2018年8月26日日曜日

年間第21主日

イエスの話につまずき離れていった多くの弟子たち。
そんな中でペトロの力強い信仰告白がありました。

聖体拝領の前に、私たちはいつもペトロに倣い唱えています。
「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日、聞いた聖書の言葉は、皆さんの中でどのように響いていたでしょうか。
先週のお説教でも少し触れましたが、今年は本来B年なのでヨハネの福音ではなかったはずですけれど、8月の日曜日はずっとヨハネの福音が読まれます。パンの奇跡の話からご聖体に至るまでの話がテーマになっており、今日の福音まではヨハネの福音が読まれ私たちはみ言葉に耳を傾けています。来週からはまたマルコの福音に戻ります。

今日の福音は先週に続いて、カファルナウムの神殿でイエスから話を聞いた人々の反応が具体的に表されます。
福音の最初では、イエスの話を聞いて人々は言います。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」今日は私たちに語られた言葉を深く心に留めていきたいと思います。
今月はずっとパンの話が続いていました。そして、先週からはパンの話はイエスのからだと深く繋がっているという内容に変わってきていました。イエスが「わたしのパンとはわたしの肉のことであり」、さらに「血を飲む、肉を食べることによって永遠のいのちを得る」と話したことによって、それを聞いたユダヤ人やイエスの多くの弟子たちがつまづくことになりました。イエスの話を聞いてつぶやき、離れていった弟子たちと、イエスのことばを理解するためにあくまでイエスに従う弟子たちとの対比が描かれています。

イエスの弟子たちには、イエスのごく近くにいて従う12人の弟子のほかに、”大勢群衆がイエスの後を追った”とあるように、12人以外にもたくさんの弟子たちがいたようです。大勢の弟子たちの中には「つぶやくな!」と言われているのに、つぶやいたり、つまずいたりする弟子もいたということが今日明らかにされています。
イエスは、わたしが父によって生きるように、わたしを食べる者も生きると言われ、ご自分が「天から降ってきたパンである」と応えました。しかし弟子たちの多くの人々は、そのイエスのことばがなかなか理解できないのです。イエスはさらに「人の子がもとにいた所に上るのを見るならば・・・」ということも言っていました。
天はイエスにとって”以前いたところ”と語られています。今の私たちは、イエスが御父と一体の方である、にも関わらず、御父から子としてこの世に遣わされて救い主となった方でもある、と理解しています。ですから天は、”以前いたところ”という表現も私たちは受け止めることが出来ると思います。私たちはキリスト教の歴史についても多少学んでおり、そして聖書も度々読み学び、イエスの受難と十字架の死や復活を知り理解し、それを信じる信仰を生きています。しかし今、聖書の中で語られている人々はどうでしょうか。当時の人々はまだそのこと理解できていません。なぜなら、イエスはまだ十字架に架かっていないときの話をしているからです。「これからわたしはエルサレムに行って裁かれて十字架に架かって死ぬ」と、そのような話はし始めているけれど、当時の人々はそのような話を聞いてもピンと来ないし、「死ぬなんて、そんなことは言わないでください」と、そのような形でしか受け止めることが出来ませんでした。いま私たちが聖書を聞いて、受け止めようとしていることと、当時の人々がイエスの話を聞いて理解できることには大きな隔たりがあったということです。

イエスのことばを理解するためには、今日のみ言葉では”肉は役に立たない”と述べられています。
聖書で言われる”肉”とは、神との関わりを欠き、人間に過ぎない自分の思いに固執する人を指しているようです。私たちも少し考えてみれば、自分の”肉”の欲望に支配され、左右されてしまうことは多いかもしれません。それはある意味で神との関わりを切り離す欲になってしまうような気がします。
一方、神の霊に導かれてイエスのことばを聞くならば、それを信じることができる。イエスのことばは私たちの心の中にすんなりと理解し収まってくれる。霊であり、いのちであるイエスのことばは、神からのいのちをこの地上にもたらし、肉である人間を生かすのだといわれます。
このようにして、イエスの説得にも関わらず、多くの弟子が霊に背を向けて離れていく者がいた。一方でイエスと共に歩もうとイエスにさらに向かう弟子たちがいたのです。
霊によって生かされる世界を示す、まさにその時、ある多くの弟子たちは離れ、イエスのもとより引き返してしまう弟子たちがたくさん出てしまう。キリスト者と呼ばれる人々が多くなるにつれて教会共同体にも迫害の嵐を前にする、そういう時期になっていました。困難とは外からの迫害ではなく、今日のみ言葉でいえば、イエスのことばが理解できないという内側からの迫害・困難であったようです。神に近づくための困難には、様々な困難があります。迫害もあります。霊の働きを受けることができなければ、自分の内側から神との距離をさらに持ってしまうこともあるということが語られます。
彼らは”肉”に留まり、自分の知識に閉じこもることでイエスのことばが聞き取れなくなってしまう。私たちは時々、そういうことを感じます。人と話をしている時にもそんなことを考えてしまうことがあります。いくら教会に来て、聖書や神様の話を聞かせてくださいと言われる方でも、心を閉じたままで、ただ頭にだけ話を聞かせてくださいと、心を開かない人が時々おられるような気がします。心を素直に開かなければ、知りたいこともなかなか受け入れることが出来ないのではないでしょうか。

