2014年9月7日日曜日

年間第23主日 - 洗礼式 -

 金曜日にサッカー日本代表の国際試合が札幌で行われ、札幌ドームは超満員の観客で溢れました。試合結果はさておき、サッカーの面白みはチームプレーです。フィールドでは、100メートル近く離れた仲間の動きを見てポジションを変え、アイコンタクトで一瞬のうちに体制を整え、互いを信頼し其々の役割を臨機応変に、そして全ての選手がアコモデイティブに結びつきます。これはフィールド上だけではなく、ベンチにいる控え選手、ホペイロ(用具係)も、誰一人として不要な動きをする事はありません。
 私たちの北一条教会共同体も同じです。共同体最大のイベントの一つ、先週のかてどらる祭(バザー)では見事に統制が取れ、櫻谷実行委員長の下で全員が自身の役割を誠実に担っていました。当日参加できた人は100人足らずですが、遠く本州から材料を送って下さった人、前日までの準備にだけ参加できた人、終了後の後片付けだけに参加された人、聖堂で感謝の祈りを奉げる人たち、今日の福音にあるように、皆が「心をひとつにして」有機的に結びつきます。北一条教会共同体は旅する神の民として、今日も大切な主日に贖いの神秘を記念して祈りを奉げ、後藤神父様も今日のお説教の中で「共同体の一人ひとりが共に主に結ばれて歩む事が出来るように祈りましょう」とお話しして下さいました。
 今日はミサの中で、幼児洗礼がありました。 まい つばき イザベラ  さんです。ご両親は、独立峰として高さ世界一を誇るキリマンジャロ山のあるタンザニアのご出身です。新しい若い仲間が増えたことに感謝します。



開祭のあいさつで、後藤神父様からご家族の紹介がありました。


神父様から祝福


神父様からプレゼント


後藤神父様と代母さんに囲まれて


おめでとうございました!

今日の後藤神父様のお説教の一部を紹介します。
『今日は幼時の洗礼式があります、北一条教会では幼時の洗礼式が続いているので大変うれしいことです。
 今日のみ言葉を皆さんはどの様に受け止めましたか?罪と言うと、私たちは自分の罪の事を考えますが、今日のみ言葉は兄弟の罪について話しています。今日からの1週間の中で、隣人の罪、周囲の人の罪とは何かを黙想して下さい。
 皆さんは、主の祈りの「わたしたちの罪をおゆるし下さい。わたしたちも人をゆるします」について、どこまで心にとめて祈っていますか? オウム返しの様に心を伴わずに繰り返していませんか?一つひとつの言葉を大切にし、心をこめて祈ることで神の前で謙遜になれるのです。それが、神の民である共同体としてのキリスト者の生き方です。一人の兄弟も失うことなく共同体を作り上げることです。私たちの愛は自分の為だけではなく、神の愛に深く連なってその愛を受け入れることが大切です。
 イエスと共に過ごす弟子たちに欠けていたこと、それは自分を低くすることです。弟子たちは、以前は家族を養い、厳しい労働に生きていました。決して若くはなく、自分の考え、生き方が確立している年令です。弟子たちにとって、神の国の話を聞き、愛について学ぶなか、謙遜し、自分を低くして神の愛に生きることは容易いことではありませんでした。イエスは、自分を低くすることが大切であるということを、神の愛の教えを通して語られました。自分を低くすること、謙遜な心を持つことは、私たちの信仰生活の中でも大切な要素です。
 神に頼ることなく、自分の力で生きようとする、信仰があると言いながら愛に欠ける言葉、心ない考えで罪を犯す私たち、隣人もまた罪をおかすという関係の中で、私たちは今日と言う日を生きています。キリスト者共同体は心を向けて赦すことが大切です。共同体の中から一人も欠けることが無い様に神の国に招かれる、それがイエス・キリストの使命です。キリストの救いは一人ひとりの救いであり、共同体の救いです。
 共同体と救いの関係は今日のみ言葉の後半「あなた方が地上でつなぐことは、天上でもつながれる」にあります。共同体には離れて行く兄弟、帰って来る兄弟がいますが、一人ひとりを温かく見守り、ゆるし、向かい入れる寛大な心で祈り続けることが大切です。人間的な弱さで、共同体から離れて行く兄弟がいると言う現実を見つめながら、私たちの愛を育んでいくとこが求められています。隣人を愛のうちにとどめ、隣人を助けることに力をたくす、そして一人ひとりが自分の罪だけでなく、罪を犯した兄弟にも心を配り、共に主に結ばれて歩むことが出来るように祈りたいと思います。キリストの名によって、私たちの信仰に生かされ、私たちの愛と忠実さを表すことが出来るように。』