年間第6主日の福音メッセージをウルバン神父様からいただきましたので、聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ ウルバン神父様】
“私は望む、清くなれ”。 2月14日 ウルバン神父
皆さんは今日の福音の言葉を聞いたことがありますか。誰かが震えながら、泣きながらイエスに近づいてその前にひれ伏しました。ひどい皮膚病に傷つけられた顔を見上げようとして言いました:主よ、お望みでしたら、私を治すことができます。その時、どんな心、どんな顔、どんな目でイエスを見たでしょうか。暗闇と切望の中で光は一つしかありませんでした、それはイエスでした。
十数年前に私は十数人の中学生と共に外国へ行きました。深い田舎の中で私たちはバスを待っていました。バスが来ましたが、すごく混んでいました。それなのに、人々は私たちの可愛い日本人の女の子供たちを見た時、中へ詰めて親切に乗せてくれました。私たちが安心して外の景色を眺めた時、バスの中ですごい叫び声が聞こえた。次々と人が叫び出して、最後にバスのすべての人は騒いでいました。田舎の真中で、何もない所でバスが止まって、一人の男の人は蹴とばされて外へ追い出されました。後で言われたのは:まゆ毛が少し薄かったので、らい病人だと思われたのです。本当に病気だったでしょうか。バスはまた動き出して、寂しい所で追い出された人はだんだん見えなくなりました。あの方の顔を、孤独と恐れにあふれた顔を忘れませんでした。
イエスの前にひれ伏した人も心配して、それでも希望をもって主の顔を眺めながら待っていました。この方も皆と同じく石を拾うでしょうか。“汚れた者、人と神に嫌われた者、あっち行け”と言うでしょうか。いえ、そうではありませんでした。イエスの顔は哀れみにあふれ、また声が聞こえた。“私は望む、清くなれ”。その時、病人はどのように感じたでしょうか。彼にも天は開き光が見えたでしょう。僕は捨てられたもの、人のくずではない。僕も愛されていると深く感じて喜びにあふれ、それだけではなく、イエスは手を述べて彼に触れた。何年も人に逃げられた人は、初めて人の温かい手を感じました。その時、体の傷だけではなく、もっと深い傷、心の傷はイエスの手に癒されたのでした。イエスの言葉は本当です:”私は裁くためではなく、救うために遣わされた“。イエスは今日も私たちを救うために来ます、私たち一人一人を見て話します:”私は望む、あなたの救い、あなたの喜びを。“
上に話したバス旅は、森の中にあるらい病人の村への旅でした。ある子は初めて病人を見た時、ショックになって倒れてしまった。一日彼らと共に暮らしたあと、別れの時が来ました。言葉は通じなくて、あげるものも何もありませんでした。その時、子供たちは突然、別れの涙を流しながら手を伸べて病人を抱き始めた。村の人たちはびっくりしました。あの方々にとって最高のプレセントでした。別れはつらかった。村から離れた時、皆の姿はだんだん小さくなって、とうとう見えなくなったが、私たちの心の中にずっと生きていました。寝る前、皆で分かち合った時、皆は喜んでいました:イエス様が心の中に生きたら、私たちの手もイエス様になります。どこかの人は私たちの手を待っています。
【聖書朗読箇所】
救いの源である神よ、
ひとり子イエスのことばと行いによって、
あなたの愛は世に現されました。
悩み、苦しみの中から救いを求める わたしたちの声を聞き、
きょうもいつくしみの手を差し伸べてください。
集会祈願より
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第1朗読 創世記 3章16~19節
神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。
お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め
彼はお前を支配する。」
神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い
取って食べるなと命じた木から食べた。
お前のゆえに、土は呪(のろ)われるものとなった。
お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。
お前に対して
土は茨とあざみを生(は)えいでさせる
野の草を食べようとするお前に。
お前は顔に汗を流してパンを得る
土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。
塵(ちり)にすぎないお前は塵に返る。」
第2朗読 コリントの信徒への手紙一 10章31~11章1節
だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、
何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。
ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、
あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。
わたしも、人々を救うために、
自分の益ではなく多くの人の益を求めて、
すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。
わたしがキリストに倣(なら)う者であるように、
あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。
福音朗読 マルコによる福音書 1章40~45節
さて、重い皮膚病を患(わずら)っている人が、
イエスのところに来てひざまずいて願い、
「御心(みこころ)ならば、
わたしを清くすることがおできになります」と言った。
イエスが深く憐(あわ)れんで、手を差し伸べてその人に触れ、
「よろしい。清くなれ」と言われると、
たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。
「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを
清めのために献(ささ)げて、人々に証明しなさい。」
しかし、彼はそこを立ち去ると、
大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。
それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、
町の外の人のいない所におられた。
それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
注:「重い皮膚病」は、1987年の新共同訳聖書とは異なります。