イエスはそのような人々を見ながら言います。「あなた方も離れていきたいか」そして 12人の弟子たちに同じ質問をします。でも弟子たちは他の弟子たちと違っていました。ペトロが代表して答えます。それはイエスの信仰へと招く問いかけに対する答えです。私はこの問いに答えたペトロの言葉が感動的に感じています。
ペトロは、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」このようにペトロは信仰を告白しました。
私は弟子たちを代表してペトロが答えたと言いましたが、ペトロの答えの中に「あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」と、このように”わたしたち”という表現を取ったことが、弟子たちを代表したのだろうと推察しました。
このペトロの告白・決意の表明は、イエスが神に由来する特別な存在であることを表明しています。信じることによって、霊に生かされた世界へとイエスと共に歩き続けるペトロの新しい出発がありました。
このペトロの信仰告白は、毎週日曜日に皆さんも同じように宣言・信仰告白しています。気付かれているでしょうか。聖体拝領の前に司祭がイエスの御からだとなったご聖体を高く上げて「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」と司祭が唱えた後、皆さんが答えます「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう」と。
まさに今日の福音でペトロが信仰告白したその言葉を、私たちもミサの中で毎回聖体拝領の前に信仰告白として使っています。

イエスを離れた弟子と、イエスを信じ従った弟子たちの違いを、どうように私たちは見つめることができるでしょうか。”肉”の目でイエスを見るとイエスは単にガリラヤで育ち、大工ヨセフの息子であり、十字架で死んだ一人の人物としか見えてきません。しかし、”霊”の目でイエスを見る者には、イエスが真に神の子であり、どこで生まれたのか、そして十字架の死に対しても「以前いたところに上る」とイエスを見ることができるのではないでしょうか。受難のイエス、私たちは磔刑のイエスをいつも主の祭壇で仰ぎ見る、そういう信仰生活をおくっています。

霊に生かされた世界へとイエスとともに歩き続けようと決心したペトロに私たちも倣い信仰告白をして、今日もご聖体をいただこうとしています。聖体をとおして、キリストに結ばれる私たちが、互いに支え合い、ともに信仰の道を歩み続けることができるよう祈りましょう。』

2018年8月19日日曜日

年間第20主日「いのちのパン」

今日もまた”キリストのからだ”をいただく私たち。
イエスの教えと死の意味を深く心に留めましょう。

この日のミサは、後藤神父様と簑島助祭の共同司式でした。
神学生の千葉さんも侍者として奉仕されました。


ミサの後、カテドラルホールで「聖母被昇天」の祝賀会が行われました。皆で聖歌を唄ってマリア様をお祝いしました。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『聖母被昇天やお盆を迎えた一週間でした。
この一週間の間に悲惨な事件もありましたが、うれしいニュースもあり、喜びが心の中で続いています。誰もが心配していた山口県の行方不明になった2歳の男の子のことです。藤本理稀(よしき)ちゃんという男の子が無事に生きて帰って来られた。2歳になったばかりの子供が行方不明になって三日過ぎた。きっと誰もが最悪の状況を考えてしまった、そんな気がします。でもそれを口にするのははばかられました。奇跡の生存で発見されたとき、この子供のお母さんが私たちが想像していたその思いを言葉にしていました。「もしかすると亡くなっているのかもしれない」お母さんも追い詰められていたそんな状況の中で、奇跡の生還を果たしました。何よりも本当に2歳の子が三日間、山の中で真っ暗な世界で過ごしていたということを考えると、本当に私たちはどのようにして頑張って生きておられたのかなと、そんなことを考えてしまいました。
私はきっと2歳の子の心の中には私たちが気付けない心の傷があるのではないかなと考えてしまいます。一日も早く、そうした心が癒されるように祈りたいと思います。
県警や消防の人が約400名程動員され捜索していたにも関わらず、発見したのはボランティアで前日に県外の大分県から訪れた78歳の尾畠春夫さんという方でした。皆さんもテレビでその方の姿を見たことと思いますが、一刻も早く見つけてあげたいという思いで、一人で朝6時に山に向かったそうです。そして30分ほど経ってその子供発見した。400名近くの方々が、行方不明なった近くを丹念に捜索していたようですが、地元の人たちが発見できなかったにも関わらず、他の県からボランティアで来た”おじいちゃん”が山に入って30分ほどで発見したということに驚きを感じました。この方は、65歳で仕事を辞められてその後は世の中のために働きたいとボランティアに勤しむ生き方をされている人でした。昨日の道新の朝刊では、この人のことをもう一度取り上げて、こんな表現をしています。「おとこ気にあふれ、曲がったことは大嫌い、困った人を見れば助けないではいられない。映画やドラマに登場する一心太助のような人」とその心意気を称賛する記事が出ていました。皆同じ気持ちではないでしょうか。本当に感心するボランティア精神をテレビでも語られていました。
この一週間の中で、私はそのニュースを今も心に留めています。奇跡の生存と言えるのでしょうか。私たちは福音をとおしてパンの奇跡に驚いていますが、現代もきっと奇跡は起きているような気がします。

