2014年3月23日日曜日

四旬節第3主日、四旬節黙想会

今日の主日ミサは新海神父様(小野幌教会主任)の司式により行われました。
ミサの後、神父様による四旬節黙想会が行われました。


ミサを司式された新海神父様のお説教の一部をご紹介します。

四旬節で聖書は私たちに、祈り、節制、貧しい人たちへの奉仕を勧めています。
今日の福音(ヨハネ4章)は、イエス様とサマリアの女のお話です。
サマリア人はもともとユダヤ人と同じ民でしたが、紀元前6世紀に北の王国イスラエルがアッシリアに滅ぼされたことにより、残された人々がアッシリア人と交わり別な神殿を建てたため、イエス様の時代にユダヤ人からは忌み嫌われ敵対関係にありました。
今日の福音の場面では、お昼ごろ1人で井戸のそばに座っていたイエス様が、水を汲みに来たサマリア人の女に「水を飲ませてください」と話しかけるところから始まります。
昼日中に、たった一人で水を汲みに来るような女性とは?村の中でも皆から白い目で見られ差別を受けていたと思われます。イエス様は、この女性の長い間抱えていた苦しみを一瞬のうちに捉えられました。
だからこそ、「あなたの水(人生の苦しみの水)を、私に飲ませてください(味あわせてください)」と言ったのでした。
そして、この女性に対し、「この井戸の水を飲むものはだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」と言われたのでした。
イエス様は、イスラエルとサマリアの和解を願い、さらには人類にはびこる狭い民族主義を乗り超えて、神の国という形で実現しようとしました。
イエス様からほとばしり出る「信仰の水」、「命の水」を、どうかわたしたちにも飲ませてください。そのことを今日の福音でしっかり受けとめたいと思います。


ミサの後、引き続き、新海神父様による黙想会が行われました。



第1講話「老いについて」(聖堂)
高齢化社会を迎えている私たちは、キリスト者としてどのように老後を過ごしていけばいいのか?、様々な事例を交えてお話いただきました。

昼食(カテドラルホール)

第2講話「富と貧しさ」(カテドラルホール)
富自体は悪なのか?イエス様はお金自体は悪とは思っていなかったけれど、警戒するようにと言われています。「金持ちとラザロ」の譬えでは、何故、金持ちは死んでから神の裁きを受けたのでしょうか?それは、金持ちには、愛というものが欠如していたからです。「善きサマリア人のたとえ」では、だれが傷付いた旅人の隣人となったのか?
イエス様が示された新しい掟「互いに愛し合いなさい」。
マザーテレサが来日された時のお話。来日した際、荷物はたった一つの小さな手提げ袋だけだったこと。そして、真っ先に向かった先は山谷でした。次の日に東京カテドラルに行った際の第一声は「Poor is beautiful」、貧しい人々の心根は何と美しいのだろう、ということを学んだ。

以上のようなお話をいただきました。
詳細は、あらためてご紹介させていただきたいと思います。

新海神父様、大変有難うございました。