宮古市で震災ボランティアとして活動されている当教会の武田俊一さんからメールでお便りが届いています。以下その内容をご紹介させていただきます。
4月17日 午後8時30分司教館集合 先発隊で帰札の手稲教会阿部さんから現地の状況等の報告を受ける。午前0時苫小牧発青森行き川崎汽船のフェリー乗船。
4月18日 午前9時15分青森港着、東北自動車道を南下、盛岡市から宮古市へ向かう。 午後2時45分カトリック宮古教会着。到着後すぐに着替え、宮古市磯鶏(そけい)地区の排水溝の土砂、汚泥処作業を実施。悪臭が鼻をつく。マスク、ゴム長、ゴム手袋、上下の合羽、ゴーグル、帽子は必需品。
午後6時作業終了、宮古市に銭湯は2軒しかなく、本日は定休日で汗を流すことが出来なかった。女性陣には気の毒。ちなみに、今回は10代(1名)、40代(1名)、60代(2名)、70代(1名)の5人の編成です。
宮古市内で信号機の故障箇所の交差点で手信号の担当警察は道警です。親近感わきます。
夕食は、パスタと野菜炒めとインスタントスープ。
4月19日 午前7時40分教会出発、山田町の災害ボランティアセンターへと向かう。朝から小雨模様で寒い、センターで受付を済ませ、山田北小学校へグランドのヘドロ除去作業を他の団体約100名で行う。昼近くに霙交じりの悪天候になり、午後からの作業は中止となる。
山田町の被災状況は、悲惨そのものです。町が1個消えてます。そこにはがれきとヘドロの山の光景しか有りません。教会に戻り、早速銭湯に行き冷えた体を温める。夕食は、カレーライスと野菜サラダ。
4月20日 午前中は、宮古市津軽石地区で被災された教会信者の白石さん宅のヘドロに埋まった食器の掘り出し作業です。猛烈な悪臭が鼻を付き目眩さえ感じる。被災地の作業は、破傷風の恐れがあり怪我には気を遣う。
夜8時過ぎ、白石さんの奥様から携帯に電話入る。最初は今日のお礼の挨拶でしたが、その後は「どうか電話を切らないで聞いてください」と被災したときの状況、最後には愚痴まで涙を流しがら約1時間ほど話された。途中私ももらい泣きしました。
4月21日 本日は午後3時まで、やはり教会信者の自宅のヘドロ除去作業。途中、自治労のパトロールの二人が顔を見せて土嚢袋を置いていった。相手は札幌から来たと言ったけど、こちらは敢えてどこから来たか話さなかった。
夜6時から聖木曜日のミサに与る。
4月22日 午前中宮古市役所裏手の山の上に在るというカトリック墓地に行く。ここはもう何年も手入れをしてないとかで山道もなくなっていて、教会の伊藤さんの案内で何とか十字架の目印を見つけた。十字架の近くにお墓があるはずというが、何年も経っていたのですっかり竹林になっていて探すのに一苦労した。竹林刈りを済ませ帰りました。
04/23 朝から冷たい雨が降っている中を山田町の災害ボランティアセンターへ行く。宮古市から約30kmの距離です。
雨のため屋外作業は中止で役場の隣の公民館にある物資センターでの作業です。全国から来る救援物資の荷受け作業と避難所や小学校などへの食料、生活用品の仕分けです。JR東日本の人たちと一緒に働きました。
午後6時からの復活徹夜祭のミサに与りました。
04/24 一週間ぶりの晴れです。宮古教会向かいの公園の桜が満開です。
上杉神父様の指示で今日は完全休養日にしなさいということでした。宮古のミサは午前10時半からです。
昨日二人の女性が洗礼の喜びに授かりました。時期が時期なのでお茶で御祝いしました。
午後3時頃から普段教会に来られない方、津波の被害で避難所にいる信者さんをマルコ神父様、信徒の方と私が運転して復活の玉子と御聖体を運びました。鍬ヶ崎小学校の避難所にいる信者さんには、遠いところから来てくれ有り難うと心から言われました。感謝!!
04/25 28日にバザーを開くことになり、教会に寄せられた支援物資の仕分け作業をしました。北海道からもたくさん来てますよ。