

  わたしは彼らをいやさない。』

しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。 あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。 はっきり言っておく。 多くの預言者や正しい人たちは、あなたがたが見ているものを見たかったが、 見ることができず、あなたがたが聞いているものを聞きたかったが、 聞けなかったのである。」

 「だから、種を蒔く人のたとえを聞きなさい。 だれでも御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、 心の中に蒔かれたものを奪い取る。 道端に蒔かれたものとは、こういう人である。 石だらけの所に蒔かれたものとは、 御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、 自分には根がないので、しばらくは続いても、 御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。 茨の中に蒔かれたものとは、御言葉を聞くが、 世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人である。 良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、 あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結ぶのである。」



2023年7月9日日曜日

7月9日 年間第14主日

 ケン・スレイマン神父様のお説教をご紹介します。



こちらをどうぞ



【聖書朗読箇所】


聖なる父よ、

  あなたは倒れていた世界を、

  キリストの死によって新しいいのちにたち直らされてくださいました。

  信じる者を罪の束縛から解放し、

  終わりのない喜びにあずからせてください。

集会祈願より


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第1朗読 ゼカリヤ書 9章9~10節


(主は言われる)

娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。

見よ、あなたの王が来る。

彼は神に従い、勝利を与えられた者

高ぶることなく、ろばに乗って来る

雌ろばの子であるろばに乗って。


わたしはエフライムから戦車を

エルサレムから軍馬を絶つ。

戦いの弓は絶たれ

諸国の民に平和が告げられる。

彼の支配は海から海へ

大河から地の果てにまで及ぶ。



第2朗読 ローマの信徒への手紙 8章9、11~13節


 (皆さん、)神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、 あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。 キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。 もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、 あなたがたの内に宿っているなら、 キリストを死者の中から復活させた方は、 あなたがたの内に宿っているその霊によって、 あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。

 それで、兄弟たち、わたしたちには一つの義務がありますが、 それは、肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。 肉に従って生きるなら、あなたがたは死にます。 しかし、霊によって体の仕業を絶つならば、あなたがたは生きます。



福音朗読 マタイによる福音書 11章25~30節


 そのとき、イエスはこう言われた。 「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。 これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、 幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 すべてのことは、父からわたしに任せられています。 父のほかに子を知る者はなく、 子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。 休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。 そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

2023年7月2日日曜日

7月2日 年間第13主日

 この日は、ケン・スレイマン神父様の司式でした。




お説教は、こちらを


【聖書朗読箇所】


いつくしみ深い父よ、

  あなたはわたしたちを選び、

  光の子としてくださいました。

  わたしたちが罪のやみに迷うことなく、

  いつも真理の光のうちにあゆむことができますように。

集会祈願より


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第1朗読 列王記下 4章8~11、14~16a節


ある日、エリシャはシュネムに行った。

そこに一人の裕福な婦人がいて、彼を引き止め、食事を勧めた。

以来彼はそこを通るたびに、立ち寄って食事をするようになった。


彼女は夫に言った。

「いつもわたしたちのところにおいでになるあの方は、

聖なる神の人であることが分かりました。


あの方のために階上に壁で囲った小さな部屋を造り、

寝台と机と椅子と燭台を備えましょう。

おいでのときはそこに入っていただけます。」


ある日、エリシャはそこに来て、その階上の部屋に入って横になり、


従者ゲハジに、「あのシュネムの婦人を呼びなさい」と命じた。

ゲハジが呼ぶと、彼女は彼の前に来て立った。


エリシャは、「彼女のために何をすればよいのだろうか」と言うので、

ゲハジは、「彼女には子供がなく、夫は年を取っています」と答えた。


そこでエリシャは彼女を呼ぶように命じた。

ゲハジが呼びに行ったので、彼女は来て入り口に立った。

エリシャは、「来年の今ごろ、あなたは男の子を抱いている」と告げた。



第2朗読 ローマの信徒への手紙 6章3~4、8~11節


それともあなたがたは知らないのですか。

キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、

またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。


わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、

その死にあずかるものとなりました。

それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、

わたしたちも新しい命に生きるためなのです。


わたしたちは、キリストと共に死んだのなら、

キリストと共に生きることにもなると信じます。


そして、死者の中から復活させられたキリストはもはや死ぬことがない、

と知っています。死は、もはやキリストを支配しません。


キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、

生きておられるのは、神に対して生きておられるのです。


このように、あなたがたも自分は罪に対して死んでいるが、

キリスト・イエスに結ばれて、神に対して生きているのだと考えなさい。



福音朗読 マタイによる福音書 10章37~42節


「わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。

わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。

自分の命を得ようとする者は、それを失い、

わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。」


「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ、

わたしを受け入れる人は、わたしを遣わされた方を受け入れるのである。

預言者を預言者として受け入れる人は、預言者と同じ報いを受け、

正しい者を正しい者として受け入れる人は、正しい者と同じ報いを受ける。


はっきり言っておく。

わたしの弟子だという理由で、

この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、

必ずその報いを受ける。」