2014年2月25日火曜日

第15回 カテドラルコンサートのお知らせ

4月12日(土)15:00  カトリック北一条教会聖堂で、第15回 カテドラルコンサートを行います。

チケットは完売となりました

出演者:ソプラノ  小林木綿 陣内麻友美
バス・ドュ・ヴィオール 宇田川貞夫
リュート 高本一郎
オルガン 廣野嗣雄

プログラム:フランソワ・クープラン ルソン・ド・テネーブル全3曲
水曜日のための第1課  第2課  2声の第3課

当教会の主席オルガニスト 大野敦子さんからの紹介文です。
『このコンサートはぜひ多くの方に、特にカトリック信者さんに聴いていただきたいと思います。クープランが聖週間のために作曲した素晴らしい曲です。ほとんど演奏される機会がないのでそれほど有名ではありませんが、聖週間を目前にしたこの日に黙想をしながら聴くのもよいのではないかと思います。
出演者の皆さんも日本のバロック音楽界、そしてそれぞれの分野のスペシャリストです。日本を代表し、国際的に活躍なさっていらっしゃる方々です。』



是非、たくさんの方々に聴いていただきいと思います。
チケットは破格のお値段ですので、早々に売り切れることが予想されます。
どうぞお早めにお求め下さい。

2014年2月23日日曜日

年間第7主日

今日の福音(マタイ5・38-48)は、先週に引き続き「山上の説教」です。
イエス様の愛の教えが語られています。

今日の主日ミサを司式された祐川神父様のお説教をご紹介します。


今日の福音の冒頭でイエス様は、出エジプト21・24、レビ24・20に記されている「目には目を、歯に歯を」を引用され、「しかし、わたしは言っておく。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」と続けられます。すばらしい内容なのですが、一方では、私ならとても無理・・・、という反応もあります。最近放映されたドラマの影響で「倍返し、10倍返し」といった流行り文句がありましたが、「目には目を・・・」の教えは一見過激にみえますが、その根本には過剰な報復を戒める意味合いがあります。
今日の第一朗読「レビ記19・18」には、「自分を愛するように隣人を愛しなさい」とあります。「善きサマリア人のたとえ」(ルカ10・25-28)で、律法学者がイエス様に「わたしの隣人とはだれですか?」と尋ねますが、律法学者が言ったこの”隣人”の真意とは?
例えば敵がいると仮定するなら、隣人とはどこまでの範疇を指しているのでしょうか?”隣人”と限定するということ自体、”敵”の存在を前提としていることなのではないでしょうか?
イエス様を試そうとしたこの律法学者の問いに対するイエス様のお答えは、”敵”などそもそも存在しない、天の父は、悪人も善人にも雨を降らせてくれる。そして、私たちもその方向に進んでいきなさい、と示してくださっています。
ミサには、人を変える、社会を変える力があります。
御父の御心を探求していく、それは私たちキリスト者の特権でもあり、義務でもあります。

【お知らせ】
  • 4月12日(土)15:00 第15回カテドラルコンサートが行われます。売り切れが予想されます。チケットのお求めはお早めに。
 

  • 神学生のお三方が春休みで帰省中です。

  • 3月23日(日)四旬節第3主日、9時ミサ後に黙想会を行います。新海雅典神父様がお話する予定です。


  • 3月上旬から聖園幼稚園の移転工事が始まります。移転先は教会の現駐車場の跡地になります。今日の運営委員会でカトリック学園から説明がありました。急な話であったため、今後早急にカトリック学園と、移転にあたっての諸々の調整について話し合いを進めていくことになります。


