今日の主日ミサの司式をされた勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
サドカイ派は、モーセ5書(創世記~申命記)のみを聖典として認め、復活を信じていませんでした。また、当時では社会的、経済的にも優位な立場にある人々からなっていました。
聖書とは、神様は不変ですが関わりを持つ人間の方が様々な経験を積んで変わっていくという、生まれてから死ぬまでの人の一生に例える事ができます。
その中で、モーセ5書というのは、まだ経験の足りない幼子が、庇護者の言うことにただ従えば良いという、人間の側が未熟な時期にあたります。
ですから、今回登場するサドカイ派のように、聖書のある一部分だけを取り上げて、その教えだけに従うということには危うい面があります。
サドカイ派は、「神様にのみ頼ることしかできない」苦しみの中にいる人々とは無縁の立場にあり、神様との関係性は希薄で、彼らの行っていた典礼は、神様と繋がらない冷たいものだったのではないでしょうか。
過酷な現実社会の中では、第一朗読(マカバイ記 2マカバイ 7・1-2,9-14)にあるように信仰を持たない悪によって苦しむ人々がおり、復活がなければ救いを見出すことは困難な現実もあります。イエス様はそのような人々に復活を、そして神様の慈しみと愛を示してくださいました。
私たちも今日の福音のサドカイ派のことを戒めとして心に留めておきましょう。
ミサの後、大掃除が行われ、多くの方々のご協力をいただきました。
ボーイスカウトの皆さんにもお手伝いいただきました。有難うございます。
大掃除の後は、B地区の皆さんがご用意してくれた温かい昼食いただきました。