2018年12月10日月曜日

待降節第2主日

『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』
洗礼者ヨハネは、荒野のかなたから「主の道を整えよ」と回心を呼びかけます。

この日は、ミサの後「堅信の学び」が行われ、約50名の方が参加しました。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。


『イスラエルを導く救い主が、悲しみと不幸から解放し喜びをあらわすと今日の第一朗読(「バルクの預言)で読み上げられました。そして、何世紀もの沈黙の時が流れますが、待ち続けるその待望の時は重要な役割を持つ洗礼者ヨハ ネによって現実になろうとしています。ヨハネの叫びは、イスラエルの民にとって、他国民に圧迫されることが多く、あるときは神殿を崩壊された時もありました。国を追われ捕囚の身にさらされた時代もありました。そのような状況の中でヨハネは、預言者イザヤの言葉を借りて、救いの時が近づいた。救いの喜びが近いから「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」と叫ばれた。ヨハネの使命は、聖書に現され ているように、イスラエルの民を主のもとに立ち帰らせ ることであり、霊と力を持って準備の出来た民を主に向かわせること。失望や悲しみを捨てて平和のうちに生きるようにと励まし諭しています。「道を整え、その道筋をまっすぐにせよ」というイスラエルの民に対し、 また、今日の福音の3節にあるように「罪のゆるしを得させるため」と、呼びかけていました。待降節にいつも読まれるこの内容は、 わたしたちに対しても、良心の道をまっすぐにし、救いの神を受け入れるためにも大切な悔い改めも含まれているような気がします。心の準備とともに私たちは自分たちの信仰を見つめて、凸凹の道や曲がりくねった道があるならば少しでもまっすぐにして、主の心に繋がるように、待降節の大切な準備になるのではないでしょうか。

 パウロも今日の第2朗読の中で「あなた方の愛が豊かになるために、知る力と見抜く力をさらに身につけ豊かになるように。」と祈っていることを話しています。こうしてみていると今日のみ言葉の中にも聖霊の働きが見えてきます。堅信の秘跡を受ける人の学びが先週から始りましたが、その際に聖霊には「7つの賜物」があることを話したのですが、それは、「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」だといわれています。(神父様は、お話の中で、4日の毎日のミサのイザヤの預言も引用しました。)ヨハネは、霊と力を持って準備の出来た民を主に向かわせており、聖霊の力を持って民を指導しています。パウロは愛が豊かになるために、知る力と見抜く力をさらに身につけ豊かになるように、と祈っています。聖霊はわたしたちの気づかないうちに至る所で働いているのです。
 待降節を迎えて、わたしたちはキリスト者として、イエスに向かって歩もうとするとき、悪い行いを単に悔やむだけでなく、「方向転換」が必要ではないかと良く言われることです。「方向転換」と言えば、今週のカトリック新聞で教皇様の記事がありました。教皇様は講話の中で「新しい心の移植」が必要であると一般謁で見車に述べられました。古い心から新しい心への入れ替えは、新しい望みの賜物であると言い、それは聖霊によって植えられる種であり、新しいいのちへの渇きに成長するのだとお話されたようです。
 まさに、ヨハネが言われた道を整えるということは、救いの実現の道に導くためのふさわしい条件とともに、イエスの福音宣教の始まりにも繋げていかなければなりません。それは、教会がずっと主張してきた旧約から新約へと続く、旧約における「終わりの日」も意味し、新しい時代への入り口にもなるのです。

 待降節を過ごす私たちは、父なる神から幼子イエスを迎える準備の日々を過ごす週目を迎えますが、私たちの心にキリストを迎えるためだけではなく、神不在ともいわれる現代社会、人間関係も冷え切ったといわれる中で、現代社会に愛と希望をもたらすキリストを迎えることは教会にも社会にも大切なことだと思います。私たちや社会の中にある荒れ野の道をならし、険しいところを平らにする努力が求められると思います。
 今日改めて待降節第2主日を迎え、救いの道に招かれていることを噛みしめながら、真心を持って神に応えていけるよう祈っていきたいと思います。』