本日10時から当教会聖堂において、札幌教区管理者の菊地功司教様の司式により、佐藤神学生の司祭助祭候補者認定式が行われました。
司教様のミサ説教の中でのお言葉として
「司祭は、自らが希望し、努力、忍耐することだけでなれるというものでもありません、主が望んでおられるということが重要なのです」
というお言葉のとおり、私たちにはうかがい知ることのできない内面的な葛藤や精神的な試練が、これからの課程で待ち受けているのかもしれません。
どうかくれぐれも健康には留意され、”司祭職になることを神様が望んでくださる”よう、お祈りを続けてまいりましょう。また、微力ながらも支えとなれますよう主の恵みをお祈りいたしましょう。
花束贈呈後、佐藤神学生からご挨拶がありました。
2012年3月20日火曜日
2012年3月18日日曜日
ホームページをリニューアルしました
カトリック北一条教会のホームページをリニューアルしました。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
あたらしいURLは下記になります。
https://sites.google.com/site/katedoraru99/
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四旬節第四主日 -四旬節の集い-
ミサ終了後、カテドラルホールで「四旬節の集い」が行われました。
はじめの久保寺神父様のご挨拶の中で、体調を崩され療養中だった中江神父様の近況についてお話があり、今現在は一時的に退院され、ベネディクトハウスに戻られ静養中ですが、食欲もあり比較的お元気に過ごされているようです。
神父様が常々望んでおられたように、ミサ司式される日が一日も早く来ますようお祈りいたしましょう。
さて、「四旬節の集い」の内容ですが、
今年1月9日に札幌で行われた山浦玄嗣 氏(やまうら はるつぐ)の講演会のビデオを視聴しました。
山浦氏は、大船渡市在住で今回の震災で被害に会われ、その中で感じた神様への信仰についてという内容でした。
印象的だった箇所を抜粋しますと 、
日本語聖書の中で”祈り”という言葉はたくさん出てくるが、それに対応する原典のギリシャ語は4つあるそうです。
一つ目は、賛美、褒め称えること。
二つ目は、”有難うございます”、感謝の祈り。
三つ目、四つ目は、”お願い”祈りのこと。
三つ目の意味の祈りの際には、必ずその内容が記されているが、
四つ目の意味の”祈り”の場合は、何を祈ったかは記されていないそうですが、
もっとも大切なのは、この四つ目の意味の”祈り”であり、
それは、神様の声を聞くこと、起こった出来事から神様の声を聞き取ること。
今回のような大きな災害の中にあっても、
「神様、私はあなたの道具として何をしたらよいのでしょうか?と神様の声に心の耳を澄ますこと」
ということが私たちの取るべき最も大切な態度なのではないかと思います。
(以上講演から)
私たちは、毎週日曜日に教会へ通って、”お祈り”をしますが、
どちらかというと、”自分のための願い”が優先して、
神様の”声”に耳を澄ませるという姿勢を忘れがちでありそうです。
今回の講演はこれからの信仰生活を改めて考え直すよい機会となりました。
はじめの久保寺神父様のご挨拶の中で、体調を崩され療養中だった中江神父様の近況についてお話があり、今現在は一時的に退院され、ベネディクトハウスに戻られ静養中ですが、食欲もあり比較的お元気に過ごされているようです。
神父様が常々望んでおられたように、ミサ司式される日が一日も早く来ますようお祈りいたしましょう。
さて、「四旬節の集い」の内容ですが、
今年1月9日に札幌で行われた山浦玄嗣 氏(やまうら はるつぐ)の講演会のビデオを視聴しました。
山浦氏は、大船渡市在住で今回の震災で被害に会われ、その中で感じた神様への信仰についてという内容でした。
印象的だった箇所を抜粋しますと 、
日本語聖書の中で”祈り”という言葉はたくさん出てくるが、それに対応する原典のギリシャ語は4つあるそうです。
一つ目は、賛美、褒め称えること。
二つ目は、”有難うございます”、感謝の祈り。
三つ目、四つ目は、”お願い”祈りのこと。
三つ目の意味の祈りの際には、必ずその内容が記されているが、
四つ目の意味の”祈り”の場合は、何を祈ったかは記されていないそうですが、
もっとも大切なのは、この四つ目の意味の”祈り”であり、
それは、神様の声を聞くこと、起こった出来事から神様の声を聞き取ること。
今回のような大きな災害の中にあっても、
「神様、私はあなたの道具として何をしたらよいのでしょうか?と神様の声に心の耳を澄ますこと」
ということが私たちの取るべき最も大切な態度なのではないかと思います。
(以上講演から)
私たちは、毎週日曜日に教会へ通って、”お祈り”をしますが、
どちらかというと、”自分のための願い”が優先して、
神様の”声”に耳を澄ませるという姿勢を忘れがちでありそうです。
今回の講演はこれからの信仰生活を改めて考え直すよい機会となりました。
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