2019年1月6日日曜日

1月6日(日)主の公現

 この祭日は、神の栄光がキリストをとおして、すべての人に現れたことを祝う日です。

この日のミサは、後藤神父様と簑島助祭の共同司式により行われました。


簑島助祭は今のところ、3月21日に司祭叙階式を迎えることになりそうだということです。この日のミサ後すぐに、神学校へ戻るために空港へと向かわれるそうで、次にお目にかかるのは叙階式の直前になります。
「派遣の祝福」の前に、簑島助祭からご挨拶があり、6年間の神学校生活を感慨深く振り返っておられました。


叙階式を迎えるまでの間の最後の神学校生活が、どうか充実した日々でありますように。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『新聞テレビでは、何をするにも「平成最後・・・」のということばが繰り返されていましたが、この新しい一年が神のみ旨に適う歩みが出来るように、互いに祈りあい、支え合ってゆくことが出来るようにと、今日もまた皆さんとともに祈りたいと思います。
 新しい一年の日々に困難がないように願いたいところですが、年を重ねてくると考えも少し変わってくるような気がします。困難があっても、神への信頼を欠くことなく、希望を失わずに明るく乗り越える事が出来ますようにと考えるばかりのような気もします。
 このことを考える一つは、元旦に、私たち共同体の家族、アンナ水野るりさんが84歳で亡くなられました。家族の方のお話を聞くと、退院するのを楽しみに待っていたということでしたが、神のもとへと帰りました。神の秘められた計画の中で生きている限り、幸せと悲しみ、困難がこの世の中で繰り返されるような気がします。日々の生活の中で信仰、希望、愛がわたしたちの心から離れないようにとみなさんのために、そして、自分のために祈りたいと思います。

 さて、クリスマスを迎えるまでの「待降節」から典礼暦は、来週まで短い期間ですが「降誕節」に入っていて、今日は「主の公現」の祝日です。みなさんの聴いた福音の言葉は、毎年変わることなくマタイの福音が朗読されています。
 新年を迎えたわたしたちに、博士たちの姿をとおして「信仰、希望、愛」を求める心の姿勢が重なるようです。純朴な心をもっていた羊飼いたちの前に天使が現れ、ベトレヘムの幼な子のもとへと導いたように、異境の地にあって真理を求める博士たちは、不思議な星に導かれて幼な子のもとへと導かれたのです。博士たちとは、羊飼いたちのように素朴で、素直な人…、神を探し求め、神のみ旨を求めている善意あふれるすべての人を代表しているかのようです。
 マタイの聖書が書かれたのは紀元81年頃といわれます。当時の社会では、夜空に輝く星は神秘的であり、不思議な世界でした。占星術も盛んであり、東方の博士たちと書かれていますが、マタイ福音では博士たちの名前も人数も書かれていません。星を神の計画、神のみ旨のしるしとみなしてその解釈につとめていたのが占星術師であり、天文学者であったろうと考えられています。星は当時の社会では天使的、霊的存在でした。星は、羊飼いたちをキリストに導く天使と同じような意味合いを持って博士たちに現れ、導かれたと当時の人々は考えたことでしょう。

 キリストはすべての人の救い主でありますが、とくに善意ある人々、キリストを探し求め、真理を待ち望む人々の救い主でもあったのです。その限りにおいては、私たち一人ひとりも、救い主を知らない人々をキリストに導く、星の役割を持たなければなりません。
 「主の公現」の祭日。救い主が世に公けにされたことを記念する祭日ですが、聖書では危険を顧みず、遠路はるばる訪ね来て礼拝する博士たちの熱意に対し、ヘロデや律法学者たちのかたくなな心が比較されています。メシアを一番知っていたつもりの人たちが、メシアから最も遠い人だったというメッセージも語られているような気がします。わたしたちはこのメッセージをどのように受け止めているでしょうか。

 博士たちの姿を崇敬し、憧れる人々の思いは、後のキリスト教伝承を広げてゆきました。聖書では記されていない博士たちの名前もカスパー、バルタザル、メルキオルと異邦人の世界の代表者と理解されるようになったのです。こうして、博士たちの訪問がキリストがすべての民の救い主であること、さらに、キリストが人類待望の救い主であることを示した、そのことを祝う主の公現の日でもあるのです。
 今日の第二朗読の、使徒パウロのエフェソの教会への手紙の最後の言葉も私たちに大切なものとなっています。「異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて、約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者、同じ体に属する者、同じ約束にあずかる者となるということです。」(3:6) 私たちの使命もパウロの言葉によって示されているかもしれません。

 私たちは真剣に救い主を捜し求めて訪問した博士たちの素朴で謙遜な姿を黙想しながら、すべての人をキリストへと導く使命・役割をさらに考えながら、この一年の歩みに結んでいきたいと思います。』