年間第11主日(6/13)
松村神父様の 福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ 松村神父】
年間第11主日 福音のメッセージ
日本の農家は畑に畝を作り、種を丁寧に土に納めて肥料や土をかぶせ、水を撒いてその成長を願う。しかしイエスの時代の種まきは土地一面に種を投げ撒き、足で踏みつけて土の中に埋める手法をとっていたとある資料で見たことがある。不均等にまかれたそれぞれの種は競合する種の成長に負けないように自ら水を求めて根を伸ばし、太陽の光を受けるために茎や葉を伸ばし生き延びる。そして収穫の時にその成果が明らかにされる。多くの実を結ぶものが勝者となる。これほど植物の生存意欲はすさまじいほどのものである。クムランで出土した死海文書の中の一詩編にもこの植物の生存競争を題材にして信仰を勝ち取ることが描かれているものがある。それはたぶんマカバイ戦争(マカバイ記を参照)を背景に、信仰者の取る道が描かれたのだろう。
そこに着眼した信仰の視点は、私たちにとって多くの学びとなるだろう。イエスの希望はわたしたちが多くの実を結ぶこと。しかも毒麦ではなく正しい麦として、その実りを証しすること。しっかりと根を張り、しっかりと養分を受け、他者と比較勝負することではなく、自らが太陽に向けて自らを伸ばすことに他ならない。そしてそれを収穫していただくことに私たちも誇りとし、天の御父にとっては喜びとなる。このような人々の集まりこそがイエスが託された教会となり、神の国の礎となる。
今日の福音の強調点は、成長しようと努力する私たちの信仰と、その成果の刈り入れが中心なのだろう。実り多い収穫の数は、世界におけるキリストの平和の実現をあらわし、刈り入れは次に引き継がれる種として、永続的に続く平和の補償を意味していると読み取りたい。そのためにも、自分の世代で完結する信仰のあり方ではなく、次に続くあり方へと変容させていかなければならない。それと同時に伝えることの難しさを実感する。
私たちは次の世代にどのような信仰とキリストの平和を残していけるのだろうか。改めて自己実現ではなく、いつの時代も次に続く道を作らねばならないことと、具体的にどのように何を伝えようかと振り返らされた今日の福音だった。同時に実現に向けた具体的対応に視点を置くことも教会の課題となるだろう。なぜならば種は自ら選り好みできずに撒かれるからである。撒かれる土地そのものを見てイメージを持つことが大切なのだろう。
【聖書朗読箇所】
あなたに望みをおく者の力である神よ、
わたしたちの祈りに耳を傾け、
あなたから離れては何もできないわたしたちを
恵みの力で強めてください。
わたしたちがあなたのことばを守り、
心も行いもみ旨にかなうものとなりますように。
集会祈願より
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第1朗読 エゼキエル書 17章22~24節
主なる神はこう言われる。
わたしは高いレバノン杉の梢を切り取って植え、その柔らかい若枝を折って、
高くそびえる山の上に移し植える。
イスラエルの高い山にそれを移し植えると、それは枝を伸ばし実をつけ、
うっそうとしたレバノン杉となり、あらゆる鳥がそのもとに宿り、翼のあるものはすべてその枝の陰に住むようになる。
そのとき、野のすべての木々は、
主であるわたしが、高い木を低くし、低い木を高くし、また生き生きとした木を枯らし、枯れた木を茂らせることを知るようになる。」
主であるわたしがこれを語り、実行する。
第2朗読 コリントの信徒への手紙二 5章6~10節
それで、わたしたちはいつも心強いのですが、
体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。
目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。
わたしたちは、心強い。
そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。
だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれる者でありたい。
なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、
善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、
報いを受けねばならないからです。
福音朗読 マルコによる福音書 4章26~34節
また、イエスは言われた。
「神の国は次のようなものである。
人が土に種を蒔いて、
夜昼、寝起きしているうちに、種は芽を出して成長するが、
どうしてそうなるのか、その人は知らない。
土はひとりでに実を結ばせるのであり、まず茎、次に穂、そしてその穂には豊かな実ができる。
実が熟すと、早速、鎌を入れる。収穫の時が来たからである。」
更に、イエスは言われた。
「神の国を何にたとえようか。
どのようなたとえで示そうか。
それは、からし種のようなものである。
土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、
蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」
イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。
たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。