2023年3月26日日曜日

3月26日 四旬節第5主日

 ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてお送りします。




【福音メッセージ】 四旬節第5主日A年 2023年3月26日 ウルバン神父“イエスは涙を流された“


“主よ、あなたの愛しておられる者は病気なのです”とイエスは知らされたが、姉妹マルタとマリアが泣きながら待っているのを知って、なお二日間、動きませんでした。“主よ、どこにいるのか、早く来てください、必死に待っているよ”と涙のうちに呼びながら、村の入り口まで走って行って、遠くまで覗こうとしたが、何も見えませんでした。“どうして来ないか分からないが、いつかきっと来ます”と、姉妹達は互いお慰めあって。

ある時、5歳の信者のかわいい女の子が病気になった。頭の中にがんがあった。お父さんも、私も何回も子供の床のそばに立って祈っていたが、病気はますます悪くなって、頭はがんでスイカのように膨らんできた。信者ではない母親は泣きながら私達の祈る姿を見ていたが、慰めになりませんでした。子供が死にました。教会へ行って、教えてもらいなさいと、主人に勧められたが、娘を助けに来なかった神様に心を開けませんでした。教会から家へ戻った時、いつも深いうつに沈んだ。もう来なくなった。娘は神様に愛されなかった。何年か後、母もイエスに出会って、子も愛されて、光に生きていることを知った。長い暗闇の道を歩いた後、顔に微笑みが戻った。

マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行って、イエスの足元に平伏した。イエスは慈しんで手を伸べて言った。“私を信じる者は、死んでも生きる。信じる者は決して死ぬことはない。マルタ、このことを信じるのか”。マルタはイエスの顔をみて、“はい、主よ、私は信じております”と、答えた。イエスは、ご自分の足元にひれ伏し泣いている姉妹マリアと、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見た。その時、イエスは心に憤り、涙を流された。

この主の涙は私たちの心に響いています。忘れる事が出来ません。主の心の中を見ているのではないでしょうか。このイエスに私もついて行きたい、ゆるぎなく信じたいのです。今日もイエスは私とあなたに手を伸べて話しています。“我が子よ、我が愛する子よ、私はあなたを見ています。あなたの毎日の苦労、体と心の疲れ、周りの理解できない暗闇、あなたの疑い、力と弱さ、悲しみと喜び、あなたの夢、心の餓え渇き、全て知っています。いつもあなたに近いのです。道が見えなくなっても、もし信じるなら、我が子よ、あなたも神の栄光が見られる”。

もう何十年も前の事です。丁度、ドイツにいた時、父母の結婚金祝に参加する事が出来た。大きな喜びでしたが、もうすぐ、別れのつらい日が来ました。母にがんの病があって、もう長く生きる事はないのを知っていた。出発の朝、母はもう一回私を静かな所へ呼んで、私に別れの祝福を与えた。いつも聖水で頭、胸、肩に泣きながら十字架のしるしをしたが、今回は泣きませんでした。私が泣いた。母の最後の言葉はまだ心に響いています。“今度、天国で会おう”。それは別れの言葉でした。マルタが言われた言葉、“信じれば、神の栄光を見る”は、母の中に生きていた。神に賛美。



【聖書朗読箇所】


全能の、神である父よ、

  御子キリストは、人々を愛してみずからを死に渡されました。

  わたしたちも、この愛のうちに力強く歩むことができますように。

会祈願より



第1朗読 エゼキエルの預言 (エゼキエル37章12-14節)


主なる神はこう言われる。わたしはお前たちの墓を開く。

わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く。


わたしが墓を開いて、お前たちを墓から引き上げるとき、

わが民よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。


また、わたしがお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。

わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。

そのとき、お前たちは主であるわたしがこれを語り、

行ったことを知るようになる」と主は言われる。



第2朗読 使徒パウロのローマの教会への手紙 (ローマ8章8-11節)


(皆さん、)肉の支配下にある者は、神に喜ばれるはずがありません。

神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。

キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、“霊”は義によって命となっています。


もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。



福音朗読 ヨハネによる福音 (ヨハネ11章1-45節)


