2015年7月26日日曜日

年間第17主日 「パンの奇跡」

今日の福音(ヨハネ6・1-5)は「パンの奇跡」でした。イエスは少年が差し出した5つのパンで五千人の人々の空腹を満たされました。
イエスの憐れみと慈しみの心、惜しみなくパンを差し出した少年の分かち合いの心について黙想しましょう。

カトリック北一条教会は、来年の10月8日(土)に献堂100周年を迎えます。
先月、献堂100周年を迎えるための実行委員会を立ち上げ、標語も決まりました。
「次の世代に繋ぐ」 これから1年以上をかけて、次の世代に何を繋いでいくことが大切なのか?
そのことを共同体全体で考え、共有しながら歩みを進めていきます。

後藤神父様が標語を印刷したしおりを作ってくださいました。


今日の後藤神父様のお説教をご紹介します。



『先ほどミサの前半で歌われた「憐れみの賛歌」と「栄光の賛歌」の中では、「憐れむ」という言葉が何度も歌われていました。
「主よ憐れみたまえ」と、私たちはどんな気持ちで祈り歌っているでしょうか?
先週「憐れみ」という言葉について説教で触れましたが、今日皆さんと一緒に歌っていて、「憐れむ」という言葉を私たちは何度も何度も使っているのだということに改めて気付かされました。
私たちが「主よ憐れんでください」と祈るときの心情は、「どうか神様、愛の目を持って私達を見て下さい。慈しみの目を注いでください。」という思いだと考えます。まさに聖書の「憐れむ」は、神様の慈しみ、神様の愛そのものを表現している言葉だと思います。今日歌っていて、改めてそのことを皆さんにお伝えしておきたいと思いました。
先週の福音で会衆を見て憐れんだイエスの心が、今日の福音の「パンの奇跡」に引き続いていきます。
「パンの奇跡」は、4つの福音書全てに書かれているお話です。
この奇跡の話は、聖書の書かれた初代教会の時代の人々にとって、非常に大きな慰めをもたらす話として、信仰の原点ともなっていたのではないかと想像します。
初代教会の人々は、キリスト者に対する迫害や様々な誤解の中で生活していました。そのような厳しい環境の生活の中で、自分達の信仰を見つめるときに、私達にパンを増やしてくださった、憐れみを示してくださった、慈しみを示して近付いてくださったイエスのことを思い起こして、またそこから慰めを得て、自分達の信仰を生きていたのだと思います。パンの奇跡はそのような意味で、初代教会の人々にとってイエスの存在を身近に感じることができる物語として、思い起こしては自分達の信仰を見つめ直していたのではないでしょうか。
イエスを身近に感じられる、そこにはイエスの憐れみの心、慈しみの心があったからこそだと感じます。
人々がパンの奇跡を思い起こすときに、ただ単にパンで腹が満たされたということだけではなく、その奇跡をとおして、イエスが自分達に近付いてきてくれたこと、そして慰めの言葉をいただいたこと、そのようなことを思い起こしては、また新たな力を得ていたのではないでしょうか。
5000人という人々が集まった中で、集められたパンは僅か5つだけでした。子供が持っていたパンだとすれば、それほどのボリュームではなかったはずです。イエスは子供が差し出した僅かなパンを見て感謝された、そう聖書は記しています。
私たちがその場に居合わせたなら、その光景を見てどう感じることができたでしょうか?こんなちっぽけな数ではどうしようもない、落胆したのかもしれません。弟子達にもどこかでそのような思いがありました。イエスには、その僅かなパンを用いて、それを変える力がありました。人間の目にはこれほどの物が、いったい何の役に立つのか。そのような時でさえ、小さなつまらないものに見えたとしても、イエスにとってはそれは感謝すべきものでした。そこに、私たち凡人の目と神の目の違いというものが大きく示されているのだと思います。
