2019年6月3日月曜日

主の昇天

「主の被昇天」を様々な視点から考えてみましょう。
この日のお説教のなかで湯澤神父様がお話されています。


この日の湯澤神父様のお説教の大要をご紹介します。


『今日は「主の昇天」ですが、福音記者が十字架とかいろいろ描くのですが、必ずしもひとつの面から描いているわけではないのです。同じ福音記者であったとしても 物事は必ずしも一面だけではない。皆さんも前面から撮った写真だけが皆さんの顔ではない。横から撮ったらすごく美人だとか、あるいは後ろからの方が良い場合もあります。一人の人であったとしてもそれぞれの面を持っているわけです。 

 例えば今日の御昇天にしても、けっして一面から捉えるのではなくて、いろいろな面から語られてくるのです。今日の第一朗読と福音は同じことを描いているわけですが、少し角度が違うのです。福音の方は昇天で終わるかたちで語られていますが、最後には「エルサレムに帰り、絶えず神殿で神をほめたたええていた。」この昇天をとおして教会の生活が描かれてくるのです。使徒言行録では2章で、別なかたちで語られてくるのですが、  第一朗読の使徒言行録は、次に聖霊降臨という出来事を控えて書いてありますので、そういうふたつに分けた書き方をしているのです。 使徒言行録の方は昇天について書いてあるわけですが、当然その後の聖霊降臨を見越して書かれていますから、「エルサレムから離れないよう。」にと言うわけです。

 そして、「聖霊を受けるよう。」にと書かれています。福音書の方はそのことには触れていないですね。ふたつに分けて書く必要を感じていなかったかもしれないですね。使徒言行録を見てみると、昇天の出来事があるわけですが、エルサレムに留まるようにとしています。ルカはエルサレムから新しい教会の動きが始まる。おそらくほかの福音を書いた人もそうだろうと思いますし、少なくとも実際エルサレムから始まると推測されるわけです。ただ、一度ガリラヤより引っ込んだ弟子たちが、どのようにしてエルサレムに集まったかというのは、なかなか議論のあるところです。ただ、ルカはガリラヤから始まってエルサレムに、エルサレムから全世界に行くという図式があるので、エルサレムが前面にでているわけです。このエルサレムからすべてが始まり、すべてが終わる、そういう感じです。

  聖霊降臨前に、その後のことも触れているわけですが、非常に面白いことは天使の言葉ですね。キリストが天に上げられたことは、共観福音書では神の栄光を受ける、あるいは全権能を引き受けるという意味がある。ヨハネと違うのです。ヨハネは元いたところに戻るという意味。例えば、墓のところでマグダラのマリアに現れて、マグダラのマリアはすがりつくのですが、「すがりついてはいけない。まだ、天に上げられていないから。」どうしても来たところに戻らなければならない。 共観福音書はそのようなことはないわけ。神としての権能をすべて受け継いでいく。そういうかたちになるからです。

 その意味で天に昇るわけですが、その後どうなるのか。このキリストが地上でしていたことを、弟子たちが受け継いでいくことになる。そのことが天使の言葉の中で強調されてきます。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。」という言葉ですね。 何気ない言葉ですが、非常に意味のある言葉ですね。平たい言葉で言うと「なぜぼーっとしているのですか。」というこですね。確かに天に上げられたことは素晴らしいことで、それを見上げ礼拝することは良いことなのですが、何か忘れていませんか。その忘れていることは何かと言うと、前のキリストの言葉ですね。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりではなく、ユダヤ、サマリアの全土で、また地の果てまで私の証人となる。」ということです。
 ルカが言ったように、エルサレムから始まって全世界へと広がっていく地理的な広がりを描いているわけで、実際に使徒言行録を見てみると、エルサレムの活動の後、ステファノは殉教する。これを機会に弟子たちはサマリアに移っていく。7人の助祭のフィリポですが、サマリア宣教をするわけですが、それで終わりかと言うとそうではなくて、本当に瞬間移動のように聖霊に導かれて「ガザ」というところに行くわけです。まったく方向が違います。エルサレムから見たサマリアは北ですが、ガザはもっと南の方ですね。そこに連れていかれ、エチオピアの高級官僚に洗礼を授けるわけですね。出来事が続くわけです。 このエチオピアはその当時の地の果てです。エジプトの南で、エチオピアに行ったら地の果て。世界の広さはそんなところですね。西はスペイン、イギリスまで。東はインドくらいまで。だいたいそんな世界が彼らの世界。それよりも東西南北が広がっていない。 ここから見るとエルサレムから始まって、ユダヤ、サマリア、そして地の果てまで。

 このキリストの証人になる宣教が、そういうかたちで広がって行くわけですが、ルカはその当時のイメージを描いていますが、これに時間の軸を加えると四次元になるわけですが、現代に繋がってくるわけです。そのように捉えてみると、「なぜ、ぼーっと立っていのですか。あなたがたは全世界の証人になるのではありませんか。」この天使の言葉は現在の私たちにも向けられている言葉です。四次元のグループ。世の終わりまで福音を伝える使命をキリストの弟子は持っているのです。現在の我々はそれを引き継いで、さらに引き継がせて行く。次の世代に引き継いでいくのです。
 
 この広がりは単なる空間ではなくて、時間の広がりまで持って行くわけです。その意味で見るとこの天使の言葉「なぜ、ぼーっとしているのですか。」もしかしたら、私たちは「ぼーっ」としているかもしれない。何もしないのですね。「何か忘れていませんか。キリストの証人になることを。」
 そういう意味で何気ない天使の言葉ですが、天を見上げて立っているのですか。たしかに神を礼拝することは素晴らしいことですが、それだけではないでしょう。私たちはもしかしたらそれを重視していないかもしれない。もしかしたら忘れているかもしれない。
 私たちに受けられた言葉として受け止めていきたいと思います。』