2月17日「灰の水曜日」から四旬節が始まりました。
灰の式は、勝谷司教様と松村神父様の共同司式により行われました。
2月21日 四旬節第1主日の松村神父様の福音メッセージを、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ 松村神父様】
2月21日四旬節第一主日 メッセージ
昔はよく街角で「神を信じなさい!洗礼を受けると救われます!」「信じる者は救われる!洗礼を受けたものに救いが与えられます!」とアナウンスが流れていた。特に1999年の世紀末問題では似たようなキリスト教系の宗教や新興宗教・新新宗教・カルト教が人の不安に付け込んで、救いをちらつかせて人々に恐怖からの救済を伝えていた。私は同じキリスト教を信じる者として、その伝え方に詐欺めいたものを感じていた。確かに文言は間違いではないのだけど、メリットしか伝えない手法は詐欺師の常とう手段。実際私たちの信仰はメリットばかりではない。
私たちは洗礼を受けるとバラ色の人生が待っているように受け止めがちだが、実際皆さんの生活がバラ色である人はそれほど多くないだろう。日常生活が多くの問題を私たちに投げかけている中で、信仰と生活の間でもがいているのが一般的でしょう。
四旬節第一主日の福音ではイエスが誘惑に合うシーンが読まれる。何故洗礼を受けたのに誘惑に合うのだろう。そもそも洗礼の時に天が開け、霊がイエスにやってきた後、さっそくその霊に導かれて生活が面倒な荒れ野に連れていかれた。今回の誘惑もバラ色なイエスの人生であればあり得ないが、実際霊の導きと支えにより乗り越えた。今日のメッセージでは洗礼を受けることは決してバラ色ではない事を示されたのではないだろうか。それよりも霊の導きに従う生き方そのものが洗礼を受けたたまものであることを強調しているのではないだろうか。アダムは蛇の誘惑に負けてエデンを追放される。霊ではなく自由意志に従った結果である。イエスは自由意志に加え、サタンの誘惑に霊の導きをもって乗り越える。洗礼を受けることは自由意志と霊の導きに人生をかけることであり、特に聖霊に耳を傾ける事なのだろう。実生活の中でよいことが起こるのが洗礼ではなく、洗礼は霊の導きを知りそれに耳を傾けて生きる力が与えられる恵み。だから日常生活でも不幸が起き、多くの問題が起き、誘惑があり、傷つき、泣き、倒れることもある私たちの生活は当たり前で、そのことが起こったから「神様などいない」とご利益信仰を掲げるのは私たちの信仰ではない。洗礼による力は諸問題を神の価値観で乗り越えるため霊に導かれるということを知る力なのだろう。つまり日常生活の問題は霊を知り霊に生かされていることを知る神の誘惑の場であるということで、そこから逃れて生きることは社会集団に属する私たちの生き方ではないことが言えると感じている。皆さんの日常生活こそ神と出会える生々しい現場であることを今日は知らされたことだろう。だから不幸を悲しみながらも、乗り越えるための希望を聖霊に願いながら歩まなければならない。それに誠実であれば、私たちは救われる。
消してメリットだけではない。その過程こそ最も大事であることを忘れて「洗礼を受けると救われます!」と飴だけを渡すようなことは避けねばならないことに気づかされる。
もう一度私たちに与えられた洗礼を洗礼志願者と共にこの四旬節中に思い起こすことを始めましょう。
【聖書朗読箇所】
全能の神よ、
年ごとに行われる四旬節の典礼を通して、わたしたちに、
キリストの死と復活の神秘を深く悟らせてください。
日々、キリストのいのちに生きることができますように。
集会祈願より
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第1朗読 創世記 9章8~15節
神はノアと彼の息子たちに言われた。
「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。
あなたたちと共にいるすべての生き物、
またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、
箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
わたしがあなたたちと契約を立てたならば、
二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、
洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」
更に神は言われた。
「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、
代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。
すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。
これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。
わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、
わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、
すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。
水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。
第2朗読 ペトロの手紙一 3章18~22節
キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。
正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。
あなたがたを神のもとへ導くためです。
キリストは、肉では死に渡されましたが、
霊では生きる者とされたのです。
そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちの
ところへ行って宣教されました。
この霊たちは、ノアの時代に箱舟が作られていた間、
神が忍耐して待っておられたのに従わなかった者です。
この箱舟に乗り込んだ数人、すなわち八人だけが
水の中を通って救われました。
この水で前もって表された洗礼は、
今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。
洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、
神に正しい良心を願い求めることです。
キリストは、天に上って神の右におられます。
天使、また権威や勢力は、キリストの支配に服しているのです。
福音朗読 マルコによる福音書 1章12~15節
それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。
イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。
その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、
イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。