2016年1月4日月曜日

1月3日(日)  主の公現

主の光が博士たちを導いた様に、私たちの道、私たちに平和をもたらす愛と希望の光が、常に私たちに留まり、全ての人が平和に導かれますように。


今日のミサの中で「この1年、自分に掲げたテーマをより具体的に心にとめて歩むように」と話された後藤神父様の説教が、とてつもなく重くのしかかってきました。昨年、勝谷司教様の年頭司牧書簡を読み「信徒が宣教司牧の中心を担うために敢えて隘路を進む」事を決めましたが、1年が経っても殆どなにも出来ていません。今年はアンケートで頂いた共同体の皆さんのご意見を参考にし、櫻谷委員長を筆頭に役員一致協力して進めなければなりません。


<後藤神父様のお説教概要です>
あけましておめでとうございます。新しい年を皆さんと共に迎えています。
私たちはいつくしみの特別聖年を歩み始め、今日は主の公現を迎えました。
皆さんはミサに与る時、どんな捧げものを持って教会に来られましたか?
どんな供え物を主の祭壇に奉げようとされましたか?
これまで、一枚のホスチアを私たちの捧げものとして、願いや祈りを一枚のホスチアに託せばどれほど素晴らしいか、と言う話をしてきました。
異邦人であった3人の博士は、高価な捧げものを持ちイエスに会うために、命がけで旅をしました。その事を考えると私達も常にイエスに出会うために教会に来る時、どんな祈り、どんな捧げものを持って教会に来られるのかと言う事を考えてしまいます。何の意向も持たずにミサに与るのではなく、自分なりにこんな祈りを奉げる、神に託したいとの思いを持ってミサに参加するなら、私たちの祈りもまた豊かになります。
今年は、特別聖年を歩み、札幌教区100周年、献堂100年の大きな記念行事を迎える年です。特に私たちの教会は「若い世代に繋ぐ」と言うモットーを掲げていますが、「何を繋ぐのか」、そんな事をお思い起こしながら供え物と祈りを奉げて下さい。皆さんはどんな思いで3人の博士たちと同じような旅をしてこの教会に辿り着いたのか、そんな事を考えていました。
主の公現言を祝う集会祈願の祈りの言葉「信仰の光が、星の導きによって御ひとり後を諸国の民に示されました」が私たちを黙想に導いて下さいます。それはまた、遠い地から命がけで旅をしてきた3人の博士の姿を示す祈りの言葉です。博士たちの心の思い、それに重ねて私たちの教会でも、イエスに会うため時間を割き、救い主の顔を仰ぎ見るため、体調が少し悪くても頑張って教会にこられた方も居られると思います。
今日の第1朗読では主の栄誉が述べ伝えられ、答唱詩篇では来たるべき救い主の訪れを賛美する歌がうたわれ、第2朗読では神の決められた計画が啓示され、すべてのキリスト者と一緒に異邦人でさえもその約束に預かるものとされています。
全ての人が神のいつくしみを受け継ぎその約束にあずかるものであると言う事を、私たちは特別聖年のメッセージの中からも受け止めることができます。今日の主の公現のメッセージを黙想していくと、教皇様の意向にも深く繋がる黙想ができます。主の現れを示す博士たちの姿、メシアを探し求める苦労を重ねて旅をし、命を掛けてでも救い主をみたい、マタイの福音記者は、優れた博士たちを強調し、主の現れはこうした博士たちによってよりいっそう世に知られるようになりました。博士たちもこの出来事によって救いの拡がり、全ての人々に及ぶ救いの豊かさが、教会を通して告げ知らされることになっています。
福音宣教も、こうしたイメージで考えることができます。いつくしみの特別聖年を歩み始めた私たち、教皇様の意向と共に私たち一人ひとりの信仰の旅を続けて行きたいと思います。
今年は私たち北一条の信徒にとって特別な1年になります。若い人達に私たちの信仰をどう告げ知らせることができるか、私たちが語り継がねばならない事は沢山あげられます。この1年、其々自分に掲げたテーマをより具体的に心に留めて歩むことができれば、私たちの教会は色々な形で変わって行くことができると思います。いつくしみの特別聖年と合せて考える時、私たちに大切な事は、イエス様が私たちに託した掟に戻ることです。イエスの掟は、心を尽くし、精神を尽くして、神を愛しなさい、そして隣人を自分の様に愛しなさい、です。
愛する事、赦す事の難しさは私たち一人ひとりが経験しています。この1年の歩みの中で、何時も神と共に留まるためには、目に見えない兄弟や隣人を大切にして行くことが私たちに求められます。その信仰の姿を持ち続けることができるならば、私たちは若い世代に信仰の素晴らしさを示す事ができると思います。具体的な祈りは、皆さんが自分の意思で考えて実践していくことです。
主の光が博士たちを導いた様に、私たちの道、私たちに平和をもたらす愛と希望の光が、常に私たちに留まり、全ての人が平和に導かれますように、1年の最初の主日を迎え、主の公現を祝いながら私たちは一人ひとりの信仰の使命を心に刻んで歩んで行きたいと思います。