時々、私は思い起こすことがあります。皆さんと会話をしている時に、神様の力を信じている私たちであったとしても、全能の神様と私たちが口で言っていたとしても、どこかで、神様はこれは私たちの考えだから無理です、というような思いで、そういう言葉を使っていることがあるような気がします。最初から諦めたり、落胆するような思いで、これは無理だろうなと思ってしまうこと。私たちが自分の思いから考える不足に対して、不満を言っているときにでさえ、神ははたらかれていることを私たちは忘れています。その時はイエスを信じていないかのような態度を取っていることもあるような気がします。神は全能である、全能であるということは何でも出来るということで、信じる心が本物であるならば、どんなに小さいことであったにしても、やっかいなことだと考えたとしても、またそれが無駄なことのように思えることがあったにしても、「感謝する」そういう心に繋がっていかなければと考えます。そうしなければ、私たちの信仰は本物になっていかないのではないでしょうか。
聖書の中にこうあります。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ神が望んでおられることである。」(テサロニケの信徒への手紙I 5章16~18節)
でも私たちは、それは聖書の言葉ですと言ってしまい、本当に喜んで感謝して受け取るということが出来ていないのかもしれません。
素晴らしい言葉であったとしても、それがただの格言のようにして使うならば、その御言葉は死んだも同然であるのかもしれません。
聖書の言葉が生きた神の言葉として、私たちが受け入れ、それを信仰として生きることができるなら、私たちの生活もまた少しずつ新しくされていくような気がします。
日々の生活の中で、私だけが何故苦しい思いをしなければならないのか、自分だけが何故損をしなければならないのだろうか、うだつが上がらず我慢する自分自身に、不平不満で一杯になってしまうことがないでしょうか?
しかし、今日の聖書の言葉を黙想していくと、私たちの信仰生活の中で、どんなものをも神が用いてくださると信じることで、信頼と確信が生まれてくるのはないでしょうか。そして、私たちの信頼が欠けているということに気付かされるのではないでしょうか。
パンの奇跡を間近で体験した人々が、イエスを自分達の王になって欲しいと願うことは当然であったかもしれません。でもそれはまた、神の目、イエスの目から見れば、それもまた、この世的な考えでしかありませんでした。イエスはこの世的な考えに翻弄される方ではありません。いつもどんな時でも神の御旨を生きることがイエスの使命であり道でした。聖書の今日の御言葉の最後は、そうしたこの世的な人々の心を知った時、イエスはまた一人山へ退かれたと記されています。
私たちの願いや思いが神に向かったとしても、思い通りに行かないことがたくさんあるという現実を、今日の御言葉は私たちに知らせているのはないでしょうか?
私たちの思いで神様は動くことはないということ。私たちは日常、感動に出会うことがたくさんあります。そのような感動に出会ったとき、私たちの心は燃え、高揚してしまいます。命を投げ出しても惜しくないほどの感動を感じることがあります。でもこれまで何度もそのような感動を体験しながら、その感動が今残っているでしょうか?時間が経つと感動や情熱は色褪せて消えていくということも私たちが経験することです。
イエスがいくら私たちに、この言葉は大切ですと言っても、少しも実態が伴ってこなければ、とても残念なことだと思います。
今日の「パンの奇跡」にある背景を黙想しながら、小さなことにも心を留めて、神のはたらきと恵みに感謝することができるように祈りたいと思います。
そして、いただいた僅かな恵みであったとしても周りの人たちと分かち合う喜びを、私たちが育んでいくことができますように。
私たちが持っている僅かなものであったにしても、それを惜しみなく差し出せる心も大切にしたいと思います。
今日私たちが捧げるホスチアは、ミサをとおして恵みのパン、慈しみのパン、憐れみのパンとなります。そして祭壇上で聖変化したそのパンは、御聖体として私たちをキリストの体と一致させるキリストの命に深く結ばせてくださるものと変わります。
今日一つの食卓、祭壇を囲む私たち共同体が、さらに一つとなって、歩むことができるようにミサの中で祈っていきたいと思います。』