2014年2月16日日曜日

年間第6主日 - 山上の説教 -

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


今日の福音朗読は、マタイ福音書の5章から7章にわたる「山上の説教」の中でも長いパートで、非常に厳しい内容となっています。モーセがシナイ山で神から十戒を授けられたように、イエスは山上で新しい”十戒”を示しました。モーセの十戒は非常に細かく規定された律法で、現実的に実行することは大変難しい内容です。イエスが山上で話された説教には、この律法を「神の言葉の原点に立ち返り完成させる」という意味が込められています。
山上の説教に、「敵を愛する」という教えがありますが、実行することはとても難しい、何故イエスは出来ないようなことを言ったのか?ここには、敵といえども人間として大事にしなさい、という意味が込めれています。そして、今すぐに実行することは難しいかもしれないが、確実にそちらの方向に進み律法を完成させるという意思が込めれています。
1936年に行われたベルリンオリンピックは、ドイツの宰相ヒトラーが白人種の優越性を証明することを望んだ大会でしたが、そんな中、アメリカ代表の黒人選手ジェシー・オーエンスは大活躍します。走り幅跳びでは優勝候補でありながら、予選で2回続けてファールを犯しピンチに陥ったとき、敵であるドイツ人選手ルッツ・ロングにアドバイスを受け、世界記録を出して金メダルを取ったという有名な逸話があります。
また、敵に塩を送った上杉謙信の話。宮沢賢治の「雨にも負けず」の一節にある「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい」という言葉。アシジのフランシスコの平和の祈りの中の一節、「憎しみのあるところに、愛を、争いのあるところに、和解を」。これらの行いや言葉は、私たちにイエスの教えを喚起させてくれます。

【お知らせ】
札幌教区司祭の人事異動が発表されました(4月21日付け)。
祐川神父様が、当教会(北一条教会)主任司祭の任を解かれ、
代わって、後藤義信神父様(宮前教会・江差教会主任司祭)が主任司祭として来られることになりました。
祐川神父様は、昨年7月に当教会の主任司祭に就任されたばかりで、1年にも満たない在任期間でしたが、お説教をとおして私たちをお導きくださいました。
4月21日付け異動ですので、まだ2ヶ月間は在任されますが、今月末から3月半ばまでフィリピンへ行かれ、その後もいろいろとご予定が入っているようですので、今後お会いできる機会が限られるようです。歓迎会も開いていなかったので、何とか送別会は行いたいのですが・・・。

3月の主日ミサの予定は下記となっています。

3月2日(日):森田神父様
3月9日(日):ケン・スレイマン神父様
3月16日(日):富来神父様
3月23日(日):新海神父様(ミサ後、四旬節講話)

2014年2月9日日曜日

2月9日(日) 年間第5主日

今日の典礼は、「地の塩」、「世の光」がテーマになっています。

祐川神父様のお説教の一部をご紹介します。


『フィリピン滞在中に地元の高校の先生から次のようなお話を聞きました。
高校生の男の子がある日うれしそうにしていたので「どうしたの?」と聞いてみたところ、父の違う面を発見したとのこと。
それは、朝食の時、父に「仕事は9時からなのに、どうしていつも早めに家を出るの?」と聞いたところ、「仕事の前にミサに与るためだよ」という答えが返ってきたそうです。その後、父と一緒に主日ミサで教会に行った際、教会でアンケートを取っていて、「あなたが朝のミサに来る理由は?」という問いに、こっそり覗いた父の回答には「息子の模範になるため」という内容が書かれてあったそうです。
今日の典礼のテーマは、「地の塩」、「世の光」についてです。マタイ福音書(マタイ5・13-16」ではイエスは弟子たちに「あなたがたは地の塩である。あなたがたは世の光である」と言います。これは、「そうなりなさい」ということではなく、あなた方は既にそうなっているのだよ、と。さらに「人々が、あなたがたの立派な行いを見て、・・・」と続けられますが、”立派な行い”とは、決して人に見せびらかしたり、自慢したりするためのものではなく、心からのものなのだということを教えてくれます。今日の第一朗読(イザヤ預言書 58・7-10)にある、主が言われる断食とは、形式的な行為としての断食ではなく、同胞に助けを惜しまない行為のことです。マザーテレサの行いも「地の塩」、「世の光」になりたいという純粋な心からのものでしょう。
札幌教区の信徒の皆さんの中にも、表には出て来ないけれど、人目に付かず奉仕いただいている方々がたくさんおられます。今日のみ言葉の意味を今一度考えてみる日としましょう。』

