2017年6月27日火曜日

6月25日 年間第12主日

日々の生活の中でも、私たちは様々な”恐れ”を感じているのではないでしょうか?
イエスは「恐れるな」と私たちに寄り添ってくださっています。

6月24日(土曜日)に聖堂で行われた平中弓弦さんのオルガンリサイタルには、250名というたくさんの皆様にご来場いただきました。
ありがとうございました。


この日の後藤神父様のお説教をご紹介します。
『暦の上では先週の21日、夏至を迎えています。夏至を迎えると日が少しずつ短くなることを考えます。6月もまもなく終わりますが、この週末からは7月を迎えることになります。本格的な夏が北海道にもきたということだと思いますが、半年を過ぎるなんだと思いを深めています。夏が近づくなかで教会の庭にそびえ立っているケヤキ(欅)の木を眺めていると、木々にわたる風も夏だろうと感じています。欅の葉がしっかりとした緑の葉に変わり、濃い緑色に変わっているのも感じます。自然の力、そうしたものがたくましく感じられる、、羨ましくも感じるケヤキの木です。
 それは何故かと言うと、今日のみ言葉から少し思いおこしてみたいです。テレビや新聞の情報から目を放せない状況を送っているのは私だけでしょうか。きっと皆さんの中に毎日そうした情報、ニュースを聞きながら一喜一憂しているのではないかと思います。そこには様々な事件や事故のニュースが伝えられてきます。ミサの祈りでは永遠の命に招くイエスに導かれるように祈りを捧げます。そして。イエスの教えを思いおこしながらその教えを生きようとしています。にもかかわらず、時には平和からほど遠い現実を思いしらされます。今朝のニュースだったと思いますが、中国の四川省で土砂崩れがあって120名ほどの行方不明者が出て、すでに数名の方が救出されたようですが、そういったニュースを今朝見ています。夏が来るとそういった大雨の被害が今年もあるだろうかと、心が留まっていきます。平和からはなかなか遠い私たちの世界ですが、私自身平和を思いおこしながらミサの中で祈りを捧げていますが、自分の小さな過ちを繰り返してしまう、そんな日々を見つめてしまいます。

 今日、皆さんは主日のミサに来られ聖堂に入り、どんな祈り、意向を捧げようとしていますか。皆さんは日常のニュースを聞きながらどんなことに心を向ける毎日でしょうか。今日のみ言葉。「恐れてはならない」「恐れるな」「恐れなさい」と3度、イエスは繰り返し弟子たちに命令します。「恐れてはならない」「恐れるな」「恐れなさい」このみ言葉はイエスが弟子たちに世の中に宣教するために派遣するときの言葉です。私は自分自身が様々な情報に触れて、時に共感して笑みを浮かべ喜び、また悲惨なニュースに胸を痛み悲しんだりしています。
 「恐れるな」という今日のみ言葉をかみしめているうちに、皆さんもきっとご存知だと思いますが、若くして癌で亡くなられた小林麻央さん。そのニュースを皆さんも心に留めていたと思います。若くして癌の告知を受け、乳癌という病に立ち向かって闘病生活を前向きに生きた小林麻央さんのことが報道されていました。報道では力強く人生を歩んだ女性でありたいという思いから、また子ども達にとって強い母でありたいという思いもあったそうです。さらに、
病気の陰に隠れている自分とお別れしたいという決意もあって、この小林さんは幼い二人の子供を案じながら、家族への愛と日々の病状を素直にブログに発表して、同じ病いに苦しむ人たちに大きな勇気を与えていたというニュースでした。重い病気を考えると内にこもりがちな私たちです。でも、この小林さんは悲惨な病気をかかえ痛みに苦しみながらも、明日への希望を見失ないそうな状況にあったとしても、勇気を振り絞って最後まで生き抜いた、そうした姿もニュースで伝えられています。病いの苦しみの中で最後まで愛を見失うことなく、 生きた人として称賛の声が集まっているということです。若くして乳癌という、そして全身にそれが 広がってしまったという状況の中で、二人の幼い子供のことを思いながら、本当に前向きに その病いと戦い続けたというニュースに本当に心が痛みました。どこからそのような力が与えられたのでしょうか。愛があった、そんな思いでそのニュースを受けとめていました。「恐れてはならない」そういう言葉も当てはまる、この病気で戦った小林さんの最後の生き様に接しました。

