2019年1月3日木曜日

1月1日(火)神の母聖マリア「世界平和の日」

明けましておめどうございます。
新しい年が神の恵みに満ちた一年でありますようお祈りします。

この日のミサは勝谷司教の主司式によるミサでした。
後藤神父様、簑島助祭も共同司式されました。


司教様はお説教の中で、「世界平和の日」教皇メッセージ(2019.1.1)の内容を中心にお話されました。

司教様のお説教の大要をご紹介します。


『今日、1月1日は「世界平和の日」となります。毎年この日のために教皇様はメッセージをくださります。そのメッセージは聖堂の入り口に置いてあります。少し長いメッセージなので皆さんそれぞれ家に帰ってから読んでいただきたいと思います。

今回のメッセージの大きなテーマとして教皇様は「政治家」について述べられています。教会で政治的な話をするのは長い間無視されてきた傾向が続いていますが、私自身といえば「日本カトリック正義と平和協議会」の会長という立場もあり、そのような問題に対して教会がどのような態度で取り組んでいくかということを議論しています。ですから皆さんにお伝えしたいこともたくさんあるのですが、非常に難しさを感じています。いわゆる政治的な話をするときに、どうもイデオロギー的な話へと誤解されてしまいがちであるからです。しかし、今でもカトリック教会が政治的な発言をすることは、福音の精神に乗っ取って、「今、行われていることが本当に”共通善”、つまり全ての人の善のためになっているのかどうか」それが損なわれていたり、あるいは損なわれる危険性がある時に、それに対して警告を発することは、重大な教会の務めであると考えているからです。
今日の教皇様のメッセージで、「政治は市民権と人間活動を築くうえでの基本的な手段ですが、それを司る人々が、人間社会に奉仕するのでなければ、抑圧、疎外、さらには破壊の道具にすらなってしまいます。」そして、残念ながら、今世界の情勢を眺めるならば、対立や人と人との間に壁を作るような動きが非常に顕著になってきており、憂える状況になってきていることは皆さんもご承知のとおりだと思います。
また別なところではこのように書かれています。「政治の役割と責任とは、絶え間ない挑戦です。人間のいのちと自由、尊厳に対する根本的な敬意のもとに行われるとき、政治は愛のわざの卓越したかたちとなるにちがいありません。」政治が”愛のわざ”なのだということはあまり聞いたことのない表現ですが、しかし本当に人間の命と自由、尊厳に関することに直接影響を及ぼすのが政治ですから、その根本的な姿勢の中に人間に対する敬意や愛がなければならないという主張です。
それを受けて「「すべてのキリスト者は、その呼ばれている役割と、社会体制(ポリス)の中での影響力の度合いに応じて、この愛を実践するよう召されています。」と書かれています。

私たちはこの世に生きている限り政治とは無関係でいられません。世界の問題に目を向けると「一体私には何が出来るのか?」というような無力感を感じてしまいますが、しかし身近な問題として日本の社会を生きるとき、私たちの身の回りにはどのような政治的な問題があるのか、それらを政治的な問題だからといって一切口をつぐんで、あるいは目を閉じて見ようともせず、耳を塞いで聞こうともしないならば、それは私たちの務めを放棄していると言わざると得ないのです。
今日本の教会が取り組んできた社会問題はたくさんあります。「移住労働者」の問題。差別の問題。司教団が取り組んでいる脱原発について。死刑廃止。沖縄問題など。

今、教皇様がその中で伝えていることは、特に、平和を作り出すために、恐怖や不信感が支配するこのグローバル化された世界に根強くあるこの閉鎖的なナショナリズム的な姿勢が世界を覆おうとしていますが、それに抗っていくことが大切であると言われています。かつての2度の大戦が残してくれた教訓は、力と恐怖の均衡だけの問題として平和を捉えてはならないということ。しかし今、軍事力の均衡によって平和が保たれるのだという思想が、唱えられ始めている中で、私たちは本当にそれが正しいのかどうか、自分の目と耳で確かめ、その中で自分が何をすべきかを判断することが大切なことと強く勧めておられます。
最後に、平和の元后であるマリア様の歌ったマニフィカトは、まさに平和を作り出す私たちが参考にすべき賛歌です。 マリア様の取り成しを願って私たちのささやかな取り組みが日本や社会を変えていくものになるように強く願ってミサを進めたいと思います。』