2021年12月11日土曜日

12月12日 待降節第3主日

 松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ 松村神父】

待降節第3主日 福音のメッセージ 

子供のころは目の前にあるお菓子をたくさん欲しくて、ふところにいっぱい貯めこもうとしたことがあります。「食べられる数だけ取りなさい」という親の注意をしり目に、抱え、結局食べきれず、「だから言ったでしょう~」なんてことはたくさんあったと思います。昨今幼稚園での仕事をしていると、未だにそのような子供に出会えて、懐かしさと同時に我を振り返りさせてくれます。さて私たちはそこから成長しているかと問われるなら・・・・。今となってはそれがお菓子ではなくなっただけで、違うものに変わり、相変わらず成長していないのかもしれません。

今日の福音のメッセージは、まず本日の福音個所をしっかり目を通したうえでこの文章を読んでいただきたいと思います。

前半部で心に入ってきた内容は、私にとって主の祈りの一文「日ごとの糧を今日もお与えください」です。多くの人たちは余分なものを必ず持っています。もちろん私も。いわゆる物心両面におけるストック品ですね。お金はもとより、余分な品、心を満たす事を大切にし、そのために不必要な時間も使っています。  

ヨハネの呼びかけは、自分に与えられた最低限の物「今日だけの糧」、上記で言うならば「食べられるだけの数を取りなさい」に目を向け、その他のものは他者に喜んで分かち合ってほしいとの呼びかけではないでしょうか。すべてを差し出すことも神の愛なのでしょうが、実践する者があっての他者への恵みの分配なのだから、私たちは与えられたものに感謝をこめていただき、分けられるものは存分に与えていこうという、すべての人との間でWinWinの関係、すなわち神の兄弟姉妹に対して隣人愛の実践を要求しています。“規定以上~”というのは正にそうなのでしょう。教皇回勅「兄弟の皆さん」にもこの隣人愛の重要性が強く唱えられていました。分かち合うことの重要さがキーワードなのでしょう。


さて後半部では洗礼者ヨハネが語る、「聖霊と火」とは聖霊による賜物と最後の審判を意味しているのでしょう。ヨハネの水による洗礼の“洗い清め”に加え、後から来る方は“恵みの与え主”であり“裁き主”として来られること。しかし裁きと聞くと恐れを抱かせるが、最大の恵みと救いに導く方であり、そこから一人もこぼれないように救いの道を示され、そこを外れないようにとしてくださる方です。それでも外れる私たちだからこそ、裁きの時に向け、恵みを受ける準備、裁きの前での潔白さを用意するためには、やはり回心しかないという、私たちを愛するからこそのアドバイスです。逆に言うと、私たちは回心させてもらえる。回心の可能性を常に持たせてくれているということこそ、救いの道、裁きの時の慰めへと道を開かれるのでしょう。回心して待つというよりも、私は待降節に回心(ゆるしの秘跡とは別の意味で)が許されるという、いつくしみの愛、私たちを兄弟姉妹として救いたいという主イエスの恵みを深く味わい、「その方(イエス)」が来られることを喜びのうちに待ち望みたいと思います。



【聖書朗読箇所】


希望の源である神、

いつもわたしたちのそばにいてくださる方、

あなたのもとに集まり、キリストを待つわたしたちを、

聖霊によって一つにしてください。

喜びのうちに、あなたを賛美し続けることができますように。

   集会祈願より



第1朗読 ゼファニヤ書 3章14~17節


娘シオンよ、喜び叫べ。

イスラエルよ、歓呼の声をあげよ。

娘エルサレムよ、心の底から喜び躍れ。


主はお前に対する裁きを退け

お前の敵を追い払われた。

イスラエルの王なる主はお前の中におられる。

お前はもはや、災いを恐れることはない。


その日、人々はエルサレムに向かって言う。

「シオンよ、恐れるな

力なく手を垂れるな。


お前の主なる神はお前のただ中におられ

勇士であって勝利を与えられる。


主はお前のゆえに喜び楽しみ

愛によってお前を新たにし

お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」。



第2朗読 フィリピの信徒への手紙 4章4~7節


主において常に喜びなさい。

重ねて言います。喜びなさい。


あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。

主はすぐ近くにおられます。


どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、

求めているものを神に打ち明けなさい。


そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、

あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。



福音朗読 ルカによる福音書 3章10~18節


「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、

一枚も持たない者に分けてやれ。

食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。


徴税人も洗礼を受けるために来て、

「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。

ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。


兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。

ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、

だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。


民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、

もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。


そこで、ヨハネは皆に向かって言った。

「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、

わたしよりも優れた方が来られる。

わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。

その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。


そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、

麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」


ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、

民衆に福音を告げ知らせた。