松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】 年間第25主日 C年 2022年9月18日 松村神父
今日の福音の個所は、司祭を含めて大きな壁の個所と言われています。だからこそ、どこに着目するかで、その解釈は大きく変わり、場合によればキリスト教に対する不信感を得るかもしれません。そのため、この福音を喜びの知らせに変換させる視点は、私たちの信仰、私たちのイエスに対する見方が問われているのかもしれないと思い、私はいつもドキドキしながらこの聖書の個所に挑んでいます。
聖書に向き合うたびに、毎回その視点は変わり新しさをくみ取っている個所となります。
さて、今日の個所を今の私から眺めてみると、次のように感じましたので、分かち合いたいと思います。
「不正な富」と言われていますが、そもそも「富」とはこの世で人間が作り出したもう一つの神に似たものではないかと思うわけです。私たちは「富」の誘惑といつも戦っています。人によっては「富」の虜になってしまい、奴隷になってしまう恐れまである強い力を宿すものです。だからこそすべてを捨てて「富」との関係性を断ち、神に向かって邁進するようにアシジのフランシスコは心を決めて歩みました。必要なもの、「日ごとの糧」を神から受ける托鉢修道会の誕生です。しかし世俗の中で生きる私たちは、その生活基盤を支える「富」なしに生きてはいけません。ついつい少し多めに、はたまたゆとりをもっていきたいと願うのが私たちです。昨今残りの人生2000万円騒動もあったぐらいです。だからこそ有り余るほど持ちたいと願う人も少なくなく、またお金で何でもできると考える人まで出てきます。もともと人間の心を揺るがす「富」は、「不正を起こさせる富」として人間社会に存在しています。これを「不正な富」と表現しているのであればあながち間違ってはいません。問題はこの「不正な富」を上手に制御し、神から離れないようにしなければなりません。神と富とどちらに使えるか。それは神を私たちが制御することはできませんが、「富」は私たちの心もち一つで制御できるのです。
いろいろな神父様を見てみると、定期的にご自身の給与を寄付される人もいれば、貧しい方を支援している人もいます。多額の寄付を貧しい団体に寄付している人もいれば、良い活動を陰ながら支援をしている人もいます。それはキリストの心でもありながら同時に、ため込まずご自身が「富」に左右されない生き方を示しているということでもあります。自分を律し、富に心を奪われないように、溜まれば放出するというダム的な考え方ですね。
ある学校で私は先生たちにこのように説明したことがあります。「頭のいい生徒を育ててください」「お金持ちになるように育ててください」と。なんという神父でしょうと言われるかもしれません。でもそのあとに付け加えます。「得た頭脳、得たお金を誰のために使うかも、必ず教えてください」と。それぞれ持てる人は持てない人のために働く使命がキリストから来ているからです。分かち合うことが何よりも大切。人をさげすんだり、比べたり、蹴落としたりするために教育しているのではありませんし、そのためにミッション校は存在していません。誰かのために「富」を得ているのであって、自分の為ではありません。もともと親からもらった命だし、そもそも神から与えられた命だからです。だから持てない人の分をしっかり稼いで、分かち合う必要があるのです。
だから今日の福音は、「不正な富」を制御する管理者になり、神の働き手になっていくことが求められているという意味で、不正な管理人が褒められていることを忘れてはいけないと感じるのです。「不正な富」が悪いのではなく、その「富」に制御されないように、イエス様は私たちの心に最大の恵みである「愛」を注いでいるのです。
【聖書朗読箇所】
恵み豊かな神よ、
ひとり子イエスは、その生涯をとおして、
貧しさに徹して生きる道を示してくださいました。
キリストに従うわたしたちが、
まことの豊かさを知ることができますように。
集会祈願より
第1朗読 アモスの預言 8章4-7節
このことを聞け。
貧しい者を踏みつけ
苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
お前たちは言う。 「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。
安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。
エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。
弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。 また、くず麦を売ろう。」
主はヤコブの誇りにかけて誓われる。
「わたしは、彼らが行ったすべてのことをいつまでも忘れない。」
第2朗読 使徒パウロのテモテへの手紙 1テモテ 2章1-8節
(愛する者よ、)まず第一に勧めます。 願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。 王たちやすべての高官のためにもささげなさい。 わたしたちが常に信心と品位を保ち、 平穏で落ち着いた生活を送るためです。 これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、 喜ばれることです。 神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、 人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。 この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。 これは定められた時になされた証しです。 わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、 すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。 わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、 清い手を上げてどこででも祈ることです。
福音朗読 ルカによる福音 16章1-13節
(そのとき、イエスは、弟子たちに言われた。 「ある金持ちに一人の管理人がいた。 この男が主人の財産を無駄使いしていると、告げ口をする者があった。 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。 『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。 会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。 『どうしようか。主人はわたしから管理の仕事を取り上げようとしている。 土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 そうだ。こうしよう。 管理の仕事をやめさせられても、 自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、 まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。 『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』 また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。 『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。 『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』 主人は、この不正な管理人の抜け目のないやり方をほめた。 この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。 そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。 そうしておけば、金がなくなったとき、 あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。
ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。 ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。 だから、不正にまみれた富について忠実でなければ、 だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。 また、他人のものについて忠実でなければ、 だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。 一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。 あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」