2022年12月24日土曜日

12月25日 主の降誕

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ】 主の降誕(日中) A年 2022年12月25日 ウルバン神父


“飼い葉桶に寝かせた”


静かな暗い夜でした。冷たい風が吹いている。ほら、野原で何か動いているのではないか。旅する人の姿が見えてきた。ロバも、手綱を持って歩いている人もすごく疲れているようです。ロバの上に冷たい風に震えている若い女の人が座って、自分の服を固く体に巻いている。お腹の中の子を温めようとしているのではなか。男が振り向いて、“ミリジャム、あと少しだよ。見て、ベツレヘムの光が見えてきたよ。もう直ぐ暖かい所で休めるんだよ”と。長い、長い旅でした。ロバもチョコチョコ進み、男の人も疲れて、足を引きずりながら、一歩、また一歩進んでいた。だんだんベツレヘムの家の影が見えてきました。“ミリジャム、大丈夫ですか。着いたんだよ。今は安心だよ”。“はぁぁぁ”と深いため息が聞こえた。

“彼は自分の所に来たのに、自分の民は彼を受け入れなかった”との悲しい体験は、まだ二人を待っていた。安心して、期待する心を持って、ヨセフは最初のドアをノックした。“旅人です。泊めていただけないでしょうか”。断られました。次の門、また次の門をたたいたが、どこも受け入れてくれなかった。“もう夜中だ”と怒った人もいて、“迷惑をかけるな”と叫んだ人、“混んでいるよ、もう場所がない”と、優しく断った人、マリアの状態を見て、急いで門を閉じた人もいた。

二人の悲しみと失望を心の中で感じるでしょうか。私たちがよく元気な声で歌うのは、“門よ、開け、永遠の王が入る”だが、今夜はどこの門も開かれなかった。二人は自分の町の人に無視され、捨てられて、暗い夜に立っていた。ホームレスの孤独を体験した事があるでしょうか。二人は夜の深い沈黙に包まれ、互いを悲しそうに見つめあった。どうすれば良いかもう分からなかった。“ほら、ベツレヘムの近くに洞窟があるんだ”と、ヨゼフが気づいた。その暗い洞窟に入ったら、貧しい暮らしに慣れた二人は安心した。生まれた子を抱いた時、すべての不安と苦労を忘れていた。幸せな夜となった。この偉大な子の最初の王座、最初の寝どころはどこにあるのか。“マリアは子を布にくるんで飼い葉桶に寝かせた”、“私はあなたたちに大きな喜びを告げよう”と、知らされた羊飼いたちは走って来て、喜びの涙のうちに赤ちゃんを抱いて親しんだ。軽蔑されている僕たちも神様に愛されている事を喜んだ。羊たちも近付いて鼻をつけた。豚小屋ではなくてよかった。私達も覗き、子を腕に抱きたいでしょ。心から望めば、この夜には会える。

今夜、イエスはあらゆる道を歩いて宿屋をさがしている。誰か自分の家を開けてくれるでしょうか。あなたの門の前をも必ず通るでしょう。ホームレスになってはいかん。ただ遠くから祈って、クリスマスに参加するのは足りない。主はあなたの心の叫びを待っている。“イエスよ、私の所に来て。私の心はボロボロですが、それでも来てね。あなた無しにもう生きられない。共にいてください。あなたを待っている”。その時、この夜は聖なる夜になる。あなたの中、あなたの家にイエスが生まれてくる。



【聖書朗読箇所】


永遠の父よ、

あなたは、人間を優れたものとして造り、救いのわざを通して、

さらに優れたものにしてくださいました。

神のひとり子が人となられたことによって、わたしたちに神のいのちが与えられますように。

主キリストは、聖霊による一致のうちに、あなたとともに神であり、

生きて、治めておられます、世々とこしえに。アーメン

集会祈願より



第1朗読 イザヤの預言 (イザヤ52章7-10節)


いかに美しいことか

山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。

彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え

救いを告げ

あなたの神は王となられた、と

シオンに向かって呼ばわる。

その声に、あなたの見張りは声をあげ

皆共に、喜び歌う。

彼らは目の当たりに見る

主がシオンに帰られるのを。

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。

主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。

主は聖なる御腕の力を

国々の民の目にあらわにされた。

地の果てまで、すべての人が

わたしたちの神の救いを仰ぐ。



第2朗読 ヘブライ人への手紙(ヘブライ1章1-6節)


神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、 この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。神は、この御子を万物の相続者と定め、また、御子によって世界を創造されました。 御子は、神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れであって、万物を御自分の力ある言葉によって支えておられますが、人々の罪を清められた後、天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。 御子は、天使たちより優れた者となられました。天使たちの名より優れた名を受け継がれたからです。

いったい神は、かつて天使のだれに、「あなたはわたしの子、わたしは今日、あなたを産んだ」と言われ、更にまた、「わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる」と言われたでしょうか。 (むしろ)、神はその長子をこの世界に送るとき、「神の天使たちは皆、彼を礼拝せよ」と言われました。 



福音朗読 ヨハネによる福音 (ヨハネ1章1-18節)


初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。