(そのとき、)ある病人がいた。マリアとその姉妹マルタの村、ベタニアの出身で、ラザロといった。

このマリアは主に香油を塗り、髪の毛で主の足をぬぐった女である。その兄弟ラザロが病気であった。(ラザロの)姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。

イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって栄光を受けるのである。」

イエスは、マルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。ラザロが病気だと聞いてからも、なお二日間同じ所に滞在された。それから、弟子たちに言われた。「もう一度、ユダヤに行こう。」


弟子たちは言った。「ラビ、ユダヤ人たちがついこの間もあなたを石で打ち殺そうとしたのに、

またそこへ行かれるのですか。」

イエスはお答えになった。「昼間は十二時間あるではないか。昼のうちに歩けば、つまずくことはない。この世の光を見ているからだ。しかし、夜歩けば、つまずく。その人の内に光がないからである。」

こうお話しになり、また、その後で言われた。「わたしたちの友ラザロが眠っている。しかし、わたしは彼を起こしに行く。」弟子たちは、「主よ、眠っているのであれば、助かるでしょう」と言った。


イエスはラザロの死について話されたのだが、弟子たちは、ただ眠りについて話されたものと思ったのである。そこでイエスは、はっきりと言われた。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう。」すると、ディディモと呼ばれるトマスが、仲間の弟子たちに、「わたしたちも行って、一緒に死のうではないか」と言った。


さて、イエスが行って御覧になると、ラザロは墓に葬られて既に四日もたっていた。ベタニアはエルサレムに近く、十五スタディオンほどのところにあった。

マルタとマリアのところには、多くのユダヤ人が、兄弟ラザロのことで慰めに来ていた。マルタは、イエスが来られたと聞いて、迎えに行ったが、マリアは家の中に座っていた。


マルタはイエスに言った。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに。しかし、あなたが神にお願いになることは何でも神はかなえてくださると、わたしは今でも承知しています。」

イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」


マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」

マルタは、こう言ってから、家に帰って姉妹のマリアを呼び、「先生がいらして、あなたをお呼びです」と耳打ちした。マリアはこれを聞くと、すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った。


イエスはまだ村には入らず、マルタが出迎えた場所におられた。家の中でマリアと一緒にいて、慰めていたユダヤ人たちは、彼女が急に立ち上がって出て行くのを見て、墓に泣きに行くのだろうと思い、後を追った。


マリアはイエスのおられる所に来て、イエスを見るなり足もとにひれ伏し、「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言った。

彼女が泣き、一緒に来たユダヤ人たちも泣いているのを見て、(イエスは)心に憤りを覚え、興奮して、言われた。「どこに葬ったのか。」彼らは、「主よ、来て、御覧ください」と言った。


イエスは涙を流された。ユダヤ人たちは、「御覧なさい、どんなにラザロを愛しておられたことか」と言った。しかし、中には、「盲人の目を開けたこの人も、ラザロが死なないようにはできなかったのか」と言う者もいた。

イエスは、再び心に憤りを覚えて、墓に来られた。墓は洞穴で、石でふさがれていた。

イエスが、「その石を取りのけなさい」と言われると、死んだラザロの姉妹マルタが、

「主よ、四日もたっていますから、もうにおいます」と言った。

イエスは、「もし信じるなら、神の栄光が見られると、言っておいたではないか」と言われた。


人々が石を取りのけると、イエスは天を仰いで言われた。「父よ、わたしの願いを聞き入れてくださって感謝します。わたしの願いをいつも聞いてくださることを、わたしは知っています。

しかし、わたしがこう言うのは、周りにいる群衆のためです。あなたがわたしをお遣わしになったことを、彼らに信じさせるためです。」

こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた。イエスは人々に、「ほどいてやって、行かせなさい」と言われた。

マリアのところに来て、イエスのなさったことを目撃したユダヤ人の多くは、イエスを信じた。


※コロナウィルス感染症拡大でミサに参加できない信徒の皆様に、主日の神父様の説教と聖書朗読箇所をお届けして参りました。

先日、勝谷司教よりミサ参加の各種制限撤廃が発表されたことを受け、各小教区でもコロナ前の状況に戻りつつあります。

「主日の福音メッセージ」は今回の配信で最後となります。これからは、ミサで神父様の説教と聖書のみ言葉にご一緒に耳を傾けて参りましょう。