レイナルド神父様の福音メッセージを聖書朗読箇所と併せてご紹介します。
【福音メッセージ】 四旬節第2主日 A年 2023年3月5日
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マタイ16章24節)
キリストの弟子になるのは決してたやすくありません。背負う十字架が重たすぎる時があり、さらに待ち受ける困難を思うと恐ろしくさえなります。
イエスの姿の変容から得られる教訓は、恐れや疲労、後悔をもたないでイエスに従い、私たちを前に進ませる助けになるということです。3人の弟子たちが最後には気がついたように、やがて全てが良い結果になるという確信があります。それはハッピーエンドになるのを知っている小説を読むようです。主人公がどんな困難にあおうとも、私たちはめげずに読み進んでいきます。その物語が幸せな結末で終わると知っているからです。
最後の晩餐でイエスは私たちに永遠の記念、すなわちご聖体を残されます。それはイエスが実存するという秘跡、それによりイエスの「私は世のおわりまであなた方と共にいる」という約束を果たすためです。何が起ころうと、イエスはいつも私たちと共におられ、とくにご聖体の中にいらっしゃいます。
私たちは3人の弟子たちが山で行ったように信仰の目を開け、大聖グレゴリウス教皇が宣言した「典礼は本来、神のみ前の聖なる行いであり、神父の賞賛に答えるミサ聖贄のとき、天は開き、天使たちの歌声はこの神秘に立ち合い、上にあるもの下にあるもの, 天と地が結びつき、見えるもの、見えないものが一緒になる」。これこそが変容の経験ではないでしょうか?
確かに私たちの感覚は何の変化も感じません。パンは同じパンに見え葡萄酒もそうです。しかしその変化は外観にはなく、そのものの中にあります。パンは未だにパンに見え、葡萄酒も葡萄酒のままに見えます。しかし聖別のとき、それはキリストの体、キリストのおん血となります。私たちのカトリックの神学ではこれを聖変化と呼びます。
聖フランシスコ・サレジオは次のように説明します。「しかしながら祭壇に祝福されたご聖体があるとき、そしてこの存在はもはや想像ではなくまさに現実なのです。そしてこの聖なるものはたとえ私たちがイエスその人を見ることができなくても、実在の救い主がその後ろから見守り見つめるベールであるのです。
ミサはまさに「地上の天国」と言われます。天国とは神と一緒にいる状態のことです。もし私たちがイエスは本当にご聖体のなかにおられると信じるのなら、すなわちミサとは地上の天国を経験することです。私たちがミサに与っているときこの貴重な瞬間をどれだけ深く大切にし感謝しているでしょうか。
イエスはまことにおられ, わたしたちと共にいらっしゃいます。天国は、ここ、ミサ中に始まるのです。
【聖書朗読箇所】
聖なる父よ、
あなたは「愛する子に聞け」とお命じになりました。
みことばによってわたしたちを養ってください。
信仰の目が清められて
あなたの顔を仰ぎ見ることができますように。
集会祈願より
第1朗読 創世記 (創世記12章1-4a節)
(その日、)主はアブラムに言われた。
「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
第2朗読 使徒パウロのテモテへの手紙 (2テモテ1章8b-10節)
(愛する者よ、)神の力に支えられて、
福音のためにわたしと共に苦しみを忍んでください。
神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、
わたしたちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。
この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、
今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。
キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現してくださいました。
福音朗読 マタイによる福音 (マタイ17章1-9節)
(そのとき、)イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。
イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。
見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。
ペトロが口をはさんでイエスに言った。
「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。
すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。
弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。
イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」
彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。