2014年9月21日日曜日

年間第25主日 「ぶどう園の労働者」

後藤神父様は、札幌教区司祭の黙想会が函館で行われているためご不在でした。
そのため今日の主日ミサは、フランシスコ会のルカ神父様が司式くださいました。
ルカ神父様は、お説教の中でとても分かりやすい例え話を用いて、「良い行い」についてお話されました。



ルカ神父様のお説教をご紹介します。

『今日のみ言葉は、神の慈しみ、愛、憐れみを語っています。
今日のみ言葉全体を正しく理解するために、第1朗読であるイザヤの預言(イザヤ55・6-9)を振り返ってみます。
「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる。」

今日の福音朗読(マタイ20・1-16 「ぶどう園の労働者」)の内容には、多くの人が納得がいかないと感じるのではないかと思います。
神の思いは人間の思いと違うということを象徴したお話になっています。
「天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を わたしの思いはあなたたちの思いを、高く超えている。」(イザヤ55・9)
神の道や思いはあまりにも高いから、わたしたちには良く理解できない、納得できないということになるのです。
わたしたちは、勘違いしているのではないでしょうか?
たくさんの良い事をした人は、当然たくさんの恵みを受けることができる、と。
それはある意味正しいことなのかもしれません。
しかし、神は人間の心の思いを見抜くのです。
誰のためにやったのか?何を基準にその良い事をしたのか?下心があったのではないか?
分かりやすいように、ある作り話をお話します。

ある人がいました。その人は、社会的にも認められ、金持ちで、寄付をしたり、困った人がいれば人助けをしたり、周りからも立派な人、尊敬される人と思われているような人でした。
その人がある夜、夢を見たのです。
それは、天国へ入ったという夢でした。
天国へ入ってまず目にしたのは、事務所のような場所で、忙しく働いているたくさんの守護の天使たちの姿でした。
その人は、近くにいた天使に尋ねました。
「いったい何をしているのですか?」
天使は答えました。
「人間たちがやっていることを記録しファイルを作っているのです。」
地上からは、次々と人間たちがやった良い行いについてFAXが届いてきます。
それを天使たちがせっせと、一人一人のファイルに綴じて整理していました。
そこで、その人はまた天使に尋ねました。
「わたしのファイルを見せてもらえませんか?」
「いいですよ」天使は答え、その人のファイルを持ってきました。
その人はそれを見てびっくりしました。なんと1行しか書かれていなかったのです。
「えっ!これだけですか? わたしはこれまで、たくさんの良い事をしてきたのですよ!」と怒って天使に訴えました。
天使は落ち着いた口調で応えました。
「地上と天国では、少しやり方が違うのです。ここでは、神様の純粋な愛のために、そして隣人のための純粋な思いと、愛を持って行われたことだけが記録されるのです。」
そして続けました「あなたが、このような純粋な心で、愛を持って行ったことは、この1行だけなのです。」
彼はそれを聞いて、とてもがっかりしました。
そしてまた天使に尋ねました。「わたしの妻のファイルを見せてもらえませんか?」
「いいですよ」と天使が彼の奥さんのファイルを持ってきて、それを見ようとしたところで目が覚めた、というお話でした。

今のお話は作り話ですが、私たちがこの先々勘違いしないように、天国へ行くときにがっかりしないように、下心ではなく、広い心で、純粋な愛を持った行いを心がけるようにというお話です。

今日の福音に出てきた”最後に来た人たち”に対して、裁くような心をもってしまうのが、人間の正義です。そして主人=神様に向かって不平を言ってしまうというのも人間です。
朝から働いていた人たちは、本当に真面目に働いていたのでしょうか?
最後に1時間しか働けなかった人たちは、その賃金で家族を養えるだけの”ふさわしい賃金”を手にすることができました。つまり、家族を支えるだけのお金がいただける、これが神様の正義・寛大さなのです。

今日の集会祈願の中のお祈りの言葉をもう一度聞きましょう。
「きょう一つに集まって神に心を向けるわたしたちが、すべてにまさる神の愛を悟ることができますように。」
神様にならって、憐れみ深い人になる恵みを願いましょう。』

御ミサの後、聖堂では、10月5日(日)に行われる国際デー ミサのための聖歌練習が行われました。



【お知らせ】
来週(9月28日)の主日ミサは、使徒職大会のためお休みです。