2015年7月20日月曜日

年間第16主日

今日の御ミサは、後藤神父様と療養を兼ね来日されているバングラデシュのロザリオ神父様の共同司式で行われました。


そして、神学校も夏休みに入り、前日、福岡から帰ってきたばかりの佐久間神学生が侍者として参加してくださいました。向こうに比べると、こちらは寒いくらいと言っておりました。佐藤助祭、蓑島神学生、梶沼神学生のお三方も追って帰札されるとのことです。夏休みは9月16日まで、涼しい北海道で鋭気を養いリフレッシュしていただきたいと願っています。


後藤神父様のお説教をご紹介します。

『今日の朗読は先週に引き続いた内容で告げられています。
先週は、二人ずつ組になって伝道に出かけた弟子たちが、今週はイエスの元に戻ってきて報告するという内容になっています。
イエスは弟子たちの話を聞きながら、彼らの様子を注意深く見ていたことと思います。そして、疲れ果てた様子を察して、人里離れた所で休ませようとしたことが告げられます。弟子たちに対するイエスの思いやりが感じられる場面です。
マルコの福音によると、権能を授かりイエスの代理者として、弟子たちもイエスから離れて自分達だけで活動を始めていますが、イエスのように全てがうまくいったわけではないと思います。
「使徒たち」という用語は、マルコの福音ではこの箇所でだけ用いられています。この使徒たちという言葉には、権威を認められた代理人という意味も含まれているそうです。
この権威は、もともと弟子たちが持っていたものではなく、任命されることによって与えられたものであるということに大切な意味があります。私達の今日の教会においても、司祭は権能を司教から授かっている部分もあり、それを大切にして奉仕していかなければなりません。
弟子達は、イエスへの報告をしながら、イエスの配慮によって人里離れたところで休息を取ることになります。私は聖書のこのような場面において、イエスの人に対する優しい心遣いといったものを感じます。
弟子達は派遣に遣わされ伝道にあたったときに、どのような心境であったのでしょうか?私たちも時に同じような思いをしますが、説教というものは、必ずしも簡単なものではありません。初対面の人々に話をするというのは気遣いも必要ですし、今の時代で言うならばストレスも感じたことでしょう。知り合いとなら、多少の冗談も交えながら気楽に話せるのですが、慣れない土地で見ず知らずの人に、神の御国のことを話すというのは難しいことだったと思います。宣教といえども、弟子達にとって初めての体験はきっと疲れることだったのでは思います。そのような弟子達を思いやって、イエスは休ませようと人里離れたところに導いたわけです。しかし、群集から離れさせようとしたにも係らず、群集は弟子達を追いかけるようにして大勢やってきました。そこで、イエスは弟子達に取って代わって、イエス自身が群集に話をするというのが今日の御言葉で語られています。
集まった群集を見たイエスは「飼い主のいない羊」、すなわち霊的にも病んでいる群集を見て深く憐れみを感じたというように表現されています。
イエスの深い憐れみ。憐れみという言葉は聖書には頻繁に出てきます。サマリア人の話、放蕩息子のたとえ話など、憐れみは隣人となることに欠かせない、愛情に満ち溢れた人間の心を現すものです。しかし、「憐れみ」という言葉は、私達日本人には深く思いやることが出来ないこともあります。それは、日本語の表現の「憐れみ」には、人を卑下するような意味合いも持っているからです。
人の腹の底、心の深みから湧き上がる深い同情を意味するのが聖書でいう「憐れみ」、愛の心であると思います。
イエスのこの深い憐れみの心によって、人々はさらに神の国を知り、神の深い心に触れていこうとしています。
私たちは現代社会において、聖書の言う憐れみの心をもっと深めていかなければと思います。
全てのキリスト者は、キリストの証し人でなければなりません。それが宣教する人の心につながっていきます。平和の使者でなければならない、キリストの平和を伝えるためにも。
今日の弟子達の姿をとおして、私たちも平和を告げるものとして、宣教者として、自分達の使命を果たすことができるように祈りたいと思います。』

