ウルバン神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】
キリストの聖体 第10日曜日 2021. 6. 6. ウルバン神父
“取りなさい。これは私の体である”
“都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男の人に出会う。その人について行きなさい。その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。「弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をする私の部屋はどこか」”と。
水をくむのは女の子の仕事でした。男がするわけはない。それはあまり恥ずかしい。二人の弟子はすぐその男の人を見て、静かについて行ってある家に入るのを見た。その家はバルナバの兄弟マリアとその息子ヨハネ・マルコの家でした。これからのことを若いマルコは一生忘れませんでした。若者は玄関から流れ来た声を聞いた:“私達の先生の部屋はどこにあるのか”と。ナザレの先生がここへ、ぼくの家へ? 驚いて、嬉しくて、落ち着かないで夜が来ることを待っていました。
夜になった。玄関に声がした:“シャロム”と。あたたかい男らしい声でした。暗いから、姿を見ることができなかった。二階への階段を登る足音が聞こえただけでした。二階に何があるだろうと思っていた。興奮のうちに事の次第を待っていました。夜遅く上から賛美の歌が聞こえた後、みなはまた階段から降り来て、暗い夜に消えてしまいました。その時、家の子は何をしたでしょうか。ついて行こうと決めて、体にマントを掛けて夜に出た。
ゲッセマネの庭でした。木の下に隠れて、3人の弟子が寝てしまって、イエスが土の上に平伏して、恐れで震え、顔から血と汗が流れるのを見た。裏切る者が兵隊を連れて来てイエスに接吻した時声が聞こえた。“友よ、接吻しながら私を裏切るのか”。その時、弟子達はみなイエスを置き去りにして逃げ去った。“ある若者が素肌に亜麻布一枚をまとって、イエスの後について来ていた。人々が捕らえようとすると、彼は亜麻布を脱ぎ捨て、裸で逃げ去った。”この夜の体験は一生マルコの心に刻み付けられていた。
ペンテコステの日が来て、皆は一つになって母の家で集まっていた時、燃える炎のような舌が現らわれ、マルコの上にも留まった。その時彼が喜びに溢れて、イエスが本当に生きていることを知った。彼も新しい葡萄酒に酔っているように見えた。
その後、油ランプに照らされた部屋で皆が集まった時、若いマルコが声を聴いた。“一同が食事をしている時、イエスはパンを取り、賛美を捧げて、これを裂き、弟子達に与えて仰せになった「取りなさい。これは私の体である」。あの夜、母の家の二階で何があったかが分かりました。感動のうちに彼は命のパンを取って、イエスと共にいた。
このごろ御ミサはなかなかありませんが、それでもイエスが居られ、私たちを待っています。ある日の夕方、一人の女の方が手にバスケットを持って薄暗い聖堂に入って来ました。バスケットの中に泣いている子がいた。若い母が静かに輝いていた聖体ランプに向かって行って、聖櫃の前にバスケットを置いて、しばらくの間聖堂に座って待っていた。次第に赤ん坊は静かになってイエス様の前で寝てしまった。それで女性は寝ていた子のバスケットを取って家へ帰った。ご聖体の中でイエスは私とあなたをも待っています。
【聖書朗読箇所】
恵み豊かな父よ、
御子キリストは、その死を記念するとうとい秘跡を
教会に残してくださいました。
主のからだを受け、救いの力にあずかるわたしたちが、
主の死を告げ知らせることができますように。
集会祈願より
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第1朗読 出エジプト記 24章3~8節
モーセは戻って、主のすべての言葉とすべての法を
民に読み聞かせると、民は皆、声を一つにして答え、
「わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います」と言った。
モーセは主の言葉をすべて書き記し、朝早く起きて、山のふもとに
祭壇を築き、十二の石の柱をイスラエルの十二部族のために建てた。
彼はイスラエルの人々の若者を遣わし、焼き尽くす献げ物を
ささげさせ、更に和解の献げ物として主に雄牛をささげさせた。
モーセは血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を
祭壇に振りかけると、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。
彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」
と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。
「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいて
あなたたちと結ばれた契約の血である。」
第2朗読 ヘブライ人への手紙 9章11~15節
けれども、キリストは、既に実現している恵みの大祭司として
おいでになったのですから、人間の手で造られたのではない、
すなわち、この世のものではない、更に大きく、更に完全な幕屋を通り、
雄山羊と若い雄牛の血によらないで、御自身の血によって、
ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられたのです。
なぜなら、もし、雄山羊と雄牛の血、また雌牛の灰が、
汚(けが)れた者たちに振りかけられて、
彼らを聖なる者とし、その身を清めるならば、
まして、永遠の“霊”によって、御自身をきずのないものとして
神に献(ささ)げられたキリストの血は、わたしたちの良心を
死んだ業(わざ)から清めて、生ける神を礼拝するようにさせないでしょうか。
こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。
それは、最初の契約の下で犯された罪の贖(あがない)いとして、
キリストが死んでくださったので、召された者たちが、
既に約束されている永遠の財産を受け継ぐためにほかなりません。
福音朗読 マルコによる福音書 14章12~16、22~26節
除酵祭の第一日、すなわち過越の小羊を屠(ほふ)る日、
弟子たちがイエスに、「過越の食事をなさるのに、
どこへ行って用意いたしましょうか」と言った。
そこで、イエスは次のように言って、二人の弟子を使いに出された。
「都へ行きなさい。すると、水がめを運んでいる男に出会う。
その人について行きなさい。
その人が入って行く家の主人にはこう言いなさい。
『先生が、「弟子たちと一緒に過越の食事をする
わたしの部屋はどこか」と言っています。』
すると、席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれるから、
そこにわたしたちのために準備をしておきなさい。」
弟子たちは出かけて都に行ってみると、
イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、
賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。
「取りなさい。これはわたしの体である。」
また、杯を取り、感謝の祈りを唱えて、彼らにお渡しになった。
彼らは皆その杯から飲んだ。そして、イエスは言われた。
「これは、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である。
はっきり言っておく。神の国で新たに飲むその日まで、
ぶどうの実から作ったものを飲むことはもう決してあるまい。」
一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。