福音に入っていきます。パンを増やすイエスの奇跡から始まったみ言葉は、今日も続いています。「わたしは天から降って来た生きたパンである」という聖体についての話に変わっていきます。今日読まれた福音の初めは、先週読まれた6章51節の結論が再び繰り返されています。珍しいことかもしれません。「このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」というイエスのみ言葉。今日の福音ではそのイエスのお話がユダヤ人の人々を驚かせたとあります。「パンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」ということに疑問を投げかけたイエスのことばです。
もし、イエス・キリストが神から遣わされた方であること、そしてイエスのその生涯を知らない人が今日の聖書の箇所を読んだらどのように受け止めるでしょうか。やはりびっくりするような内容になっている気がします。信仰を持たない人にとって、イエス・キリストを知らない人にとって、人の子の肉を食べるとか、わたしの血を飲むものとか、こうゆう表現はきっと顔をしかめるのではないでしょうか。あまりにもグロテスクな内容に聞こえてきます。でも信仰を持つもの、イエス・キリストがどんな人であり、どんな生涯をおくったかということを知っている人にとっては、そこまでの大きな疑問を持たずにそのことを受け止められるのだと思います。初めてこういう言葉を聞くとどうしても驚かれる方が多いような気がします。数えきれないくらいの宗教が現代の私たちの世界でもありますけれど、自分の肉を食べさせるという宗教はキリスト教以外にあるのでしょうか。そんなことも考えさせられます。でも考えてみると、これこそ私たちの信仰するキリスト教の特徴ではないでしょうか。でも私たちもキリストの肉を食べるということを正しく正確に理解していかなければ、キリスト教の理解を十分にしているとは言えないような気がします。私たちももっと深くこの”キリストの肉を食べる””キリストのからだであるパンを食べる”ということを深めていかなければならないような気がします。

今日読まれた聖書のことば、福音の中には、”食べる”という言葉が何度も繰り返し出てきています。皆さんは気付かれたでしょうか。”食べる”という言葉が8回繰り返し出てきています。日本語では”食べる”ですけれど、聖書の原文では少し別な描写の言葉も使われているそうです。日本語では全て”食べる”という訳になって8回になっていますが、原文では違った言葉も”食べる”と訳されています。三度目に”食べる”という言葉が使われている箇所のニュアンスは、このような意味があるそうです。イエスが十字架上で殺されますけれど、私たちがそうしたイエスと一つになるのでなければ、命はない、という意味を持った”食べる”という言葉が使われているのだそうです。イエスはどんな人か、どんな使命を持ってどんな死に方をしたか、そういうことを含めた言葉になっているそうです。
このように見ていくと、この後に出てくる”血を飲む”という表現も深い意味を持って、私たちに語られているようです。”血を飲む”という表現はいけにえと関連します。血は命であり、命は神のもの、という考えから、血を流すこと、血を飲むことは厳しく禁じられてきました。しかし私たちは旧約聖書を読むと、血の話がたくさん出てくることに気付いています。「祭壇の上で、いけにえの血を流し神に捧げ・・・」このような表現は何度も旧約聖書の中に出てきます。特にレビ記の中では「人の命をつぐなうのは血である」という表現もとられているほどです。ですから罪のつぐないとして、動物を捧げ祭壇上で焼き尽くす”いけにえ”として血を流し、罪を清めていただく。そんな表現が旧約聖書の中で語られています。
「人の子の血を飲む」とは、私たちの罪の償いとして、十字架上で殺されるイエスの命と一つになるということを意味していると言えるようです。「血を飲む」そして「肉を食べる」という二つのこれらの言葉は、イエスの十字架上で私たちのために殺されるという神秘が前提として含まれるということでもあります。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む人は、わたしの内にいつもおり、わたしもまたその人の内にいる」ここで使われる”食べる”という意味は、よく噛んで食べる、しっかりと受け止める、このような意味合いを持っているようです。それはイエスの十字架、贖いをよく理解し、受け止めなければならないということにもなってきます。

私たちは今日もまたイエスのパンをいただくわけですけれど、祭壇上で聖変化してパンとなられるイエス自身が私たちのミサと深く関係してきます。聖体の神秘と一つになっています。私たちがミサに与るという時に、この十字架で贖われたイエスと深くつながっていくということも、私たちはもっと理解していかなければならないような気がします。
今日も聖体によって、信じる人々の上にいやしを与えてくださる聖体が私たちのもとに届けられます。この今を感謝して聖体につながれ一つとなることができるように今日もまた心を一つにして祭壇の前に一致したいと思います。』

2018年8月16日木曜日

8月12日(日)年間第19主日

1981年に訪日された教皇ヨハネ・パウロ二世は
「平和は単なる願望ではなくて具体的な行動でなければならない」
というメッセージを残されています。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

