2023年1月15日日曜日

年間第2主日

 松村神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてお送りします。

【福音メッセージ】 年間第2主日 A年 2023年1月15日 松村神父



ある書物を見ると、洗礼者ヨハネは多くの人を洗礼へと招き、ヨルダン川で次々に水に浸し洗礼を授けていた。そのうちの一人がイエスであったと描かれている。そのため、最初からイエスを救い主と認識していたわけではないようだ。しかしヨハネとイエスの間で洗礼前の受け答えが他の人物とも違い、独特な感覚に覆われ、その感覚はイエスを水に浸したところで今日の福音の出来事となった。洗礼者ヨハネの目には鳩の姿を取った聖霊が見え、天が開け御父の声が耳にしっかりと届いた。その時にこの方こそ自分が待ち焦がれていた人であったと確信に変わった。多くの人は自分たちの社会を変えてくれる改革者としての救い主を求めていたが、ヨハネが求めていた救い主はイザヤの預言にある、この世の罪を取り除く者、私たちの罪を担い神にその身を捧げる者。小手先の生活の救いではなく、人間の根本からの救いを成し遂げる主から私たちに送られた「主の僕」であった。だからこそ「悔い改めよ」と語っていたのだ。やっと来てくれたという思いで、自分の役割が完成したヨハネは、誰よりも救いに最初にあずかったものなのでしょう。

 主の奉献の時にもシメオンは同じ思いだったのでしょう。自分の役割を終えて、その働きに終止符が打たれる。やっと「この身を去らせてくださる」とささやく。イエスの十字架の時にも「成し遂げられた」とその息を御父に返し、息を引き取った。そこには完成させられる安堵と喜び、委ねられる嬉しさがあったのではないだろうか。

今日の福音を読んで、自分で何かを成し遂げよう!とか、何かの功績を残そう!という人間の弱さに、改めて向き直された。自分に向いているとどうしても富に執着してしまう。それはかえって多くの確執を生む。不十分であっても、引き継いでいくことの大切さが語られているのではないか。ここ最近葬儀が続いていたが、故人の成し遂げたという想いは不十分だったのではなかったか。でも残された家族がその遺志を継ぐことを誓い、大切にすることで、亡くなられた方は慰められる。誰かが正しい完成に向かって動いてくれるという想いは、主によって完成するのだろう。大切なことは引き継ぐこと、委ねる事。洗礼者ヨハネは無残にも殺害され殉教するが、イエスは洗礼者ヨハネを大切に語り続けた。御父を通して繋がれたものの絆は、永遠に続く。

洗礼者ヨハネはイエスと出会い、気づかされ、使命の完成を確認し、それを後から来たものにゆだねて身を引いていき、語り続けることを通してイエスを守っていった。人生をかける人との出会いは、かけがえのないもので、その人の為に「神の小羊」同様に誰かのために身を捧げていければと思う。自ら身代わりになる覚悟はなかなかできる事ではない。でももし自分が誰かに助けられ、身代わりになっていて今の自分がいるとするなら、感謝の言葉しか出てこない。このような関係が全世界に広がる事こそ、主の平和の完成なのだろうと思う。

洗礼による力は、私たちの想いを凌駕し、すべてを可能としてくださる。だから主イエスに対する信仰を正しく理解したい。愛することとは何か。どれだけイエスが私たちを愛してくれたのかを思う時に、私たちはイエスに近づくことが出来るのだろう。



【聖書朗読箇所】


天地万物を治められる神よ、

  あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、

  世界に平和への道を示してください。

集会祈願より



第1朗読 イザヤの預言 (イザヤ49章3,5-6節)


(主は)わたしに言われた あなたはわたしの僕、イスラエル

あなたによってわたしの輝きは現れる、と。

主の御目にわたしは重んじられている。

わたしの神こそ、わたしの力。今や、主は言われる。

ヤコブを御もとに立ち帰らせ イスラエルを集めるために

母の胎にあったわたしを 御自分の僕として形づくられた主は こう言われる。

わたしはあなたを僕として ヤコブの諸部族を立ち上がらせ

イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。

だがそれにもまして わたしはあなたを国々の光とし

わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする。



第2朗読 使徒パウロのコリントの教会への手紙 (1コリント1章1-3節)


神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、

コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を

呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、

召されて聖なる者とされた人々へ。

イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。



福音朗読 ヨハネによる福音 (ヨハネ1章29-34節)


(そのとき、)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。

わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」

そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」