2018年12月31日月曜日

12月30日(日)「聖家族」

まもなく2018年が終わろうとしています。
皆様にとってこの一年はどんな年でしたでしょうか?
この一年の神の恵みに感謝しましょう。

この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。


『主の降誕を迎えると次の日曜日には「聖家族」の祝日を祝います。 教会では、祝日の「聖家族」ですが、普通一般には、家族に聖という言葉は、あまりにも畏れ多いことで付けられることはありません。しかし、信仰世界ゆえにこのような表現が用いられるのかも知れません。旧約時代には、神の威厳とそのあまりにも気高い至高性から、神殿などの建物や祭儀に用いる器具や用具などに「聖」という文字を付けることがあったとしても、神との距離を置くために罪深い人間、人には付けることはなかったようです。しかし次第に、祭儀をとおして神への奉仕に特別に召された人には、その人格に反映し「聖」という言葉も使われるようになったようです。新約では、12人の弟子たちにも神への聖への同化の要求として「聖なる使徒」という表現も生まれていくようです。人にも物にも「聖」がつくと言うことは特別な意味があるということで、それには二つの意味があると言われています。一つは、神の栄光を現す輝かしさ・明るさを意味すると言われ、もう一つは、分離を意味して聖と俗すなわち創造者と被創造物、神と人とを区別すると言われます。現代は、耳慣れたことばとしては神からの特別な祝福の意味を持つ「聖別」があり、聖人にゆかりのあるものに対し「聖遺物」ということばももよく聞かれます。大切な事は、偶像崇拝になるのではなく、聖なる人や物をとおして、神の聖性に触れることが大事なのです。

 さて、今日は、父と子と聖霊の三位一体という「天上の聖家族」に対して「地上の三位一体である聖家族」を現している「聖家族の祝日」を迎えていますが、みなさんの描いている「聖家族」はどんなものでしょうか?そして、聖ヨセフと聖マリアの清らかな愛の関係。両親の愛情を一身に受け、言うこ とをよく聞いて、すくすくと育つ幼子イエスがいる。多くの人が思い浮かべる「聖家族」は、まさに一点の曇りもない理想的家族の姿なのではないでしょうか? 一般に聖家族とは、聖母子である聖母マリアと幼な子イエスと聖ヨゼフ (イエスの養父)の3人のことを言います。しかし、中世のレオナルドダヴィンチやラファエロの絵には、マリアの母聖アンナが入ったり、また、幼な子のイエスとヨハネとを中心にマリアとヨゼフそしてエリザベトがいる有名な芸術作も多く家族構成が様々名ものがあるようです。建築家アントニオ・ガウディの設計による有名な教会ではサグラダ・ ファミリアがあり、日本語に訳すると聖家族教会と呼ばれています。

 今日のみことばでは、12歳を迎えたイエスと両親であるマリアとヨゼフが描かれていますが、聖書では聖家族の様子は余り語られてはいません。「幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた」(ルカ2:40)。「それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された」(ルカ2:51~52) とありますが、実際の生活がどのようであったかは、聖書では語られていないのです。今日のみことばで語られている出来事では、両親が心配して三日間も探し回るという情景で、両親の言うことをよく聞いてすくすくと育つイエスの姿がある聖家族のイメージからはほど遠いものではないでしょうか?
 今日の福音で皆さんは、神殿でシメオンが話した言葉を思い浮かべる方もおられると思います。イエスもマリアも苦しまなければならないということ、しかも「剣で心を刺し貫かれる」ほどの耐え難い苦しみが将来あるとシメオンは話されていました。まさに今日の親の心配を考えると、そういう現実が起こってきたということを表している物語だと思います。考えてみると幼な子が生まれた直後に両親は大変苦しい状況に置かれました。幼な子を抱いてヘロデ王が死ぬまでの長い間、遠くエジプトに避難しなければならない、そんな物語が聖書では語られていました。すべてが保証されているような聖家族ではありませんでした。でも私たちが描く「聖家族」の姿は、神に祝福され、幸せに満ちた家族としての憧れがそこにあります。でも今日のみことばのように、その現実は私たちと変わらない苦しみもあった。子育ての悩み、心配もあったと言うことなのではないでしょうか。
 でも私たちが聖家族から学ぶべきことは、マリアの信仰の姿があります。「主を信頼し、信じること」。マリアが私たちに示した模範そのものであります。私たちが聖家族を黙想するとき、祈るとき、沈黙のうちに神の遣わされた御子イエスの現れを見ること。それが聖家族を黙想すること。その黙想の中で奥深い神秘を見つめること。これも大切なことと思います。

 師走を迎え一年も最後となり、この一年を振り返りながらミサに与る方も多いと思います。そして、新しい一年をまもなく迎えますが、聖家族に倣い、家族のつながり、共同体のつながりを、主の計らいの中に見つめ、黙想しながら、どんな時にも互いの成長のために祈りたいと思います。わたしたち一人ひとりも、神の子どもとして愛される人となり、成長することができますように。
 元旦をまもなく迎えますが、日本の元旦は、私たちにとっても大切な一日となります。その日は「神の母聖マリア」の祝日になります。世界の平和のために祈る日にもなります。日曜日以外には1年に二度しかない私たち信徒が「守るべき祝日」であることも忘れないようにいたしましょう。そして、私たちの共同体、私たちの社会、この地上の世界に平和がおとずれることを共に祈る元旦でもありたいと思います。』