  今日のこの「恐れてはならない」というみ言葉を黙想していると、もうひとつ私は教皇フランシスコの姿にも及んできました。先週、実話に基づくというフランシスコも映画を観てきました。タイトルは「ローマ法王になる日まで」でした。日頃、私はカトリック新聞をみながら、そして様々に伝えられる教皇様のメッセージを読みながら、これまでの教皇も素晴らしい教皇様でしたが、フランシスコ教皇は本当に貧しい人に思いを寄せて、メッセージを発し続けている。正義のために果敢に立ち向かっていく、そうしたメッセージがいつも強く感じられていました。弱い人たちへの慈しみと愛の言葉が常に溢れているメッセージにいつも驚いていました。その理由は今回映画を観て実感されました。けっして教皇になったからそうされているのではなくて、フランシスコ教皇は若き日から愛と希望への情熱が、今の教皇様にも続いていることなんだということが、映画を観て実感出来ました。教皇様は1960年から70年代、アルゼンチンの軍事政権による圧政の時代、弾圧に負けることなく、苦しむ人たちに協力を惜しみなく捧げて生きておられた。若い司祭で責任ある立場におかれて、そういった弾圧と戦い続けたということが映画でも描かれていました。そうした教皇様の生き様が、今日の教皇様の姿とまったく変わりなく重なっているんだということを確認しました。また、映画の中では悩み苦しむ日々、若き日の教皇様も多くの悩みを抱えながら、社会の人の平和のために、救いのために活動していましたけれども、映画の中では結び目を解くマリア様のシーンがありました。とても印象的でした。ひとつの信心業がそこに見られましたが、無力さ、涙、苦しみからの解放を望む庵としてその信心業は今日、広がりを見せていることにもあるようです。結び目を解く聖母マリア様は、うまくいかない人間関係や心の中のモヤモヤなど、もつれた問題を解きほぐす願いを聞き入れてくださる信心業のようになっています。私たちも心の中にたくさんの結び目をもっているのではないでしょうか。様々な困難、様々な苦しみ、そうしたものが私たちの心の中に結び目として存在していると思います。そうした苦しみや悩みや無力感が、自分ではなかなか解きほぐせないその結び目を、マリア様への祈りをとおして解いてもらう。そういう祈りが映画の中でも紹介されていました。

 教皇様の祈りやメッセージからも、すでに恐れることなく信頼して祈ることの中に、神の力が及んで来るんだという姿勢と信仰を私たちは見つめます。私たちは特に病気をしなくても健康であったとしても恐れがないわけではありません。恐れはいろいろな形で心の中に芽生えています。皆さんの心の中にはどんな恐れが今あるのでしょうか。恥ずかしさも、人からさげすませることも、笑われることも時には私たちの心の中に恐れをよび起こしていきます。また、反対されたり無視されたりしても感情的に恐れが心の中に生じてきます。おどおどして積極的に人と関わることが困難な状況をつくってしまいます。
 今日のイエスの言葉は人に対して、神様に対しても恐れを指摘しています。そして、今日のみ言葉は、その恐れは弟子たちに対する迫害や困難を予想して話されているみ言葉です。でも今、私たちの信仰の中で、自分の心の中を見つめるとき、恐れを抱くという感情の難しい問題にも直面するのではないでしょうか。私たちのその恐れを解いてくださるように、私たちも祈らなければならないと思います。努力しながら、お互いのことを受け入れ、理解しあい赦し合っていくことが、まず何よりも大切だということを、今日のみ言葉は私たちに伝えているようです。
 「恐れるな」イエスは私たちにも語りかけます。神のたくましさ、力強さ、そして神の慈しみの中にある自分たちを思いなさい、考えて見なさい、そう言われているような気がします。
そして、神の愛に守られていること、固い信仰に固められていく自分をもっと感じたいと願います。今日の福音、み言葉の後半に告げられている言葉があります。「私も天の父の前でその人を私の仲間であると言い表す。」雀よりも大切にと、愛を注いでくださる神の愛に応えたいと思います。そして、互いに愛し合う共同体になるためにも、恐れを信頼に変えて歩むことが出来るように聖霊の導きと照らしを祈り求めたいと思います。

【結び目を解く聖母マリアの祈り】

聖母マリア 神の臨在に満ちた方
あなたはご生涯を通じて、まったく謙遜に御父のみ旨を受け入れ 悪魔さえもあなたを罠や誘惑に陥れることはできませんでした。
あなたはすでに息子イエスと結ばれ、私たちのすべてのもつれを 解いてくださり、単純かつ忍耐強く私たちの人生に絡み合った結 び目をどのように解くのかを身をもって示してくださいました。
あなたはいつも私たちの母として、主イエスと私たちを結ぶ絆を 示してくださいます。

聖母マリア 神の母 私たちの母
私たちの人生のもつれ、結び目を母の心で解いてくださるあなた のみ手に委ねます。私たちを苦しみや不安から解放してください。
あなたの取り次ぎによって、あなたの模範に倣うことによって 私たちを悪から解き放ち、私たちと神との交わりを妨げる結び目 を解き、不安、過ち、誘惑、すべてのものから解放してください。
あらゆることのうちに主イエスと出会い、主に心をとめ、兄弟姉 妹のうちに、いつもイエスに仕えることができますように。
アーメン』