2018年12月24日月曜日

待降節第4主日

クリスマスまで、あと2日となりました。今日のルカ福音書では、イエスを宿したマリアがエリザベトを訪れると胎内のヨハネが喜んでおどる様子が語られます。


この日の後藤神父様のお説教の大要をご紹介します。


『先週は、司教様を迎えての「堅信式」が行われました。そして、19名の方々が受堅されました。わたしたちの心にイエスの心を宿させてくださる聖霊の賜物を受けた受堅者のみなさん、改めてお祝い申し上げます。受堅後の初めての日曜日、どんな気持ちで迎えられたでしょうか?受堅のために2回の学習会をしています。学習の中で繰り返し聞いた「聖霊の七つの賜物」を日本語に訳して言うと、上智、聡明、賢慮、勇気、知識、孝愛、畏敬と言われます。そして、「聖霊の実り」もパウロが聖書(ガラテヤ5:22)で語られ、それは、愛、喜び、平和、忍耐、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。謙遜、貞潔などの訳になっている聖書もあるようです。三位一体の神にまします聖霊でもあり、イエスと切り離すことの出来ない聖霊でもあります。わたしたち一人ひとりも、主の降誕祭を前にして、その賜物によって活かされたいものです。そんなことを考えながら、先週の堅信式を思い起こしています。

 12月を迎え、今年も最後の一週間となり、クリスマスまであと2日となりました。貧しき馬小屋で生まれた幼な子が救い主となるという不思議な思いになってしまいます。 二千年の月日が過ぎた今日、キリストを信ずる人だけでなく、世界中で多くの人がクリスマスを祝う時代に入っているということ、これもまた不思議に思います。偉大なる父である神さま、あなたの限りない愛を感謝します。心からそう言わずにはいられません。
 待降節第四主日からは待ちに待った「イエズスの誕生」の告知が入れられてきます。教会は待降節の最後の主日として、喜びのお告げをマリアとエリザベトを通して強調します。今日はルカの福音に耳を傾け黙想することができます。今日の福音の主役は、聖霊を通して働かれる神なる父の選びを体験し、御子の母となられるマリアであり、マリアのエリザベト訪問の記事が私たちをクリスマスへの思いに向けていきます。今日の喜びのお告げは、すでに旧約からの待望であり、限りない時間の経過の中で困難を乗り越えて待ち続けてきた、果てしない希望でもありました。いま、そのお告げが現実になろうとしています。  わたしたちも先週の日曜日、み言葉を通してヨハネのことばを噛みしめ、道を平らに するように心の準備をしてきましたが、数日の後に、主の降誕・クリスマスを祝います。
みなさんは、待降節の精神を思い起こしながらの準備をしてきました。
 ルカ福音書の中でそれまで別々にのべられてきた、洗礼者ヨハネとイエスでしたが、それぞれの母の出会いによって、互いに生まれる前の母の胎内にいるときに出会うという劇的な場面を描き出しています。それも聖霊に満たされて胎内の子が踊るという表現でエリザベトが声高らかに宣言したときの語りになっています。そして、この出会いは、天使の告げを受け、「主のはしため」から「主の母」 となったマりアが「急いで」ユダの山路を通ってエリザベトのもとに赴く。わたしはマリアの姿に静かにじっと待つのではなく、出かけて行くという行動を通して、その恵みが訪れていることに神の偉大なるメッセージを感じます。それは福音そのもの「喜び」のメッセージでもあります。わたしたちも宣教という言葉にどうしたら良いのだろうと思います。行動するよりじっとしている自分に心を向けてしまいます。でも、福音の喜びは行動することにより、人々と出会うことにより
伝わっていくことを、マリアはわたしたちに示しているのではないのでしょうか。
 マリアの挨拶の声を聞くと、洗礼者ヨハネは、母のエリザベトの胎内で喜びに子踊りしますが、これは、創世記に物語られている「ヤコブとエサウの誕生物語」(創世記25:21-26)の中で、リベカが宿した二人の子供のことを思い起こさせます。神は、この二人の胎児についてこう説明されます。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(同25:23)新約聖書とは少し趣が違うと思います。旧約聖書の場合、胎児はそれぞれの国民の祖であり、それらを代表しています。エリザベトとマリアの場合もそれと同じで、洗礼者ヨハネは、キリストを信じる民の祖として将来果たすべき役割をすでにここで果たし、その「子踊り」によって自分の母に「主の母」の到来を告げているのです。旧約の時代から待ちこがれてきた喜びの中で最高のもの、それが救い主イエス ・キリストの誕生とも言えるでしょう。主が告げられたことを信じたマリアの訪問が、エリザベトやその胎内のヨハネに主の到来の喜びをもたらしたのです。

 今日、私たちに告げているルカの福音。ルカは、後に「神のみことばを聞いて、これを行う者こそ、わたしの母であり、わたしの兄弟である。」(ルカ8:22)といい、「幸いな者は、神のみことばを聞いて、それを守る人である、」(ルカ11:28)。まさに、マリアに繋がるみ言葉でもあります。マリアはこのみ言葉を自分の信仰によって生きた人です。このみ言葉はわたしたちにもいえるみ言葉だと思います。
 神のみことばを信じ待ち続けた人の喜びが、わたしたちの心もひとつになって、主のご降誕の喜びの日に訪れることを祈りましょう。』