2015年7月18日土曜日

7月17日(金) カルチャーナイトに参加しました

今年もカトリック北一条教会はカルチャーナイトに参加し、17日(金)の夜間、教会施設を開放しました。多くの一般市民の方々が訪れ、信徒と共にミサに参加しました。




御ミサの後は、引き続き聖堂で聖歌隊によるミニコンサートが催され、静粛な聖堂に相応しい心安らぐ聖歌の歌声に耳を傾けていました。


教会スタッフによる聖堂内の天井画の紹介では、写真を写したり、熱心に耳を傾ける方々の姿が印象的でした。普段訪れる事のないカトリック教会の施設見学は新鮮な体験だったことでしょう。



カテドラルホールに用意された交流広場では、喫茶コーナー、折り紙体験コーナーが併設され、談笑の輪が拡がっていました。




教会の御ミサには、信者以外の一般の方々も参加することができますので、これを機会に教会を訪れ、共に祈りを捧げる方々が増えることを願っています。

2015年7月16日木曜日

フィリピンからの巡礼団来訪

7月14日(火)オルボス神父さまとフィリピンからの巡礼団一行が当教会にいらっしゃいました。
そのご様子です。


2015年7月12日日曜日

年間第15主日

札幌では、昨日、今日と真夏日を記録しました。
暑さに慣れていない北国の私たちには少しつらい毎日です。体調管理には気をつけましょう。

今日の御ミサの最後で、初聖体と洗礼に向けて勉強を始めている3人の子供たちが紹介されました。主のお導きがありますように。そして、彼らを教会で見かけたら声をかけて応援しましょう。