『8月も中旬に入ります。先週、8月の6日と9日は広島と長崎の原爆投下、被爆の記念日でした。終戦から73年という月日が流れています。そして近づく15日は聖母被昇天、教会の祝日になります。この8月15日は日本では終戦記念日にもあたります。その終戦記念日を間近にして今年もテレビでは戦争の悲惨さを伝えるドキュメント番組が放映されていました。少し戦争をテーマにし今日はお話をしたいと思います。

  73年という歳月が流れていますが、73年という月日が流れても戦争にかり出された友を失う。そして終戦を迎え日本に還ってきて、今は高齢者として元気に過ごしている方がたくさんおられます。長生きできた幸せよりも、自分だけが助かったという心の葛藤を抱えるその声に、今なお戦争の悲しみ苦しみに心を痛めておられる方がたくさんおられます。友や仲間の死を想い出すとともに、生きて還ってきた人たちは申し訳ない気持ちで苛ませられて、そんなお話を語る人がいます。命令が絶対であった。従うしかなかった。あの戦争は何だったのだろうか。今、元気に幸せに生きている高齢者の中で戦争を体験した人は、友の死を胸に手を合わせているんだと語っています。
   8月15日、日本ではお盆という習慣でもありますが、皆さんはどんな想いが巡ってくるでしょうか。お盆というと私も小さい時分に、母の弟が戦争で亡くなっています。ですからお盆になるといつも古ぼけた白い小さな写真が飾られて、供え物がそこにありました。私は小さい時分からその人がどんな人なのかあまり理解できないで見ていましたが、大きくなって母の弟であるということを聞かされています。もちろん私は会ったことのない叔父さんにあたりますが、二十歳を少し過ぎただけで戦争で亡くなったということで、母は毎年お盆になるとその写真を飾って供え物をあげていました。皆さんの身内の中で、親類の中で戦争で亡くなった方がおられると思います。

 NHKのBSのスペシャル番組として、「父を捜して~日系オランダ人 終わらない戦争~」というタイトルで放映がありました。夜中の放送でした。私は番組の最初から気づきませんで、途中からでしたがその番組に食い入るように観ていました。インドネシアのお話でした。インドネシアでポルトガルの支配下にあったインドネシアの人たちのお話し。そして支配を続けていたポルトガル人のお話し。そこに日本の兵隊はインドネシアに入って戦争をし、インドネシアをポルトガルの支配から解放したというお話しでした。インドネシアの現地の人たちは、長いことポルトガルの支配下で苦しみを受けていましたので、日本兵が加わってポルトガルと戦って日本が勝つて自分たちが解放されたと、いっとき日本に対する感謝の念がインドネシアにはあったそうです。でも、勝ってそれほど長い時間かからないうちに日本は戦争で負け敗戦国になります。 また、インドネシアの人たちはポルトガルの支配になり恐れました。
 そういうテレビのドキュメンタリーから入って放送されていましたが、その戦地で日本兵との間に生まれ、(今は戦後73年経っていますが)70歳を過ぎた人のお話がずっとドキュメントで放送されていました。現地で日本兵との間に生まれた子供のお話です。敗戦になり日本が負け兵隊が日本に送還されていく。そんな引き揚げた父親を捜す人々が今もいるという、そんな話で番組は進んでいきました。現地で日本人のお父さんの子供として生まれた二人の娘さんがそこにおられます。どちらも70歳を超える年代に入っています。上のお姉さんは敵国日本に良くない感情を抱いています。日本兵はその女性と結ばれて子供を二人産んでいるわけですが、その女性のお母さんは日本兵の手榴弾が家の中に投げ込まれてご主人を失っています。ですから産まれた二人の娘さんにとってはお婆ちゃんにあたるのですが、お婆ちゃんのご主人は日本兵の手榴弾によって殺されている。その後、二人の娘さんのお母さんは再婚して、また子供をもうけることになります。ですからひとつの家族の中で日本人の子供ともう一組の違った血をいただいた子供が生活することになります。お婆ちゃんにとっては、自分の主人を殺した敵国日本の血をひくお孫さんの面倒をみることになりました。その二人の娘さんのうち特にお姉さんの方はお婆ちゃんから常にいじめられた。小さい時からお婆ちゃんに抱かれたことは一度もありません。そういう状況でした。ですから上の娘さんはお父さんの顔はもちろん知りませんが、日本に還ったと聞かされ、お父さんを敵としてサタンにような形として育ってきています。下の娘さんは日本が敗戦となってお父さんが日本に還ってから誕生していますので、そういう事情も見えてきません。お婆ちゃんは上の子よりも下の子の方を可愛がったと思います。ですから姉妹同士でなかなか心をうちとけて話し合える状況ではなかったと言います。でも、60、70歳を超えるようになると二人のうちの一人は、自分がどのように生まれたのか知りたくてしようがない。自分の父はどういう人だったのか。お母さんとどのよういな関係をもって自分たちが産まれたのか。そういうことがとても気になって日本の名前を調べ、日本と連絡のとれる仲介者をとおして家族と出会ったということです。
  そういうお話しが続いて、日本の家族と出会っています。それも番組で放送されていましたが、日本にはお父さんを知る親類はただ一人、90歳を超えるお父さんとは叔母にあたる人が一人だけ残っています。その二人の娘さんは、その人にお父さんのことを話します。お父さんは日本に還ってから新しい家族を持ちましたので、日本の弟も妹もいるとのことでそうした家族とも出会っています。日本にいる叔母さんという90代の人から、お父さんの性格、生き方を伺ったり、また、日本にいる弟にあたる人からお父さんについての話を聞いたりします。特に憎しみだけを持って育ったお姉さんの方は、弟にあたる人から、実はお父さんは日本に還ってから家庭を持っていますが、何度かインドネシアを訪ねています。自分たちには一度も詳しいことを話さない父でしたが、何度か訪ねているのはあなたがたを捜すために訪ねていたのだろうと、そんな話を聞かせています。憎しみだけをお父さんにイメージしていたそのお姉さんは、叔母さんなどの話を聞きながら、お父さんはサタンのような人ではなかったことを少しずつ感じます。そして、お父さんの心のうちを感じながら、少しずつ心のうちを溶かされていきます。憎しみが少しずつ癒されていきます。自分はまったく知らないでいた。お婆ちゃんからの憎しみの言葉だけを聞いて、お父さんを憎み続けた。サタンのように思い続けていた。でも、そうでもなかった。すっかり癒されたわけではありませんが、お父さんが何度も自分たちを捜してインドネシアを訪れていたことを知って、少しずつ心が解きほぐされていくようなお話しになっています。そして二人の姉妹は少しずつ自分たちの絆も打ち解けあって、しっかりと話し合う様子がテレビで放映されています。
 こんな話が今もあるということ。今も父親を捜して日本を訪れる人々がいるということ。わたしたちはどんどん戦争のそうした悲惨さを忘れてしまっていますが、こうした終戦記念日が近づく放送番組を観ながら、今なお戦争は続いている、平和は遠いものであることを実感させられています。日本に平和が戻った。日本の国は戦後、平和になったと良く言われますが、パンだけでは満たされない心の平和を求める人がまだまだたくさんいるということを思いしらされています。