ミサの後、恒例の「雪割り」を行いました。
寒い中、英語ミサの方々も多数お手伝い下さいました。ベトナムの方、韓国の方など。
雪割の後、D地区の皆さんが用意してくださった熱々の豚汁をいただきました。
皆さん大変お疲れ様でした、そして有難うございました。

中江神父様の通夜、葬儀ミサ 2月7日(金)~8日(土) 



2月6日に帰天されたアシジのフランシスコ 中江 洋神父様のお通夜と告別葬儀ミサが、7日と8日の両日、当教会の聖堂で勝谷司教様の司式により行われました。
両日ともに、中江神父様の帰天を惜しみ多くの方々が来られました。特に葬儀ミサは300名を超え、聖堂に入れきれずに隣接するカテドラルホールでミサに与った方もおられました。通夜のお説教では場崎神父様、そして葬儀ミサでは勝谷司教様から、生前の中江神父様の略歴とご病気と供に歩まれた司祭生活についてお話がありました。




私たち信徒にとって、中江神父様のお説教は、やさしく、憐れみ深く、それでいて、熱く、力強く、神様の愛のみ言葉を私たちに届けてくれるものでした。
10年ほど前から、当教会の協力司祭を務められてからは、第3日曜日が神父様のミサ司式の日となっていました。表現が適当ではないかもしれませんが、神父様のお説教はまるで音楽のようでした。最初はゆっくりと静かに語りかけるように始まり、そして徐々にテンポアップしていき、最後はサビのように大きく力強い口調で語りかけてくれました。
しかし、肝臓がんの治療を始められてからは、徐々に体力も奪われてきているご様子で、香部屋で司式を控えている際も、俯きながら静かに椅子に腰掛けている姿が目立つようになってきました。それでも、口癖のように「ミサ中に倒れるようなことがあって、ご迷惑をお掛けすることもあるかもしれないが、こうして生かされているうちは、ミサを務めさせていただきます」とおっしゃられていました。
その後も幾度か入退院を繰り返されましたが、退院される度に体力の許す限りミサを司式されました。お説教でも以前のように思うように声が出なくなってきているのにもかかわらず、力強いお言葉で「神様は決して私たちを見捨てることはありません」と私たちに語りかけてくださいました。
一昨年(2012年)の12月16日の待降節第3主日に、約一年ぶりに中江神父様が当教会でミサを司式されるということで、ミサの後に黙想会をお願いしていたのですが、黙想会については残念ながら叶うことはありませんでした。それでも、その時のミサ司式のご様子はDVDに記録させていただくことができました。
今その映像を振り返ってみると、改めて中江神父様のお説教をとおして、神様の”み言葉”が力強く心に届いてきます。
神父様の柔和で優しい笑顔からは母性を、そして力強いお説教からは父性を感じておりました。
中江神父様、有難うございました。

2014年2月7日金曜日

【訃報】 中江 洋神父様が帰天されました



当教会協力司祭 アシジのフランシスコ 中江 洋神父様(77歳)におかれましては、
2月6日午前11時16分に帰天されました。茲に謹んでお知らせいたします。

中江神父様は、42年間の司祭生活のうち、21年間をご病気とともに歩まれました。
その姿は、私たちに励ましと希望を与えてくださるものでした。
中江神父様のお説教は、力強く、やさしく、慈悲深く、私たちにイエス様の愛を教えてくださるものでした。
中江神父様の永遠の安息のためにお祈りいたしましょう。

葬儀等の日程
通夜                2月7日(金) 午後6時00分
告別葬儀ミサ    2月8日(土) 午前10時00分
場所                カトリック北一条教会 聖堂
喪主                勝谷 太治 司教様