今日の後藤神父様のお説教をご紹介します。

イエスは弟子たちと共に、村々を廻って神の国を述べ伝えていましたが、今日の御言葉では、イエスに選ばれた12人の弟子たちは、2人づつ組になって宣教に派遣されるという場面が語られます。
今までは、イエスが中心で、イエスの宣教の様子を見聞きしてきた弟子たちでしたが、修行が終わったということでしょうか、弟子たちはイエスから離れて自分達で宣教をすることになりました。どのくらいの日数をかけて村々を廻ったかというのは定かではありませんが、小さな旅をするということだったのだと思います。
当時の旅について記された伝承があります。準備するものとして、食料、頭に巻くターバン、そして帯に隠して多少のお金も用意していたようです。また、寒さ対策として多少の着替え、険しい砂漠や山を歩くために杖が必要ですし、当然履物も必要であったようです。特に杖は旅には欠かせないものであったようです。杖はただ足を支えるためにだけではなく、危険な時には、動物を追い払う道具としても必要であったようです。当時は宗教的な旅人に対しては、異邦人であっても食事程度の寄付をしたと言われています。
このように当時としての一般的な旅の準備があったようですが、弟子たちに対しては、厳しい制限が為されているかのようです。今日の御言葉では、杖一本のほかは何も持ってはならないと命じられます。イエスからは普通の旅とは違うということを厳しく命じられたようです。パンも、袋も、お金も持たずと福音では記されています。
宣教の心構えとしては、何が重要であったのかということが、黙想することで見えてくるような気がします。
自分のために十分な備えをせずに、神を信頼して神に任せて旅立ちなさい、それがあなた方に託された使命であり宣教であると、イエスから言われているようです。
私たちは、宣教というときに、どのようなことを考えるでしょうか?
私たちは、伝道、福音宣教というと、専門的な勉強をされた司祭や修道士、シスターたちにお任せしたいという気持ちが強いような気がします。神学を専門に学んだわけではない弟子たちが、宣教に遣わされる姿が聖書の随所で見られます。イエスとの出会いによって、神を知り信仰の喜びを知った弟子たちは、その喜びを福音宣教に向けて出かけていくというのが、当時の宣教の姿だったのではないでしょうか。そういう意味では、私たちも信仰の喜びに促されて、自分たちの信仰の中にある喜び、大切なものを伝えるということが出来るなら、それは立派な福音宣教につながっていくものなのだと思います。
今年、教皇様は使徒的書簡を発行しています。そして、私たちの司教である勝谷司教様も年頭書簡の中で「出向いていく教会」というメッセージを出しています。
今、教区は100周年を迎えるにあたって、どんな取組みが大切なのかということを、考え、話し合い、分かち合うようにとの司教様からのメッセージが出されています。私たちは常に信仰の喜びを持って、神のみ言葉を伝える、神の国を告げ知らせる、神の愛を生きるということが、求められるような気がします。
教皇フランシスコは、使徒的勧告の「福音の喜び」という本の中で、「出向いていく教会」というタイトルの中で、こう話されています。
「弟子たちの共同体の生活を満たす福音の喜びは宣教の喜びです」
喜びに満ちて派遣されていく弟子たちの姿は、今日もまた、私たちの御言葉として語られました。弟子たちは常に信仰の喜び、福音の喜びを体験して、それを外に現そうとしています。
福音宣教、それは常に、イエスの宣教命令によって、私たちは従っていかなければなりません。マタイの福音の最後にも述べられているように、「あなた方は行って、全ての民を私の弟子にしなさい。彼らに、父と子と聖霊の御名によって、洗礼を授け、あなた方に命じておいたことを全て守るように命じなさい。」この箇所は、復活したイエスがご自分への信仰をこの地上の隅々にまで広めるようにという命令でした。あらゆる場所で、あらゆる国で福音を述べ伝える、それが派遣という形で現れてくるものです。
心構えが何よりも大切ということではないでしょうか。
私たちにとっての福音宣教の心構え、皆さん一人一人にとっての心構えはどんなことでしょうか?
私たち一人一人が自分に託されたその使命を生きるために、信仰の喜びを伝えるために、どんな心構えを持たなければならないでしょうか?
「出向いていく教会」という言葉が度々出されています。しかし、出かけなければならない宣教ばかりではなく、迎える宣教もあるような気がします。今週の金曜日は、カルチャーナイトということで、私たちの教会にも初めて訪れる人々がおられるかと思います。そのような人々を迎えるということも福音宣教につながることではないでしょうか。
弟子たちは御言葉を伝道し、神の愛を伝え、神の教えをさらに共同体として生きるように進めていきました。それは当時の人々にとって、神の裁きを受けることがないように、神の国に招かれるようにということが強い願いでしたが、今の私たちの信仰の中においては、裁かれるよりも神の愛を生きるという事のほうが大切にされなければいけないということが、教皇様も現代の教会も呼びかけています。愛を生きるということの大切さ、それは隣人一人一人を差別することなく大切にするということであり、命を大切にするということだと思います。
今日遣わされた弟子たちの姿を黙想しながら、私たち一人一人の福音宣教を考えていきましょう。


2015年7月8日水曜日

年間第14主日

まだ朝晩は涼しいのですが、7月に入り北の大地にもイタドリの白い花の季節が近づいています。そして、北一条教会は献堂100周年の標語も決まり、新しいスタートに向けて歩み始めました。

神よ、変える事の出来るものについて、それを変えるだけの勇気を与えて下さい、
変える事の出来ない物については、それを受け入れる冷静さを与えて下さい、
そして、変える事の出来るものと、変える事の出来ないものとを、識別する知恵を与えて下さい。