 平和は単なる願望ではなくて具体的な行動でなければならないと、日本を訪れた教皇ヨハネ・パウロ二世はメッセージを出しています。平和は単なる願いであってはならない。具体的な行動にならなければならない。平和は実現しない。そんなお話しをされました。その教皇様のメッセージが今私たちが取り組んでいる「平和旬間」というものになっています。私たちは平和旬間を過ごしている中で、切実な平和の思い、祈りがどれだけできているかというと、私たちはまだまだ甘い生き方をしているのではないかと考えてしまいます。
 今日のみ言葉の中では、イエスとユダヤ人の論争が続いています。でも、旧約のマンナよりもはるかに勝るパンが示されています。イエス自らがパンとなり、裂かれて命のパンとなってくださる。私たちキリスト教の信仰の中心は、十字架につけられたそのキリストを信じることだと言われます。そして、今日のみ言葉の中で「つぶやき合うのはやめなさい。…信じる者は永遠の命を得ている。」と話しています。今日もまた、私たちはミサの中でその永遠の命のパンをいただこうとしています。キリストが、彼を信じその御教えを実践する人に永遠の命を与えるためにこの世に来られたと話しておられます。パンをいただくだけではなく、教えを実践する行動に移すということが付け加えられていることを忘れてはならないと思います。

 ミサをとおして生けるパンをいただけることに感謝しながら、今日もまた永遠の命のパンを私たちはいただきます。今日、ミサの中で、ミサをとおして私たちの平和とはどんな平和なのか、私たちはどんな平和を願っているのか、どんな平和を実現させようとしているのか、そのことも心にとめながら考えましょう。そして、具体的に祈りを捧げたいと思います。平和のために祈るとともに、今日もまた感謝のうちにご聖体に近づきたいと思います。』

2018年8月15日水曜日

聖母の被昇天(祭日)

平和の元后 聖マリアを祝うこの日、日本では73回目の終戦記念日を迎えました。
戦争で犠牲になられた人々のためにも、心を合わせて祈りましょう。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『聖母被昇天の祭日を迎えています。子供たちの夏休みの最中、お盆を迎えて、両親や祖父母の実家に戻られて過ごされている方も多いかと思います。久しぶりに家族と一緒に過ごし、邂逅に浸りながら今日、教会に来られた方もおられるのではないでしょうか。お盆には墓参りの習慣もあるので、先祖の墓参りに帰省された方もおられるかもしれません。今日はいつになくお顔をよく存じない人も来られているように思います。家族と共にこの被昇天の教会に来られていると思います。

教会の歴史を見ると、5世紀から8月15日は聖母を祝ってきたと記録があります。実に1500年以上にも渡って祝ってきたということです。今日、全世界の教会は聖母の被昇天を祝っています。私たち信者にとっては、何よりも親しい存在である神の母聖マリアです。その聖マリアは私たちにとっても教会にとっても特別な存在であります。なぜ特別な存在なのか?聖母被昇天の説明が教会でなされます。
聖母マリアは世の終わりを待つことなく、この世の命が終わってからすぐに御子キリストと同じ復活され、霊魂と身体も共に神の国で御子キリストの傍にキリストの勝利に与っておられる。教会はこのように聖母被昇天を説明します。それ故にマリアは特別な存在であり、私たちはその聖母マリアを祝います。ミサの今日の集会祈願の祈りに「全能永遠の神よ、あなたは御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。」とあります。この祈りの中で、私たちに聖母マリアの神秘を表し、聖母マリアは真に神の母であり、贖い主の母として認められ讃えられます。そして私たちにマリアの被昇天の姿を思い起こさせています。

