復活徹夜祭は、「光の祭儀」、「ことばの祭儀」、「洗礼の典礼」、「感謝の典礼」の4部からなり2時間以上にも及ぶ、一年の典礼のうち、最も盛大で、中心的な祭儀です。
第1部 光の祭儀
会衆は聖堂に隣接されたカテドラルホールに集まりました。
最初に、復活されたキリストのシンボルである「ローソクの祝福」が行われました。
後藤神父様によって祝福された火が復活のローソクに燈されました。
蓑島助祭は、復活のローソクを高く掲げ「キリストの光」と唱え、会衆は「神に感謝」と応えます。復活のローソクを先頭に聖堂の中へと進み、会衆の手に持ったローソクにも火が移されます。
ローソクの光がほのかに照らす中、蓑島助祭が「復活賛歌」を歌いました。
第2部 ことばの祭儀
聖書が朗読され、その後「栄光の賛歌」が歌われる中、十字架や御像に掛けられていた紫布が外されました。
第3部 洗礼の典礼
9名の方々が洗礼を受けられました。
水の祝福
洗礼
洗礼の約束の更新
(司祭が祝福された水を会衆にかけました)
第4部 感謝の典礼
いつものミサの流れで行われます。
復活徹夜祭から一夜明けた4月1日午前9時から、「復活の主日」ミサが行われました。
福音朗読とお説教は蓑島助祭でした。
お説教をご紹介します。
『みなさん、主の御復活おめでとうございます。
十字架の苦しみの先には、必ず復活の喜びがある。これはイエス様が身をもって示してくださった過ぎ越しの神秘です。神の愛が、わたしたちを永遠の命に生きる者としてくださいました。この永遠の命とは、洗礼を受けてキリストに従ったときからすでに始まっています。
本日の福音では、マグダラのマリア、そしてペトロとヨハネが登場します。
マグダラのマリアについては諸説あるものの、一般的には彼女は生きるために娼婦をしていたと考えられています。あるとき姦通の現場を取り押さえられたマリアは、石で打ち殺されそうになりますが、イエス様に助けられ、罪の生活をやめる決心をしました。「この方に従っていきたい」。彼女はイエス様に従う人生を歩み始めます。
ー方、ペトロとヨハネは漁師でした。イエス様から「私に従いなさい」と呼ばれたとき、 すぐに漁師の命ともいえる網を捨てます。心の中に満たされないものがあったのでしょうか。彼らもイエス様に従う人生を歩み始めました。
かれらはいずれもイエス様に希望を見出した人達です。
イエス様に希望を見出すこと。それは私達も同じです。ここにいる皆さんは、それぞれキリストの霊に導かれて教会にやってきました。そして洗礼によってキリストと結ばれ、 古い自分から新しい自分へと生まれ変わる恵みを頂きました。神と離れた生活から、神と共に生きる生活へと過ぎ越されたのです。これがわたしたちの出エジプトです。
かつてイスラエルの民は、神によって、エジプトの強制労働から解放され、乳と蜜の流れるカナンに導かれるという経験をしましたが、現代に生きるわたしたちは、イエス・キリストの十字架の死と復活を通して、真の過越しを経験しています。悪いものが良いものに変えられ、苦しみや悲しみは喜びへと変えられていきます。わたしたちは日々、古い自分に死んで新しい自分に復活するという神の招きを受けているのです。
マリア達が見た空っぽの墓、その墓から抜け出した主は、弟子である私たちがやって来るのをガリラヤで待っておられます。ガリラヤはイエス様が宣教を始めたところです。復活されたイエス様は、どんなときも私についてきなさいと招いておられます。墓をみて「主がいない」と恐れる必要はありません。死から復活された主がともにいてくださるので、わたしたちはどんな困難にあっても主と共に立ち上がり、また歩んでいくことができるのです。
「主はまことに復活されました」、この大きな喜びを共に分かち合いましよう。
あらためまして、皆さん、主の御復活、おめでとうございます。』
イースターエッグが奉納されました
後藤神父様がイースターエッグを祝福しました
イースターエッグが皆さんに配られました