2022年11月18日金曜日

11月20日 王であるキリスト

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。



【福音メッセージ】 王であるキリスト C年 2022年11月20日 湯澤神父

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

  今日は、教会の暦の中でこの一年間の最後の主日です。そして、王であるキリスト、世の終わりの完成を記念します。しかし、朗読個所は、なぜ十字架の場面なのでしょうか。それは、第一朗読との関係でわかります。第一朗読は、ダビデが全イスラエルの王となる個所です。彼は、油注がれることによって王となりました。イエス様は、エルサレムに入城し、メシア、王として十字架にかかることによって、ご自分がキリスト、メシアであることを示されました。ここで、大きな誤解が生まれました。

  第一朗読によると、ユダ族とそれに属さない部族の間に和解が生じ、ユダ族の長であるダビデのもとに、他の部族が集結し、彼らはダビデに油を注ぐことで、イスラエル統一王国を成立させました。この出来事は、後々メシアのモデルになっていきます。当時の人たちは、こうして神様から油注がれる(メシアになる)と、彼は政治的経済的もちろん軍事的力を持ち、諸国を征服し、神の国の完成のためにイスラエルの人々を率いてエルサレムに王として君臨するはず、とイメージしました。それが伝統的なメシアのイメージだったからです。だから、本物のメシアなら十字架などから降りて、諸国に対して王として君臨するはずです。だからそれを、イエス様に求めました。「十字架から降りてこい」

  しかし、実際のイエス様は、そうではありませんでした。その逆で、むざむざと殺されていきました。伝統に生きるイスラエル人としては、イエス様のその姿を、とてもメシアとして見ることができませんでした。ただ一人、イエス様と一緒に十字架にかけられた盗賊の人だけが例外でした。後に、エマオに向かう弟子たちに、聖書を通して教えたように、伝統的なメシア理解とは別のことが聖書には書かれていました。人々は、それを知ることができませんでした。イエス様が教えても。

  このことは、そう簡単ではありません。同じ歴史を生き、伝統を重んじ、聖書を知り、神様を知ったとしても、まったく別の理解になってしまったこのイスラエルの人たちと同じことを起こしかねません。今日の福音は、こうした私たちの持つ危険性を教えています。世の終わりの完成の時、違っていましたでは済まされない事が起こり得るからです。キリストは、人間の姿で現れ、わたしたちのうちに暮らしました。そこにイエス様の求めたものを、私たちが求めるべきものを見逃さないようにしましょう。それには、わたしたちと暮らしたイエス様の言動から目を離さないことでしょう。イエス様は常に話しかけています。父である神様のように、そして、聖霊のように。耳を傾け、識別することを心がけていきましょう。


【聖書朗読箇所】

父である神よ、

  あなたは十字架につけられたひとり子イエスを、

  すべての人の救い主として示してくださいました。

  キリストこそ、世界に平和をもたらし、

  人類を一つにする主であることを、

  きょう、深く心にとめることができますように。

集会祈願より



第1朗読 サムエル記 (サムエル下5章1-3節)


(その日、)イスラエルの全部族はヘブロンのダビデのもとに来てこう言った。

「御覧ください。わたしたちはあなたの骨肉です。これまで、サウルがわたしたちの王であったときにも、イスラエルの進退の指揮をとっておられたのはあなたでした。主はあなたに仰せになりました。『わが民イスラエルを牧するのはあなただ。あなたがイスラエルの指導者となる』と。」


イスラエルの長老たちは全員、ヘブロンの王のもとに来た。

ダビデ王はヘブロンで主の御前に彼らと契約を結んだ。

長老たちはダビデに油を注ぎ、イスラエルの王とした。



第2朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙 (コロサイ1章12-20節)


(皆さん、わたしたちは、)光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝(しています。)


御父は、わたしたちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下に移してくださいました。

わたしたちは、この御子によって、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。

天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。


御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。

また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。

こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。


神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。



福音朗読 ルカによる福音 (ルカ23章35-43節)


民衆は立って見つめていた。議員たちも、あざ笑って言った。

「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれた者なら、自分を救うがよい。」


兵士たちもイエスに近寄り、酸いぶどう酒を突きつけながら侮辱して、言った。

「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ。」

イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王」と書いた札も掲げてあった。


十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。

「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ。」

すると、もう一人の方がたしなめた。

「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない。」

そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください」と言った。


するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。