2014年2月2日日曜日

2月2日(日) 主の奉献

 今日は主の奉献の祝日でした。教会の重鎮の一人O女史によると「昔はマリアの清めの祝日と呼ばれ、ヨーロッパではクリスマスの終わりの日としてツリーを燃やして大勢で祝う」そうです。札幌では水曜日(5日)から雪祭りが始まります。教会から歩いて10分の大通り公園には高さ10mを超える大雪像がいくつも完成間近となり、道外や外国からの200万人を超えるお客様を迎える準備に入りました。この時期、ヨーロッパでは弱くなった太陽に光が戻り、春の始まりを祝いますが、札幌は真冬日が続く中で冬のクライマックス「雪祭り」を中心として心の底から冬を楽しみます。ところで、ミサの中での連絡事項で、主任司祭(祐川神父様)は2月末から3週間イースタービレッジに戻られる、との説明がありました。フィリピン・ミンダナオ島の2月の平均最低気温は22度だそうです。どうぞ健康に留意されフィリピンの仲間に福音をお伝え下さい。

ミサの中での祐川神父様のお説教の一部を紹介します。


 イスラエルにとって最も宗教的で大事な体験は、出エジプトです。鴨居に血が塗られた家を神が過ぎ越して行き、エジプトの初子が撃たれイスラエルの初子は撃たれなかった。その事が原因となってファラオはイスラエルを開放します。
 イスラエルの伝統では、初子は、子どもと言うのは、両親に与えられたものではなく、両親に預けられたもの、神から委ねられたものと言う考え方がある。ですから私たちの命そのものも、自分のものと考えがちですが、神から「この命を生きなさい!」と預けられたものです。
皆さんは、私の命は神のものであると考え生きていますか?
 神から預けられたこの命を思い切り生きよ、恵みとして預けられた命を生きることを召命と、命に召されている、と呼びます。
 今日、神殿でイエスが奉げられたが、イエスは人類の贖い主として、ご自身の命、ご自身の血でもって全人類を贖われた。シメオンは4つの事を言っている、①イエスはメシアである。②イエスはイスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりした。③イエスはイスラエルの誉れとなる。④イエスは異邦人を照らす光となる。また、今日のヘブライ書には「事実、ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがお出来になるのです」とあります。メシアと言うのは罪やキズと言うものを知らない方ではなく、私たち以上に良くご存知で、だからこそ救い主になれた。神の愛の最高のシンボルは「キズだらけのイエス」、十字架に懸けられ、血だらけになっても人を愛そうとし、血だらけになっても罪人を赦そうとする、この人たちは何をしているのかわからないのです、この人たちを赦して下さい。徹底的に最後まで、その人が理解できなくても、その人と歩もうとされる。
 そのことを、主の奉献の今日、私たち自身の奉献、命を預かっているものとしてどういう奉献が出来るか、一人ひとり自身の召命として考えてみましょう。

「最後のアダムであるキリストは、父とその愛の秘義の啓示によって、人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(現代世界憲章22)


【お知らせ】

  • 灰の水曜日(3月5日)のミサで使用する灰を準備するため、昨年の受難の主日にお配りした枝の回収を2月9日(日)から始めます。なお、灰の水曜日の司式は、祐川神父様不在のため、勝谷司教様の司式を予定しています。
  • 雪割り:今年2回目の雪割りを2月9日(日)の9時ミサ後に行いますのでご協力お願いいたします。
  • 支援活動:2月はフィリピン イースタービレッジへの支援活動の一環として、また3月は東日本大震災の支援として、聖堂内に募金箱を設置します。皆様の温かいご支援をお願い申し上げます。
  • 教会学校の雪遊び:2月16日(日)の9時ミサ後に雪遊びを行います。元気な子供あーつまれ!
  • まだ、正式な日程は決まっていませんが、3月21日(春分の日)に、佐久間神学生の司祭助祭候補者認定式と、佐藤神学生の祭壇奉仕者選任式が行われる予定になっています。また、この春からは新にもう1人神学生が誕生することになります。私たちにも出来る”応援”をしていきましょう。