精霊降臨が近づいているこの日の福音では、最後の晩餐での精霊を約束したイエスのことばが読まれました。
この日の佐藤神父様のお説教の大要をご紹介します。
『今日は復活節第6主日です。 復活の主日から36日目にあたります。 復活節は復活の主日から聖霊降臨の主日までの 50 日間ですから、少しずつ、聖霊降臨が近づいているので、 今日聖霊の約束に関連したところが読まれました。
「父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したこ とをことごとく思い起こさせてくださる。」 これは力強い励ましのようにも思えます。
が、実際本当にイエスを証しすることが自分にはできるだろうかと不安になるところもあります。 弟子たちの間でも、最初、その不安は持っていたようです。 イエスがなくなった後、弟子たちはユダヤ人たちを恐れて、家の戸に鍵をかけていました。 自分たちにも危害が及ばないようにと不安のうちにあったことが見て取れます。 彼らはイエスが生前に話していたことをすっかり忘れていたのです。
「心を騒がせるな。おびえるな。」 「『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところに戻ってくる』と言ったのをあなたがたは開いた。」 今日の福音に書かれています。 その通りにイエスは戻ってきて、おびえていた弟子たちの間に現れ、息を吹きかけて言われたのです。
「聖霊を受けなさい。」 そこから弟子たちは大胆にイエスを証しするようになるのです。
わたしたちは 2000年前の出来事を聖書で知ることができますが、この弟子たちの変化こそが聖霊の働きで あり、 復活したイエスとの出会いの中に始まったものであると理解し信じています。
でも、本当に自分がイエスを証しして生きて行けるのだろうかという不安は、だれもが持っているものだ と思います。 もし自分の力で何とかしようと考えたとして、誰にも相談せずに自分でいろいろ考えたとしても、不安は なくならないと思います。 弟子たちはどうしていたかというと、何か問題が起こったときにはみんなで集まって協議していました。 使徒たちの宣教で読まれましたが、これはエルサレム会議と言われるもので、使徒たちが集まった最初の 公会議と言われています。 これは教会の中で旧約の掟とイエスの教えの中で激しい意見の対立と論争が生じたため開かれたものです。 問題は、ユダヤ人が律法の掟として守ってきたことを、異邦人にも守らせなければならないのかという点 でした。 使徒たちは話し合いの上、次のように決めました。
「聖霊とわたしたちは、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。」 異邦人はイエスを信じるにあたって、割礼を受ける必要はないということです。 ここで注目すべき点は、文書の中にある「聖霊とわたしたちは」という文言です。 聖霊の働きを強調している言葉です。
わたしたちだけで決めたことではない、聖霊の働きの上で決めたことであるという宣言です。 聖霊がキリストを信じる者の中で分裂しかかっていたものを、一つにしてくださったということが分かり ます。
わたしたちも使徒たちのように、様々な問題を自分で抱え込まないで、誰かに話すことで解決の糸口が見 つかるかもしれません。 あるいは大きな気づきが得られるかもしれません。 そのようなときに聖霊は働かれるのではないかと思います。
今日は世界広報の日でもあります。
教皇様は、「ソーシャル・メディアが出会いを促進するものであるが、一方で人々をさらに孤立させるもの でもある」ともおっしゃられております。 ソーシャル・メディアは便利なツールであり使い方によってはより多くの人との出会いの場となりますが、 一方で孤立や分裂が問題となることもあります。
「互いにかかわりあうという人間の本質を、ネット上においても、ネットを通じても確認しなければなり ません」と教皇様は呼びかけておられます。 特に若者の間では、全世界どこにいてもつながることができますので、ネットの世界だけにとどまってい る者もおります。 ワールドユースデーや高校生のエクスポージャーなどで出会った人たちが、それをきっかけにネットでつ ながるのはとてもいいことだと思います。 ですが仮想的なところだけにとどまることがないように、わたしたちは勧め励ましていかなければならな いと思います。 聖霊の働きにより平和と一致を願いながらこのミサを続けてまいりましょう。 』