2014年12月7日日曜日

待降節第2主日

待降節第2主日を迎え、アドベントクランツのローソク2本に火が点されました。

今日の御言葉は、マルコ福音書の冒頭部です。
イザヤ預言書に記されたとおり、救い主が訪れる準備として、主の道を整えその道筋をまっすぐにするために洗礼者ヨハネが遣わされます。

 先週は2件のご葬儀がありました。ヨゼフ西村五男さんは1922年生まれの古くからの信者さんで、常に教会を、特に聖歌隊を物心ともに支えて下さっていました、ヨゼフ荒木関孝神父様は1923年のお生まれで、1978年から10年間北一条教会主任司祭として私たちを直接ご指導下さり、教区においては一粒会の基礎を築かれました。待降節に入り私たちは罪を振り返り、ゆるしの秘跡を受け、降誕祭の準備を続けていますが、こうして自分を見つめる事が出来るのは、多く神父様方、先達のお陰であり感謝の気持ちでいっぱいです。
 また、今日は子どもたちの待者デビューがありました。今年初聖体を受けた子、初聖体の準備をしている子、小さな子どもたちが大人の待者に加わって奉仕をして下さいました。新しい息吹です、荒木関神父様、西村先輩の蒔いた種が小さな芽を出しました。
悔い改め、昇る朝日を待つように、穏やかな気持ちで主のご降誕を待ち望みたいと思います。

神父様のお説教の概要です。
『救いの時が近づくことによってイザヤの預言が引用され、ヨハネは悔い改めの洗礼を述べ伝え、救いの訪れの準備を人々に呼びかけます。救いの訪れを待ち望んでいた地上に、聖者ヨハネの出番が巡っり来て「道を整えよ」と叫ばれます。整えるとは悔い改め、回心すること、旧約の終わりを告げる意味があります。これは私たちの待降節の精神で、典礼の色は、救いの訪れを、悔い改め回心して待つ季節を表す紫に変わります。
待降節では私たちの信仰を振り返る機会を与えられています。神の不在を語る人が増えた現代社会、私たちの生活も色々な意味で多様化し、異なった価値観にさらされ、社会の中には至る所に荒れ野があります。私たちの信仰は主の道に繋がっていますか?私たちが歩んでいる道はまっすぐになっていますか?もし、まがっていたらどの様に直すことが出来ますか?
人間関係を直して、でこぼこ道は平らにしなくてはなりません。内にあっても、外にあっても平和な生活を目指す信仰者として、悔い改め、回心して、私たちの汚れた心を清めることで神のみ心に生きる事が出来ます。
私たちは洗礼によって過去の罪が赦され新しい命を与えられて歩んでいます。その命、道を、しっかり見つめながら主のご降誕を迎えましょう。
また、今日は宣教地司祭育成の日です。12月3日はフランシス・コザベリオの祝日でした。日本の教会はザベリオを始めとする、多くの外国人宣教師、修道会によって土台を作られています。今日の献金は、宣教地に派遣される司祭の養成のために集められ、日本の司教団を通してローマに送られ、そして全世界から集まった献金と合わせて宣教地に分配されます。日本は未だ布教国、宣教地とされているので、ローマから司教養成の献金が分配されますが、他の宣教地と比較し豊かな国になっている日本は献金を断っても良いのかもしれません。皆さんは今日の献金の目的、日本の宣教の歴史、日本の現況、を理解して祈りを込めて献金をして下さい。』



今日の主日ミサでは、3人の子供たちが侍者としてデビューしました。
ちあきちゃん、かれんちゃん、麻理香ちゃんの3人です。
3人とも緊張気味でしたが、りっぱに侍者のお仕事をつとめました。

奉納


献金


これからもよろしくお願いします!


御ミサのあと聖堂で、日本カトリック司教協議会から発効された「日本におけるミサ中の聖体拝領の方法に関する指針」について、後藤神父様の講話がありました。
ミサに与かる態度や心構え、聖体を授かるときの所作について、30分ほどお話がありました。