2018年7月1日日曜日

年間第13主日

今日は「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日でもありました。
殉教者少年ディエゴの残したことばを心に留めてイエスのもとに歩みましょう。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『先週は月曜日から4日間、全道司祭会議で教会を留守にしていました。わずか4日間の日程でしたが、長い旅をして教会に帰ってきたような気がしています。今年は35名の司祭が全道から集まっての会議でした。
今年のテーマは、「これからの札幌教区の福音宣教」というものでした。私たち司祭にとっても今年の会議は、これまでとは少し意識が違う状況で話し合いが行われました。通常は3日間の日程なのですが、今年は重いテーマで、もっと真剣に語り合わなければならないとのことで、4日間の日程になりました。
皆さんは、今回のテーマである「これからの札幌教区の福音宣教」ということについて、どのような印象を持たれるでしょうか?皆さんも既に聞いていると思いますが、2019年には札幌教区の各教会に派遣されているフランシスコ会の神父様が引き揚げるという話が、ずっとここ数年続いていました。いよいよ来年、その時期を迎えるということで、私たちもさらに真剣に、そのことを考えていかなければならないというのが今年の会議の主旨でした。現実的には、全ての教会からフランシスコ会の神父様がいなくなる訳ではありませんが、フランシスコ会日本管区の方針として、修道会司祭の高齢化の状況を鑑み、一人で地方の教会を任されて、そこで生活するという現状を見直すということであり、教区司祭も現実的な対応を突きつけられているところです。来年に向けて大きな移動があるということも勝谷司教さんも口にされていますが、いよいよ差し迫ってきたという状況の中での会議となりました。たくさんの祈りを皆さんからもいただけたことと思います。お礼を申し上げたいと思います。少しづつ具体的な案については、司教さんを中心に皆さんとも考えていかなければならないテーマだと思います。これからもまた、一緒に祈りながらご協力をお願いしたいと思います。

さて、今日のみ言葉について、皆さんはどのように受け留められたでしょうか?
大勢の群衆がイエスのもとに向かってひたすら進んでいく情景がわたしたちに語られました。二千年を過ぎた現代においても、日曜日になると大勢の信者がイエスを求め、今日のミサのように教会に集まってきます。
聖書で語られるイエスのもとに集まる「群衆」という言葉が繰り返される中で、その人々の情景と、私たちが今集まっている教会の現状と、何が同じで何が違うのだろうかと、私は昨日から考えています。イエスのもとに集まった群衆と、教会に集まる私たちと、その心のうちは同じでしょうか?
み言葉では、群衆のなかの一人として会堂長ヤイロのイエスに向かう信仰の姿が浮き彫りにされています。愛する我が子を救うためにイエスの前に進み出て、足元にひれ伏し、しきりに願うその姿が描かれています。その心のうちは、神へのイエスへの信頼そのものでした。父親の信頼とその思いは、ただイエスに触れたい、触れられたいという願いでいっぱいだったと思います。イエスは命の主そのもの、イエスに出会い、イエスに触れることによって救いがあると、この会堂長ヤイロは考えていたに違いありません。その信頼は揺るぎないものであったと思います。
み言葉の後半では、誰もが死んだと思われた会堂長の12歳の娘は、イエスによって救いが現実となっています。大勢の群衆もまた、様々な形で救いを求めていたはずです。イエスを信じていたはずです。イエスに対する信頼は深いものであったにも関わらず、死んだはずの少女が歩く姿を見たとき、信じ難い出来事として「群衆は我を忘れ、驚いた」と記されています。100%イエスを信じていなかった故の驚きだったのでしょうか?
この話の合間に、もう一つの話が加わっています。長い間、病気に苦しむ女性もまた、イエスに近づき触れようとしていました。イエスに触れることで自分の病気が治っていくことを感じながら。イエスの体から力が出て行ったと聖書は記しています。そしてイエスは「誰がわたしに触れたのか」とそのことを突き止めようとしています。
救いをもたらすイエスへの信頼によって、「あなたの信仰があなたを救った」とやさしく声を掛けられています。
いま、私たちは神を、そしてイエスを、どこまで信じているでしょうか?そんなことを考えながら今日を迎えています。私たちはイエスに救いをどこまで真剣に求めているのでしょうか?私たちは何を求めてこの教会に、今日来たのでしょうか?本当にイエスに触れたいという思いが心の中に生きていたでしょうか?
日曜日のミサに与る私たちは、習慣のようになってしまって、何を求めることなくただ教会に来てしまった、という人はいないでしょうか?
そした私たちは、救いということをどのように考えているでしょうか?