今日のミサに与り、ニーバーの祈りを思い出し、北一条教会共同体の在り方についてあらためて考えています。



<後藤神父様の説教概要>
今日のみことばは、故郷に出向いたイエスの話です。誰にでも生まれ育った故郷があり、ほろ苦さや、良き思い出があると思います。故郷を離れた人にとって、その郷愁はよりつより強いかも知れません。私も高校卒業まで生まれ育った羽幌の炭鉱町のことをよく覚えています。高校生の時に炭鉱は閉山され、住む人は徐々に少なくなり、高校を出て暫くしてから故郷に戻った時には、家々は荒れ果て、街に人はいなくなっていました。今日、イエス様が故郷にお帰りになった時の出来事を、自分の過去の出来事と重ねて思いを巡らしました。
イエスはベツレヘムで生まれ、ガリラヤ湖から20数キロ離れた小さな田舎町のナザレで育ち、30歳を過ぎた頃に12人の弟子を招き、神の国を知らせるために宣教に旅立ちました。そして、故郷のナザレに戻った時に思いがけない拒絶にあいました。それは、ファリサイ派の信仰的拒絶でもなく、ヘロデの政治的拒絶でもない、小さな町で共に育った地縁血縁のある故郷の人々からの拒絶でした。故郷の人々はイエスに、自分たちの知っているマリアの子のイエスに、安息日に説教をするイエスに、自分たちの狭い考え方では理解できない神の愛を語るイエスに、拒絶を示しました。でも、故郷の人たちは、信仰に熱心な人たち、預言者の言葉を大切にしてきた人たち、神に忠実だった人たちです。そうして考えますと、昔も今も、宣教というのは大変なことです。預言者の立場で考え、乱れてしまった信仰の世界を立て直すことは簡単ではありません。今日のみことばは、その点を私たちに改めて考えさせてくれます。
マルコは「人々はイエスにつまづいた」と話されています。「つまづき」は今日の聖書の共通のテーマとして語られ、第1朗読では「神に背き逆らう反逆の民」という言葉で表し、第2朗読では「思い上がり」という言葉につながります。私たちは変わるもの、朽ち果てないものをしっかりと見つめなくてはなりません。イエスを理解しようとするとき、自分の故郷、即ち自分中心の秩序、規則に固執することなく目を開いていることが大切なのです。自分たちの習慣、仕来り、慣習に固執する故郷の人たちにとって、イエスの業、教えは受け入れ難いものでした。新しい世界に心を開くことが無い神の民が、如何に不忠実で頑なであったかを物語ります。故郷の人たちの先入観は不信仰をもたらし「つまづき」となり、イエスを追い出す事になってしまいました。それはある意味で、イエスを十字架に追いやった人々の世界とつながっています。私たちも頑なな心のままでいるならば、思い上がりの心を変えられず、イエスを十字架に追いやった人々と同じ場に立ち続けることになるかも知れません。その点でも、心の柔軟性が私たちには大切なのです。
私たちにとっての信仰の故郷である北一条教会も、次に変わって行かねばなりません。今、教区100周年を迎えるにあたり、司教様からのメッセージでは、信仰の振返りと宣教を考えることが語られていますが、私たちは今一度、自分たちの信仰生活を振り返りながら、新しい出発を模索している地区や教区に目を向けて歩み出さねばなりません。先週の全道司祭会議でも教区100年の話をしています、皆さんと一緒に、来年に向けて新しい歩みが出来ればと思います。その意味でも私たちは柔軟な心をもって、今までの歩みを見つめながら、新しい歩みに向かって行きたいと思います。
み言葉を通して信頼を深め、いつもどんな時でも神に仕える民となることができるように心から祈りたいと思います。

2015年7月5日日曜日

マリア マグダレナ カチョルさんのミニコンサート

ミサ聖祭の後、第15代キタラ専属オルガニストを務めておられたマリア・マグダレナ・カチョルさんのミニコンサートが行われました。
当教会での演奏は今回で2回目となり、ベートーベンの小品を数曲演奏いただき、聖堂に静謐な旋律が響き渡りました。
カチョルさんは2012年から2013年までキタラの専属オルガニストを務められた後帰国、昨日(7月4日)キタラで行われた『kitaraのバースデイ』での演奏のため札幌を訪れておりました。