2018年12月24日月曜日

主の降誕

主のご降誕おめでとうございます。
この神聖な夜、まことの光であるキリストがわたしたちの心を照らしてくださっています。



私たちはこの日、聖なる、そして平穏で静かな夜を迎えることができました。


後藤神父様のお説教の大要をご紹介します。

『キリスト教の世界では、今宵のイブからクリスマスが始まります。 それは元々、わたしたちの現代と違って太陽の陽が沈み暗くなる夕方から 一日が始まるというユダヤの伝統・習慣が背景にあるからです。ですから、 「タ方が午後4時から11時頃まで」を指してイヴニングと言うそうですが、 いま、この瞬間の時間帯が Evening であり、教会に集うわたしたちはクリ スマスイヴを迎えているのです。すなわち、Christmas Evening から イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスの一日が、明日につながって主 の降誕を祝う事になります。
あらためて、今年も、わたしたちが待ち続けてきた・救い主イエスのご 降誕をみなさんとともに心よりお祝い申し上げます。 初めて教会に来られた方もおられることでしょう。 「ようこそ、お出でくださいました。」お祝いのご挨拶を申し上げます。

今年も、あとわずかとなる年末を迎えていますが、この一年を振り返り 感謝の祈りを心に携えて教会に来られた方もいるのではないでしょうか。
わたしたちの周りで起こった思いがけない事故や災害をとおして思い起 こされる苦しみ・悲しみを乗り越えた日々があったこと・・・。また、 多くの人に支えられての希望や喜びに包まれた笑顔もあったことなど・・・。
わたしは2千年前に、苦しみや困難を乗り越え救い主を待ち続けた人々と同じように、今日わたしたちもクリスマスを祝っているような気がします。
この神聖な夜、まことの光であるキリストがわたしたちの心を照らしてくださるという祈りがそのことを現しています。イザヤの預言の最初のことばは「闇の中を歩む民は、大いなる光を見た」と告げています。 2千年前とこんにちではその情景はあまりにも異なるかも知れません。 たとえ暗やみの中でも、どこへ出かける時には自分の足で歩くことが普通 であった時代は、いま、あっという間に自家用車で教会の門の前に着いてしまいます。闇の世界を導く光は今や車のヘッドライトかも知れません。 でも、わたしたち人間の歩みは、いつも暗闇から抜け出る切なる希望を求め続けていると言えるでしょう。
みなさんの心の中に救い主イエス・キリストの光がなければ平和も希望 も闇に覆われ、緊張や孤独の世界があり、自分さえ見えないままなのです。
しかし、神の遣わされた御子イエス・キリストは、わたしたちの救い主 であり、光へと導いてくださる唯一の方なのです。

誰にとっても人生は順調とは言えません。
聖書に描かれている「イエスの誕生物語」でさえもわたしたちにそのこと を教えています。旅の途中で、身重ものマリアとヨセフの夫婦でさえ, しかも、宿も与えられずに馬小屋での出産という状況でした。 また、「幼な子」と言うだけで命を狙われエジプトへの逃避の旅がありました。
平和を願うわたしたちにも、平和の保証がないのです。 神の救い、キリストの救いこそ、わたしたちの保証となるのです。 わたしたちの心の中に光をもたらすイエスを迎え、祝福を願いましょう。
ヨハネの福音は述べています。
神とともにあったことばは、命となり、光となってわたしたちを照らし 続けると・・・。

救い主の誕生を祝うきょう、幼な子のうちに、キリストの中に神のわたしたちに対する光があります。 わたしたちに与えようとする神のいのちそのものが、生きているのです。 「降誕されたイエスをしっかりと見つめ、そこからわたしたちのいのち、 希望、愛をくみとっていきたいものです。
今日のクリスマスイブと、明日に続くクリスマスの一日を、すべての国 とすべての人に平和が訪れることを願い祈りましょう。』


「主の降誕」ミサの後、カテドラルホールで祝賀会が行われました。