聖母マリアは、平和の栄光とも讃えられる存在です。8月15日は私たちの国では特別な日であります。一般的なカレンダーには「終戦記念日」「全国戦没者記念日」と記載されています。テレビやラジオではその言葉が繰り返されています。そしてその言葉を耳にするたびに私は平和と戦争犠牲者のことを思い、そして考えさせられています。8月15日の今日、私たちは戦争でどのくらいの人たちが亡くなれたかを知っているでしょうか。改めて私自身考えさせられています。多くの人たちは今は、終戦記念日をあまり深く考えないで迎えてしまっているのかとそんな気もします。
昨日の夕刊の記事を読み、改めて平和への思い、平和と命の尊さについて考えなければならないと思いました。国のために戦うのが立派な日本人であると教育されて辛い体験を振り返る人がいます。戦後73年が過ぎ、そのようなことを思い起こす人がどんどん少なくなってきています。間違った教育を受けた私たちは、愚かだったという人もおります。
昨日の夕刊の記事に胸が熱くなる記事がありました。ご覧になった方もおられと思いますが、少しそのことに触れたいと思います。その記事のタイトルは、「ビルマの手紙」というものでした。結婚して半年が過ぎた若い二人は、子供の誕生を待つ日々をおくっていたといいます。教師であった夫は、その半年後に旧陸軍に徴収されビルマ、現在のミャンマーに向かったそうです。結婚後半年しか一緒に過ごすことができず、戦地に送られてしまった夫。夫は戦地から妻へ手紙を送り続けたそうです。実にその数300通を超えていた、という記事でした。子供が生まれ、そして妻から生まれたばかりの赤ちゃんの足形が夫のもとに届きます。その子は女の子であったそうですが、まだ見ぬ娘の朱色の足形に触れながら涙し、夫は唄を詠まれています。
「あざやけき 朱の足型は小さけれど 目にしみ吾を 泣かしまんとす」
この父親は、わが子の顔を見ることなくして現地で亡くなられたそうです。妻のもとに届いた絶筆の最後の言葉は、「元気であれ」という一言で結ばれていたそうです。
日本だけで戦争の犠牲者は、310万人を超えるといいます。この数字の中には、記録されない犠牲者もおられたのではないかと考えてしまいます。今日、その310万人の戦没者追悼式が行われようとしています。新聞の記事の中にこのような言葉もありました。当時軍の参謀部では、兵士を虫けらのように「何千人殺せば何処どこが取れる」、つまり日本の領地が獲得できると、囁かれていたことが記されていました。なんと残忍な言葉でしょうか。人の命の尊さ、平和とは無縁の現実がそこにあります。それが戦争という現実だと思います。

平和の元后、聖マリアも最愛のわが子の死を前に悲しみ苦しみがありました。
誰もが願う平和ですが、私たちの今の現実の中でも戦争や紛争が繰り返され、弱い人々がその命を失っています。
御子であるキリストが受難の道を歩み、十字架につけられて死を前にしたとき、十字架の前に立った母マリアは、母として我が子であるキリストの苦しみと心を一つにして自らを結び付けていたといわれます。十字架の上で死なんとしているキリストは、自らの言葉で「婦人よこれがあなたの子です」と、マリアは、母として弟子たちに与えられ、私たちの母ともなられたのです。
先ほど紹介した我が子を見ずして亡くなった父親、その悲しみ苦しみ、妻を思いながら、そして生まれてくる我が子の姿を想像しながら、どんなに苦しみの中で命を捧げたか。

私たちが願う平和への祈りはどんな祈りになっているでしょうか。
今日は本当に心から平和を考え、そして平和のために私たちが何をなすべきかを考える日にしたいと思います。
聖母被昇天の祭日を迎え、旅路の終わりにすべての聖人たちの交わりのうちに待っているのは、神の母であり私たちの母でもあるマリアではないでしょうか。
「幸いなものは神の言葉を聞き、それを守る人々である」という聖書の言葉があります。この世においても後の世においても、悲しいとき苦しいときにも、聖母マリアの御許に走り寄ってその取次ぎを祈りたいと思います。

聖母はいつもイエスの御前において、私たちの祈りを取成し恵みと慰めを与えてくださる方です。
聖母被昇天の祭日は、日本において73回目の終戦記念日となりました。平和旬間も今日で終わろうとしていますが、今日は改めて戦争で犠牲になった人々のためにも、心を合わせて祈りを捧げていきたいと思います。』

