2014年8月3日日曜日

年間第18主日

先週までの福音は、天の国のたとえ話が続いていきましたが、マタイ福音書も14章に入り、イエスの宣教の姿が語られていきます。


後藤神父様は5月に着任以来、教会運営委員会や小集会の場でよく「皆さんはどう思われますか?」「皆さんでもう一度考
てみて下さい!」とお話しされます。
私たちの北一条教会共同体は多くのテーマを抱えています。その大半は(幾つかは?)主任司祭の一言で解決すると思いますが、後藤神父様は札幌教区の今年のテーマの一つ「信徒主体の教会共同体」を進める事を常にお考えなのだと思います。
今日配布された広報誌「かてどらるの鐘8月号」の巻頭言では、「わたしたちを運ぶ箱舟・教会の旅は続いています」と結ばれています。たとえそれが最適解ではなくても、私たちが自ら考えて、共同体内の其々の役割を行動に移す事の大切さを、旅する教会のマイルストーンとしての「信徒主体の教会共同体」を、お示し下さっているのだと思います。

今日のお説教の概要をご紹介します。

『年間主日の約半分が過ぎ、そして8月を迎えました。
今日の福音では、パンの奇跡を通してイエスの宣教の姿がより浮き彫りになります。また、今日の集会祈願には「わたしたちがあなたのことばに聞き従い、まことのいのちに生きるものとなりますように。」とありますが、これは第1朗読のイザヤの預言「わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。」と結びついている事からもわかりますように、祈りは様々な個所で結ばれています。
共観福音書に共通の奇跡は数多くありますが、パンの奇跡はヨハネ福音書を含めた4つの福音書に共通(ヨハネ6:1-14、マタイ14:13-21、マルコ6:30-44、ルカ9:10-17)していて、如何に初代教会の人々がパンの奇跡に深い関心を寄せていたかが伝わってきます。また、マルコとマタイは4000人の空腹を満たす内容でも共通(マタイ15:38、マルコ8:9)して書いています。其々の福音書を比較すると微妙に異なります。マタイ14章では、ヨハネが捕えられたと聞いてガリラヤに退くイエス、そして、後を追って来た大勢の人たちを憐れんで自ら近づこうとしているイエス、が描かれています。他の福音書では、イエスが集まって来る人々を受け入れた、という表現ですが、マタイでは、イエスから近づいて行った様子が描かれています。
病人を癒し、神の国の話を語るイエス、熱心にイエスの話に耳を傾ける群衆、弟子たちも群衆を諭し見守りますが、空腹という現実、自然の法則は「うら悲しく」という状態を作ってしまいます。弟子たちは、その現実において無力でした、自分の十字架を背負う事すら出来ない現実において無力でした。容易に適わない事と、私たちの信仰の生活がどの様に関わるか?について黙想できます。
今日のみ言葉は「あなたがた弟子たちの手で彼らに食べ物を与えなさい」と言われている。パンを割くイエスの手、そして割いたパンを群衆に与える弟子たちの手、「手」とは奉げる手でもあります。5000人を前に僅か5つのパンと2匹の魚、それがイエスの手によって神に奉げられた時、人々を充分に満足させるものに変えられました。神に奉げる手を私たちは大切にしているでしょうか?持っているものを神に奉げる時、神は全く違った価値あるものに変えて下さいます。私たちの手、神様に届けられる信仰を大切にしたいと思います。
今日のみ言葉を黙想しながら、弟子たちの奉仕を通して、厳しい状況になっても恵みを与えて下さるイエスとの関わり、不測の苦しみにイエスを信頼して心を向ける時に、私たちの心が豊かになります。神のみ言葉に信頼する時、神の慈しみが生きる道を切り開いて下さいます。
賛美の祈りを唱えたイエス、パンを割いて渡したイエス、そのイエスの姿が主の晩餐の時のイエスに繋がります。寝食を忘れてイエスを見つめ、そして心を向けた群衆に倣って、私たちも聖体のイエスに近づきましょう。
聖体を通して、聖体の恵みによって、新たな歩みを始める事が出来るように祈ります。』



御ミサの後、地区集会が行われ、いろいろな話し合いがされました。
聖母被昇天のミサは、祝日である15日に行うべきなのか?それとも、これまでどおり主日に振り替えて行うのがいいのか?(今年は、8月17日の主日に行うことになりました)
8月31日にはチャリティバザーが行われますが、外国人信徒との交流は今後どのように進めていったらよいのか?
巡礼の旅を計画していましたが、どのように進めるのか
10月の白石墓地合同墓参は、今年は当教会が担当教会になっています。役割分担も考えていかなくてはなりません。
そして、2年後には、北一条教会の献堂100周年を迎えます。どのような形でこの記念すべき年を迎えるのか?
今後もたくさんの行事が控えています。忙しさに流されることなく最も大切な「共同体の一致」を見失わないようにしていきたいのものです。


今日の午後13時から白石墓地で、今年帰天された中江洋神父様と荒木関巧神父様の納骨式が勝谷司教様の司式で行われました。
「教区の良心であった中江神父様、そして知恵であった荒木関神父様。両神父様が帰天されたことは教区としての大きな損失でした。」という勝谷司教様のお言葉がありました。