松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】 待降節第3主日 A年 2022年12月11日 松村神父
待降節第3主日は「喜びの主日」と呼ばれ、本来はバラ色の祭服を身に着けます。しかし祭服がありませんので、せめて4本のローソクで色を示しているところが多いのではないでしょうか。今日は主の到来がいよいよ迫ってきていることを祝う日なのです。
わたしは何でもできる人間ではありません。それなのに「自分でやり遂げなければ」と意気込んでいた時もありました。しかし社会の中では、ある出来事を解決できる特別な力や資格を持った方に頼まなければ乗り越えていけないことがあります。だから信頼できる人を選び、解決に挑みます。今の私は多種多様な働きの中で、それらの人々の力によって助けられながら働いています。
いろいろな働きがある中で、その出来事を吟味し、それにふさわしい人を償還します。その出来事に精通していると思われ、尊敬でき、自信をもって委託できる人を選びます。時には友人にも寄りかかることもあります。そのような人に出会えたとき、知りえた時にはどんなに心の慰め、力強さに触れることでしょう。私にできることは、正しく見て聞いて、それにふさわしい者を選び委ねるということ。実はこのことに気が付かされたのは15年前に大学で働いていた時でした。司祭でありながら中間管理職として大学運営をしていた時に、自分の無能さに気づかされ、周りにいる有能な人たちと出会い、自分一人で頑張らなくてもいいのだと気づかされ、焦る心から安心へと変わっていきました。と同時にその中でも、自分でなければできない事を見出し、自分の役割と居場所が見え、自信と誇りを持った働きへと導かれました。
今日の福音ではヨハネの弟子の役割、洗礼者ヨハネの役割、そしてイエス・キリストの役割それぞれが見えます。洗礼者ヨハネにとってイエス・キリストは正しく見て、正しく聞いた中で信頼と尊敬と信仰を見出し、自ら「つまずかない者」となり、多いなる喜びと強いきずなが作り上げられた方でした。そして自分の役割と生きる場が明確になりました。イエスもその姿に信頼を寄せ、最大の賛辞を送ります。そんな洗礼者ヨハネの役割は天の国においても自ら身を低くするという役割を担うからこそ、「天の国で最も小さな者でも、彼より偉大である」と語られたのではないでしょうか。イエス・キリストは天にあげられ、「父の右の座」すなわち天の王国の力ある支配者となりますが、一方この言葉は、洗礼者ヨハネを低く見ているのではなく、その在り方、自分を低くする者の極み、キリスト者の姿勢を示しているではないでしょうか。
一方「身を低くして伏し拝む」(詩編95:6)相手は、天から引っ張り上げる絶対的な御父と共に、もっとも人類で弱い姿、赤ん坊で親の助けが無ければ生きていけない姿で誕生する方にも向けられます。神が送られたその弱さからの出発点だから、第一朗読のイザヤ書に描かれている通り、神を見えない「目が開き」、神の声を聞こえない「耳が開く」ことにより、絶望的な病を回復し、罪の束縛から解放し、死から新たないのちへ、闇から光へと「主と共に」「主の先導」によって成長の喜びへと導かれます。私たちはその方を待ち望みます。その仲介をしたのは洗礼者ヨハネ。導くのはイエス・キリスト。キリスト者として、感謝と喜び、謙虚な姿を通して、自分自身の信仰の成長へと歩んでいければ幸いです。
私たちのすぐそばにいる助け主であるイエス・キリスト、それを伝える洗礼者ヨハネに信頼の内に身をゆだね、共に私たちだからこそできる一人一人の役割と使命を忍耐の内に忠実に果たし、喜びの内に主の降誕の準備へと向かいたいと思います。
【聖書朗読箇所】
喜びの源である父よ、
御子キリストの誕生を心から待ち望むわたしたちを顧みて下さい。
喜びのうちに降誕祭を迎え、この救いの神秘を祝うことができますように。
聖霊による一致のうちに、あなたとともに神であり、世々とこしえに生き、
治められる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
集会祈願より
第1朗読 イザヤの預言 (イザヤ35章1-6a,10節)
荒れ野よ、荒れ地よ、喜び躍れ
砂漠よ、喜び、花を咲かせよ野ばらの花を一面に咲かせよ。
花を咲かせ大いに喜んで、声をあげよ。
砂漠はレバノンの栄光を与えられカルメルとシャロンの輝きに飾られる。
人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。
弱った手に力を込めよろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。
「雄々しくあれ、恐れるな。
見よ、あなたたちの神を。
敵を打ち、悪に報いる神が来られる。
神は来て、あなたたちを救われる。」
そのとき、見えない人の目が開き聞こえない人の耳が開く。
そのとき歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。
口の利けなかった人が喜び歌う。
荒れ野に水が湧きいで荒れ地に川が流れる。
主に贖われた人々は帰って来る。
とこしえの喜びを先頭に立てて喜び歌いつつシオンに帰り着く。
喜びと楽しみが彼らを迎え嘆きと悲しみは逃げ去る。
第2朗読 使徒ヤコブの手紙(ヤコブ5章7-10節)
兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。
農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。
兄弟たち、裁きを受けないようにするためには、互いに不平を言わぬことです。裁く方が戸口に立っておられます。
兄弟たち、主の名によって語った預言者たちを、辛抱と忍耐の模範としなさい。
福音朗読 マタイによる福音 (マタイ11章2-11節)
(そのとき、)ヨハネは牢の中で、キリストのなさったことを聞いた。
そこで、自分の弟子たちを送って、尋ねさせた。
「来るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか。」
イエスはお答えになった。
「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。
目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、
らい病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、
死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである。」
ヨハネの弟子たちが帰ると、イエスは群衆にヨハネについて話し始められた。
「あなたがたは、何を見に荒れ野へ行ったのか。風にそよぐ葦か。
では、何を見に行ったのか。しなやかな服を着た人か。しなやかな服を着た人なら王宮にいる。
では、何を見に行ったのか。預言者か。そうだ。言っておく。預言者以上の者である。
『見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの前に道を準備させよう』
と書いてあるのは、この人のことだ。
はっきり言っておく。
およそ女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。
しかし、天の国で最も小さな者でも、彼よりは偉大である。