2021年6月19日土曜日

6月20日 年間第12主日

 湯澤神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。




【福音への一言  湯澤神父】

2021年6月20日 年間第12主日(マルコ、4章33~41節)

✚ Pax et Bonum

兄弟姉妹の皆様

  疲れ切ったイエス様は弟子たちと共に、一日中相手にしていた群衆から、離れます。教えるために使っていたその船で。しかし、激しい風が吹いてきて、船は水浸しになります。弟子の中の漁師たちはこの風がどういうものか知っています。恐怖に囚われた彼らは船の艫の方で寝ているイエス様を起こします。「船が沈みます。私たちがどうなっても構わないのですか。ここまで連れてきたのはあなたです」。これは、危機が迫った時に神の民が神様に叫ぶ、旧約聖書によく出てくる言い回しです。

  このお話は典型的な奇跡物語で、「イエス様は何者なのか」「そのイエス様をあなたは信頼するか」が問われています。しかし、福音書はキリストを知らない人のために書かれた本ではなく、キリストを信頼している信徒に向けて書かれたものです。するとここで問われていることの意味合いが少わかってきます。

  弟子たちと眠っているイエス様が乗っている船は、教会を暗示しています。事実、今日までの教会の歴史を見ると、教会は様々な混乱に翻弄されてきました。存続さえ危ぶまれるほどの危機に見舞われたこともあります。共にいるはずのイエス様が沈黙を守っていることもたびたびです。私たちがどうなってもよいとでも言うのでしょうか。今の私たちが経験しているコロナの現実もその一つかもしれません。イエス様は一緒にいるのに、嵐に翻弄されている私たちはどうなってもよいのでしょうか。なぜ黙っているのでしょうか。

  ではこの出来事は何を言わんとしているのでしょうか。おそらくイエス様は言うでしょう。私はあなた方を、人を漁るために呼んだ。実際イエス様が向かったのは異邦人の国(ゲラサ人の土地)です。異邦人への宣教がどれだけ危険に満ち、困難かマルコの教会の信徒で知らない人はいないでしょう。そこでイエス様は言うのです。「なぜ怖がるのか。また信じないのか」。マタイでは、「信仰の薄い者たち」と叱責しています。あなた方は信じ切れていないというのです。ルカでは、「あなた方の信仰はどこにあるのか」、つまり、信仰はあってもあらぬ方向を向いている。自分たちの身の安全に向いているのかもしれません。マルコでは、弟子たちが自分たちの立場も、目的も、使命も、イエス様が共にいることも分かっていない、と言うのです。

  私たちとどこか似ていませんか。信徒として呼ばれた意味と使命、その意味に生き、その使命を果たすために今このコロナという嵐の中に派遣されている。そして、そのためにイエス様が共にいる。そうしたことがまだわからず、信じ切れていない。そうイエス様は言っています。では、どうしたらいいのでしょうか。それはイエス様を見るほかありません。「今ここにイエス様がいたら、どうしていただろう」。イエス様の在り方を手本にして、イエス様の問いを我がものとして一度振り返ってみましょう。     湯澤民夫


【聖書朗読箇所】


天と地の主である神よ、

  大きな変化を遂げる現代社会にあって、

  教会はいつもあなたの力強いことばに導かれています。

  きょう心を合わせて祈るわたしたちが、あらゆる悪の力を退け、

  ゆるぎない信仰をつちかうことができますように。

   集会祈願より


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第1朗読 ヨブ記 38章1、8~11


主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。


海は二つの扉を押し開いてほとばしり

母の胎から溢れ出た。

わたしは密雲をその着物とし

濃霧をその産着としてまとわせた。


しかし、わたしはそれに限界を定め

二つの扉にかんぬきを付け

「ここまでは来てもよいが越えてはならない。

高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。



第2朗読 コリントの信徒への手紙二 5章14~17節


(皆さん、)キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。

わたしたちはこう考えます。

すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、

すべての人も死んだことになります。


その一人の方はすべての人のために死んでくださった。

その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、

自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。


それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。

肉に従ってキリストを知っていたとしても、

今はもうそのように知ろうとはしません。


だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。

古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。



福音朗読 マルコによる福音書 4章35~41節


その日の夕方になって、

イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。


そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。

ほかの舟も一緒であった。


激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。

しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。

弟子たちはイエスを起こして、

「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。


イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。

すると、風はやみ、すっかり凪になった。


イエスは言われた。

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」

弟子たちは非常に恐れて、

「いったい、この方はどなたなのだろう。

風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。