今日は、最初の集会祈願でも触れたように、特別な日です。「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日が重なりました。そのことについても少しお話したいと思います。
日本の司教団から通知文書が届いており、掲示板にも貼られています。
2008年11月、日本の新しい聖人である「ペトロ岐部と187殉教者」が列福されて10年を迎えました。その後、ユスト高山右近も列福され、今度は、聖人となる運動を展開しているのが、今の私たち日本の教会です。
司教団からの文書は、列聖を求める祈りをぜひ今日皆さんと共に祈りをささげて欲しいという内容でした。その列聖の取り次ぎの祈りのなかに「現代に生きるわたしたちが、どのような困難のときにも、聖霊の助けを信頼し、キリストに従い、あなたへの道をひたすら歩むことが出来ますように」とあります。これはまさに殉教者と同じ道を歩みましょう、という呼びかけでもあります。
日本の司教団からこの日を思い起こして祈ってくださいというメッセージ。そして10年前を思い起こして、今日教会のホールに置いていた小冊子から、一人の少年殉教者を紹介します。
この少年殉教者は、「わたしを歩かせてください。イエス様はカルワリオ山へ歩いて行かれました」という言葉を残したそうです。
その経緯は、1613年10月7日、長崎の島原半島、有間川の中州で、3家族8人が縛られ、火あぶりの中で殉教しました。信者たちの信仰生活を助けるために、「サンタマリアの組」、「ご聖体の組」、「ミゼリコルディアの組」などを組織していた有馬の教会は、当地で迫害が始まると、1612年、城下町に新しい組を結成しました。「殉教の組」です。これは信者が殉教できるよう祈り、苦行をもって神のおん助けを求める信心会です。これに倣い少年たちも「子供の殉教の組」をつくり、大人に負けないほど熱心に祈り、苦行に励んでいたといいます。12歳の少年福者ディエゴ林田は、このとき、有馬の「子どもの殉教の組」の頭でした。ディエゴは、仲間と共に殉教の恵みを受けるために祈り、組の集まりでは皆を導き、ともに苦行に励んでいました。その殉教の記録は、素朴なこころの少年が、精神的に立派な大人に成長していたことを伝えています。
有馬の信者たちが殉教に立ち会おうと集まってきて、捕らわれた人々をすでに殉教者と呼び、その取次ぎを求めました。すると少年ディエゴは、「死ぬ前に殉教者の名はふさわしくありません。でもその名をいただくのは嬉しいことです」と言いました。そして、「まだまだです。まずオラショ(祈り)を頼みます」と皆の祈りによる支えを願ったのです。
のちに迫害で火あぶりにされたドミニコ会司祭ハシント・オルファネル神父は、ディエゴのこの言葉を日本語のまま記録しています。
ディエゴのこれらのことばは、長崎の潜伏キリシタンが殉教の心得として伝えてきたことを思い起こさせます。
「殉教とは死ぬこと、殉教は神からのめぐみであること、人は皆弱いので、殉教のとき力を与えられるよう、ふだんからいつも祈りと苦行に努めること」などです。

「わたしを歩かせてください。イエス様はカルワリオ山へ歩いて行かれました」
少年ディエゴが残した言葉です。
私たちもイエスのもとに歩いていかなければなりません。必死になって歩かなければならないでしょう。

私たちの教会は、2年前に「次の世代につなぐ」というテーマを掲げて聖堂献堂100年を祝いました。「次の世代につなぐ」、まさにこの殉教者少年ディエゴの心を私たちはもっと大切にしなければ、私たちの信仰は中途半端な形で伝えることになるような気がします。殉教者の思いを伝える「明日の教会を託される子どもたち」というテーマは、私たちにとっても大切なテーマであり、私たちの教会が掲げた「次の世代につなぐ」というテーマに深くつながっていると思います。
幼い少年殉教者は、私たちを信仰の道へと導いているような気がします。神の目からみると私たちも弱く幼い信仰者なのかもしれません。イエスのいのちに出会うため、一人一人に示された十字架の道を歩むことができるよう祈りましょう。』