2014年9月15日月曜日

十字架称賛の祝日

今日は十字架称賛の祝日です。私たちの信仰はいつも十字架を崇め大切にしているでしょうか?

明日の敬老の日を祝い、御ミサの中で後藤神父様から祝福がありました。



後藤神父様のお説教をご紹介します。

『十字架称賛の祝日の由来について、少しお話したいと思います。
その由来はエルサレムから始まります。
西方教会、特にヨーロッパでは、十字架の前に跪いて接吻する崇敬が一般的でした。
現代の教会の典礼では、今日の第2朗読のフィリピの教会への手紙の中でも話されているように、キリストが架かったとする十字架を崇め、讃え、それを祝う日となりました。
そして今日では、西方の教会においても、東方の教会においても、祝日として大切にされています。
この背景には、歴史的な出来事があります。伝承ではこんな話も伝えられています。西暦326年、当時のローマ皇帝であったコンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナは、キリストが十字架につけられた丘として崇められてきた場所で、イエスの本物の十字架を発見したという伝承が残されています。そして、その場所に教会が建てられることになりました。聖ヘレナは皇帝の母でもあったので、荘厳な教会を建てることもそう難しいことではなかったと想像できます。十字架は教会の中央に置かれました。その教会は、私たちも訪れることもできる聖墳墓教会です。
教会が建てられて、9月13日に献堂式が行われました。そして、その翌日である14日に十字架が奉献され、その時から毎年その日が十字架称賛の日として祝われてきたということが伝えられています。
信仰の歴史をみると過去の人間の戦争において、この聖なる十字架を巡って、いろいろな出来事が起こっています。ペルシャ戦争では略奪品としてこの聖十字架が持ち出されました。熱心なキリスト教信者は、その十字架を奪い返さんがためにまた戦いをしていきます。聖なる十字架が取り戻されると信徒は大きな喜びで、なお熱心に十字架を称賛することになります。そのような歴史をみていくと、自分達の手元にあると、時間が経って習慣的になってしまうと、熱心な信仰もまた見失ってしまうという状況が起こっていきます。
私たち一人一人の信仰も、同じようなものではないでしょうか。

十字架は、私たちにとっても信仰の象徴でもありますが、古来は罪人を処刑する残虐な道具に過ぎず、呪いの象徴でもありました。ところが、キリストの十字架の死から始まったこのキリスト教世界が拡がるにつれて、こうした考えとは逆なものになっていきました。十字架は信仰の象徴となり、神聖化され、人類に救いをもたらす、祝福の印ともなりました。今日のみ言葉の随所に、救いと言う言葉が多く使われています。十字架は神の御一人子によって、私たちの救いのため、かけがえのないものとして、今のキリスト教世界ではシンボルとして欠かせないものとなっています。キリスト教が公認された4世紀以降は、この十字架の発見もあって、勝利の印というイメージもさらに強くなりました。
死というものは私たちの人生において、マイナスのイメージですが、その死はキリストの復活によって、死からの勝利という意味合いも考えられるようになったからです。
そして、十字架は、教会の装飾に多く取り入れられるようになり、教会の建築も十字架の形をイメージして建てられるようになり、またキリスト教国においては、国旗や紋章などにも使われるようになっていきました。
今日では、十字架は私たち教会にとって、信仰において欠かす事のできない、私たちに救いをもたらすシンボルそのものとなっています。
十字架を前に、私たちは、「主よ、私はあなたを愛しています。私を憐れんでください」と祈りを捧げたり、感謝の心で十字架を見つめたりします。
しかし、私たちの信仰は、いつも十字架を崇め大切にしているのでしょうか?
様々な価値観、私たちの心を乱す様々なものが溢れる今の時代、他のものに心を奪われ、信仰の集中力を見失い、十字架が心の隅に追いやられるということもあるのではないでしょうか?
でも、時に、悲劇的な災害や出来事を見たり、喜びや感動を感じると、また再び、私たちは主よ主よと十字架を見つめながら祈ります。
賛美をしたり、十字架を心の隅に追いやったりと、行ったり来たりする信仰が、私たちの信仰になってしまっているのかもしれません。
私たちの信仰において、いつでもどんな時でも、最善を尽くして、十字架を仰ぎ見て賛美を捧げる事のできる信仰に成長していきたいと思います。
そして私自身、今日もまた、自分の十字架を背負う覚悟は出来ているか、そんなことを囁かれているような思いをしています。
「自分の十字架を背負って、私に従いなさい」イエスの言葉はいつも心に響いているのではないでしょうか。

さて、明日は敬老の日となっています。
長寿を祝い、先輩の信徒の人々のために、祈りを捧げる日でもあります。
皆さんはご存知でしたでしょうか?この教会の名簿で75歳以上の信徒の数は、143名にのぼります。その中には、元気に教会に来られている方、またご病気で教会に来たくても来られない方も少なくないと思います。
75歳を超えた方々を考えますと、きっとその信徒の方々が、守護の天使に護られたこの教会の礎を作ってくださった方々ではないでしょうか。
私たちがこの教会に来て、主の祭壇を囲んで祈ることが出来るのは、そうした年代を生きた信徒の先輩の皆さんによって、この教会が建てられて、私たちに引き継がれたことによるものです。
今日は、十字架称賛の心を取り戻すと共に、私たちを支え祈り続けておられる大先輩の信徒の方々のためにも、感謝を捧げ祈りたいと思います。』