2015年10月4日日曜日

年間第27主日

先日の台風並みの低気圧が過ぎ去り、すっかり秋の訪れを感じる主日となりました。

今日の典礼のテーマは、「婚姻」と「家庭」。
御ミサのあと、地区集会が行われ、今日のテーマを中心に分かち合いをしました。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」
今日のミサの後の月例会で、来年の献堂100周年記念事業について、そして、今年の教区100周年の教会対応についての話がありました。教会聖堂は100年前から同じ場所に同じ姿で建っています。2度の大戦の間も、多くの札幌市民にその姿を見せ、様々な感慨を与えて来ました。櫻谷委員長は献堂100周年に当たり私たちに、信仰を更に強めると同時に共同体の新しい在り方を問いかけられました。教区100年の取組みと併せて、私たち一人ひとりが出来る事、変えなくてはならない事を考え実行する事の大切さが伝わってきました。

<後藤神父様のミサ説教概要です>
ロザリオの月を迎え今年もあと3ヶ月になり月日の流れを感じます。
今日の福音は、エルサレムを目指すイエスと弟子たちの前で起きた出来事です。イエスに対立する人たちの力が強くなり、ファリサイ派の祭司たちはイエスが律法に反する話をされる事を期待し論争に持ち込むつもりでいました。しかしイエスは、モーセの律法、申命記では、離縁も認めていた訳ではないことを話し、「神が結びつけたものを人が離してはならない」という結婚の基本的な姿に立ち返って考える事でその神秘を伝えました。
聖書の中でも、愛を誓って結婚しても生涯を共にする事の難しさが語られます。聖書の時代は、夫に有利な社会ですが、神の定めによる結婚では、たとえ離縁状があっても夫婦の絆を解消する事は出来ず結婚関係は続く、と話されます。
天地創造以来、神によって創られた人間は男女の親密な関係において結婚し夫婦となり、互いに協力して家庭を築きます。男女が愛し合って結婚に至ることはごく普通の事と思われますが、時にその愛が上手くいかない時があります、しかし、私たちは、愛に生きる事の素晴らしさを実感しているはずです、その様な時、信仰者である私たちは、今一度、愛の理想を示された十字架のイエスを見つめます。
身勝手な欲望の為に罪に汚れた私達でさえも赦し、ご自分の命を奉げ、愛を持って死を受け入れ、神に背く人間の為にご自分を与えられたのが、愛を証ししたイエスです。イエスこそ、愛の理想を私たちに示された方です。
男女の愛、夫婦の愛もまた、そのイエスの愛に触れなければその交わりを保つことは難しいのです。愛する人の為に十字架に命を奉げたイエスの愛を見つめる事によって私たちは励まされます。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし教会の結婚講座では「夫婦は人格として別個な存在ではなく、相互に協力し合って一つに結合される」と言う事を私は強調してお話しします。
現代の世界では多様化した社会の中で個人を大事にする時代になり、愛の誓いは、その時だけのものになっている事がありますが、夫婦が夫婦として生きて行くために大切なことは、もっと素直に純粋に自分の心を見つめることです。
私たち人間は弱さを持ち、欲望のままに流され易いですが、人間の様々な欲望が困難にめげず、その交わりを神の恵みのうちし、世界中にある夫婦が心を一つにし、神に祝福された人生、愛の道を歩むことが出来る様に、皆さんと一緒に祈りたいと思います。