2018年8月7日火曜日

年間第18主日

イエスは空腹を満たされた人々に対し、「永遠の命」について父なる神に心を向けるよう諭しました。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日の福音は、先週のパンの奇跡に引き続くものです。「翌日」という表現が一番最初に読まれています。パンの奇跡の翌日のこと。先週、皆さんが手にとっていた「聖書と典礼」の表紙はどんな絵があったかご存知でしたか。今日の「聖書と典礼」では『パンと魚を弟子に与えるキリスト』という絵が表紙になっています。この表紙は、まさに先週も同じように使われてもおかしくない内容です。先週はパンと魚のモザイクの絵が表紙になっていました。今日もパンを中心にしたテーマで、み言葉が私たちに語られていますが、少し奥深い意味のあるパンのお話しになってきます。先週までのパンの奇跡の中での話しは、現実的なパンをイメージするかたちで語られていましたが、今日の聖書の中に出て来るパンは、「永遠の命のパンである。」という表現が入ってきます。ですから、より霊的な話しに入ってきているということが言えるかもしれません。

  ちょっと横みちに入りますが、今日の入祭唱が「聖書と典礼」の2ページに入っていますが、私たちのミサの中ではこの入祭は歌が歌われるので、この入祭唱とは違う典礼聖歌が選ばれ歌われ始めました。聖書の言葉でいうと、この入祭唱の言葉は「神よ、急いで助けに来てください。あなたはわたしの支え、わたしの救い。」。こういう言葉でミサのスタートが切られるのです。 わたしはこの入祭唱の言葉を少し心に留めております。「神よ、急いで助けに来てください。」この言葉はわたしたち聖職者=司祭や修道者が毎日唱える教会の祈り、むかしは良く「聖務日課」と言われていました。現在の教会の祈りの一番最初に唱える祈りになっています。「神よ、急いで助けに来てください。」という祈りは、神よわたしを力づけ急いで助けにきてくださいという祈りの言葉で、聖務日課は毎日唱えられています。急いで助けに来てください。何故そんなにせくのかなと考えてしまいます。急いで助けに来てください、皆さんは祈りの中でそういう祈りをしたことがあるでしょうか。神様、どうか急いで助けにきてきださい。助けてください、そんな祈りの言葉は、あまりないような気がするんです。聖務日課では、毎日毎日、一番最初の出だしの祈りの言葉が「急いで助けに来てください。」という言葉になっている。わたしは改めて、何故こんな急いでという言葉がついて、祈り始めているのだろうか、そんな事を想いめぐらしていました。
 現実に惑わされて心を騒がせているわたしたちにとって、一番大切にしなければならないこと、それは心が神から離れないようにすること、そのことではないのだろか。日常生活の中で、心が神から離れてしまって、祈りもそういうふうになってはいけないよと。何に向かうのか。神に向かう。神に深く繋がることの大切さを毎日毎日、最初のこの祈りの言葉で気付かされているのだろうか。そんなことを今回、改めて感じていました。そういう中でわたしたちの心は、どこに一番中心が置かれているのだろうか。現実の生活だろうか。目上の世界だろうか。そんなことも考えながら、今日のみ言葉を味わったり黙想したりしています。

 驚くべき五千人を超える人のためにパンの奇跡を行い、群衆のひとり一人に、欲しいだけ満足するだけ、パンを与えた先週の奇跡のお話し。残ったパン屑を集めると12の篭になったというかたちで、先週わたしたちはパンの奇跡に驚いていました。12の篭に残ったパンがあるわけですが、ある人は気になってしようがないかもしれません。残ったパンはどうなったんだろう。だれが食べているのだろう。12あるのなら弟子たちが一人ひとり貰ったのだろうか。12の篭、ひとりずついただいたのだろうか。そんなことのほうがとても関心があって、気になって、それがわたしたちかもしれません。やはり現実のこと。そんなことに心が向かうのがわたしたち。もし皆さんが残ったパンを想像して黙想して、実はこういうふうに本当はなっているんだ。もし素晴らしい思いつきがあったなら、裏話があったなら是非聞かせて欲しいなと思います。聖書には何も書かれていないので。12の篭のこと、皆さん一人ひとり考えてみてください。素晴らしい黙想で、素晴らしいお話しが出来上がるかもしれません。そんなことも考えています。

