毎年この日は「よい牧者」がテーマになっています。
併せて「世界召命祈願の日」でもありました。
この日のミサは、佐藤神父様の司式により行われました。
佐藤神父様のお説教の大要をご紹介します。
『ヨハネによる福音の10章は羊と羊飼いのたとえが述べられている個所です。このたとえはヨハネの福音にのみ描かれています。 この10章を3つに分けて毎年読まれています。 今年はC年なので10章の終わりの部分が読まれます。羊と羊飼いの間にある深いつながりを通して、イエスとわたしたちの間にある深いつながりを示しています。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」イエスの声をわたしたちはイエス様の声だとすぐ分かるのだということです。
使徒言行録第9章で、イエスはパウロに呼びかけます。「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか。」 パウロはだれの声なのか、まだ、わかりませんでした。「主よ、あなたはどなたですか」と質問しました。パウロはそのときはまだイエスを信じていませんでしたので、誰の声か聞き分けられなかったのです。「わたしはあなたが迫害しているイエスである」と聞きました。イエスに呼びかけられたパウロは、回心し3日後に洗礼を受け、「イエスこそ神の子である」宣べ伝え始め ました。イエスを信じて洗礼を受けたわたしたちも、イエスの声を聞き分け、イエスの呼びかけに応えていく者となっているはずです。
次にイエスは「わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う」と言います。わたしたちがイエスを知っているだけではなく、イエスもわたしたち全員を知っているのです。知っているというのは知識として知っているだけではなく、会って話したことがあるというくらいの意味で知っているということです。ですから、わたしたちはすでにイエスと出会って話をする間柄なのです。イエスがわたしたちを知っていてくださるのですから、これは大変大きな恵みではないでしょうか。
イエスはわたしたちに永遠の命を与えてくださいました。わたしたちは滅びません。 滅びとは地獄に入ることです。「誰もわたしの手から奪うことはできない」「誰も父の手から奪うことはできない。」イエスに聞き従う人は、誰からも奪われることがないのです。ヨハネの黙示に示された通り、小羊であるキリストの血で洗礼を受けた者は、飢えることも渇くこともなく、神と共にいるようになるのです。
今日、復活節第4主日は世界召命祈願の日と定められています。教皇メッセージの中で、「召命とは、網をもって岸辺にとどまるのではなく、イエスがわたしたちのため、わたしたちの幸せのため、わたしたちのそばにいる人の善のために考えてくださった道を、イエスに従って歩むようにとの招きなのです」と言っています。
人はそれぞれ神から与えられた召命を持っていると思います。イエスの声を聞き、それに従ったパウロが、危険を顧みずに勇気をもって宣教していく姿を、わたしたちは第一朗読で見ました。
わたしたちも神からの招きに応えて歩むことができるよう願いながら、そして司祭・修道者への招きに一人でも多くの人が応えることができるよう願いながら、このミサを続けてまいりましょう。』