 さて、病気の人を癒すというイエスの力は、誰もがそれは人間の業ではない。人間の力では出来ないと驚きました。ここに神の業がある、神の力があるんだとイエスを見ていました。でもパンの奇跡はそれとは少し違って、少し当惑させる。今ちょっと話したように、12の篭まで残るほど、有り余るほど何で増えていったんだ。どのように増えたのか、そんなことがとっても気になります。でも、聖書の中で神の恵みが語られるとき、皆さんは気付いていたでしょうか。神様の愛はちっぽけなものではない。神様の恵みは限られたものではない。いつも溢れるほどの恵みが、神からわたしたちに贈られているということ。気付いたでしょうか。気付いているでしょうか。それに対して人間であるわたしたちが、もし恵みを人に分け与えるとしたら、どんなかたちで分け与えているでしょうか。わたしたちなら、その恵みを分かち合う時でさえも、どこかで計算して一人ひとりこれくらいで良いでしょうと、計算して恵みを分かち合っているのではないでしょうか。多すぎないように、余らないように、適当に適量に分配するのが、私たち人間のなせることではないでしょうか。でも神様の恵み、神様の愛と慈しみもそうですが、適量だけ人に与えるということではなくて、いつも溢れるほど、手からこぼれ落ちるほど、その恵みや愛をわたしたちに注いでくださっているのが神様の愛であり、神様の恵みです。ですから、そのことを考えながら、パンの奇跡を味わうとすれば有り余って当然。たとえみんなが満腹したとしても、もうすこしあっても良かったかなと言う人に、十分に分け与えるためには、溢れるほどの余るほどの恵みが神様からもたらされていたというお話しではなかったでしょうか。その神様の恵みを感じることが出来たならば、それこそ言葉に表さないほどの心の奥深くから喜びや感謝の気持ちが溢れてくるはず。まさに、わたしたちの感謝の気持ちも溢れるほどになっているはず。感謝しても感謝しきれない言葉に、そのようになってくるのではないでしょうか。
 群衆は満腹したのち、もう満たされていましたから、奇跡の前では何も尋ねることはしません。何も言いませんでした。ただただ満足していた。そして彼らはその満足していた気持ちの中で、イエスから離れたくない。イエスの傍にずっといたい。そんな気持ちの方が強くなっていたのではないかとわたしは考えます。でも、そこにいるイエスはそうした人々を見つめながら彼らの苦しみを知ります。そして憐れみをかみしめます。一人ひとりの心が満腹したときに、どんなにこれまで大変な状態であったかをイエスは見つめています。そういう背景があった先週のパンの奇跡のお話し。

 今日のみ言葉では、追いかけてくる群衆とイエスとの問答が示されています。でもここにおいても、人々の思いとイエスの目的との距離がはっきりと指摘されています。群衆は、お腹を満たされた人々は今、自分たちが信じられるようなしるしを求め続けています。お腹を満たすという現世のことばかり目を向けてしまっています。ですからイエスから離れたくない。イエスの傍にいればきっとパンは少なくても満腹出来るだけいただける。そんな思いが強かったのかもしれません。
 でもイエスはそうした人々に声をかけています。「永遠の命」について父なる神に心を向けなさい。彼らはそのときは素直にそのイエスの言葉を受けとめ、神の業を行うためにわたしたちはどうしたら良いのでしょうか。自分たちからは答えは見いだせませんでした。イエスに尋ねています。そしてイエスが答えたのは、神がお遣わしになった方を信じなさい。信じること、それがまず大切である。残念ながら彼らには、イエスが先祖の偉大な指導者モーセに重なって見えるだけでした。モーセという人は今日の第一朗読でも話されていますが、イスラエルの民をエジプトの奴隷の状態から救って旅に連れ出した指導者です。そして、旅の最中に苦しんでいたとき人々はお腹が空いた。食べるものがない。奴隷の時の方がまだましだったと不平不満を漏らしたときに、「マナ」という天からの食べ物が落ちてきた。そういう旧約聖書の中で語られた信仰の話しを伝承として、イエスの時代に生きる人々も良く心に留めていることでした。ですからイエスがなさったパンの奇跡はまさに、モーセのあのときとわたしたちが先祖から聞かされているあの奇跡と同じ事。モーセとイエスはただ重なってくるだけでした。そこでイエスは話します。それはモーセが与えたのではなく、わたしの父である神が与えたのだ。現実的にモーセにのみ心が動いている人々に対して父なる神の業が今、父なる神の心に向けさせます。それがイエスのパンであったということも話されました。命を与えるパンである。そう聞くならば、わたしたちにそれをいつでもくださいとすぐさま答えてしまいます。でもイエスは続けます。「わたしが命のパンである。私のもとに来る者はけっして飢えることがなく、わたしを信じる者はけっして渇くことがない。」現実のことに父なる神に心を向けさせ、神を信じること。神が遣わされた御子を信じること。その神の御子はひとつであるということも含めて話そうとしています。

 わたしたちはこのイエスの言葉をどう受けとめるでしょうか。今日もまたわたしたちはミサをとおしてパンをいただきます。イエスをいただきます。イエスとひとつになります。わたしを信じなさいという言葉は、わたしたちの心の奥深く留まっているでしょうか。何に執着するよりもまず心を神に向けなさいというのが、今日のみ言葉の中心テーマであるかのように感じています。聖体とパンとブドウ酒の中に神が現存する。福音の中に語られる奇跡を疑うならば、聖体に対する信仰に対しても懐疑的なものになってくるかもしれません。
 もう一度わたしたちは素直な心で神に向かいたいと思います。謙遜な心がわたしたちに求められているのではないのでしょうか。わたしたちの信仰の中心に聖体の信仰があることをもう一度認識したいと思います。そして今日もまた奉納をとおして、わたしたち一人ひとり小さなパンを奉納しますが、そのパンとブドウ酒が永遠の命を与えるイエス・キリストの秘跡となることを深く信じてイエスに近づきたいと思います。
 聖体を大切に、聖体によってさらに深く強く主と結ばれることが出来るように、今日もまた心を一つにしてミサをとおして祈りたいと思います。』