2015年3月11日水曜日

「函館巡礼の旅」アルバム

3月6日(金)~7日(土)に行って来ました「函館巡礼の旅」の写真を追加します。

函館湯の川教会
函館元町教会
トラピスチヌ修道院
函館宮前町教会で行われた佐藤神学生の助祭叙階式と佐久間神学生の朗読奉仕者選任式













































2015年3月8日日曜日

お知らせ

【2015年四旬節 主に捧げる24時間 北一条教会の祈りのリレー】
3月13日(金)6:00~24:00


この時間帯に集まることが出来ない方もおられる事から、
北一条教会独自にこれを補う「祈りのリレー」(3月13日6:00~24:00)を企画しました。
多くの方から祈りの応募を頂きましたが空白時間がありますので、
この時間帯に祈りに参加出来るかたは、
Shiro530@mwc.biglobe.ne.jp (石井)にメールでご連絡ください。




【ゆるしの秘跡と祈りの時間】
3月13日(金)16:00から、カトリック北一条教会で、
教皇様の意向にこたえて「ゆるしの秘跡と祈りの時間」が行われます。

http://www.csd.or.jp/gyoji/2015.03.13yurusinohisekitoinori.pdf


【東日本大震災犠牲者「追悼と復興の祈り」】

3月11日(水)14:00~ カトリック北一条教会で、
東日本大震災犠牲者「追悼と復興の祈り」が行われます。
http://www.csd.or.jp/gyoji/2015.3.11Poster.pdf

四旬節第3主日

四旬節も半ばを迎えました。
教会では復活祭を迎えるために、毎金曜日の夕ミサ前と、隔週で主日ミサの後に十字架の道行きを行っています。また、今日はミサの後「蟻の町のマリア」の視聴会を行いました。



後藤神父様のお説教の概要をご紹介します

『昨日(7日)、函館宮前町教会で行われる助祭叙階式に出席するため、35名で巡礼の旅に行ってきました。行きの道中、バスの車窓の風景は雪も少なくな春の訪れを感じさせるものでした。バスの中では、巡礼の旅らしく聖歌を歌ったり祈りを唱えたりする時間もありました。函館に到着した日(6日)は、トラピスチヌ修道院を訪れました。普段は中にまで入れないのですが、院長さんのはからいにより、人が一人ようやく通れるような狭く長い廊下を通って聖堂に入りました。さらにその奥にあるシスター達が普段集会などに使っている部屋も見せていただきました。修道院の中はどこも清潔で簡素で、そこにいるだけで心が清められるような雰囲気でした。翌朝は、11時からの叙階式へ出発するまでは自由行動でしたので、元町教会の朝ミサに与かりにいった方、朝市に行って買い物する方など、それぞれに旅を楽しんでいたようです。11時からの叙階式では、祭壇前の一番良い席を用意してくださっており、宮前町教会の皆さんのお気遣いに感謝しています。
四旬節という特別な期間に行われた今回の巡礼の旅では、参加者それぞれに感じたものがあったのだと思います。

さて、四旬節も半ばを迎えましたが、今日もまた洗礼志願者のためのお祈りがありますので、皆さんご一緒に志願者のためにお祈りしましょう。
今日の第一朗読(出エジプト20・1-17)では、十戒が読まれました。この十戒の内容は簡単で基本的な教えであるはずなのに、私たち人間はなかなか守ることができません。当たり前のことが、どうしてそんなに難しいのでしょうか?それが人間の弱さなのかもしれません。十戒を守れない私たちは、赦しの秘跡に与かることが必要です。
今日の十戒を省みて、神と私たちの関係をもう一度思い起こして見ることが必要です。
福音朗読(ヨハネ2・13-25)では、イエスが神殿の境内で、いけにえとして捧げる動物を売る商売人たちに対しお怒りになる姿が描かれています。それは、神殿で神に動物のいけにえを捧げるという旧約時代の慣習から、イエスが自らいけにえとなり、新しい時代の教会の到来を告げるものでした。私たちは教会を礼拝する場所として、これからも大切にしていかなくてはなりません。
パウロの言うように、私たちも神に自分を捧げることが出来るよう、この四旬節の意義に思いを巡らせ、一致し祈りましょう。』


函館 巡礼の旅 -助祭叙階式、朗読奉仕者選任式、トラピスチヌ修道院訪問など-

3月6日(金)~7日(土)の2日間、函館巡礼の旅を行いました。
後藤神父様はじめ、北一条教会から20数名、月寒教会、手稲教会、英語ミサからも2名が参加しました。
1日目の6日は、函館に付いた後、トラピスチヌ修道院を訪れ、普段は入る事の出来ない聖堂などを見学させていただきました。

2日目(7日)11時から、函館 宮前町教会で行われた助祭叙階式(佐藤神学生)、朗読奉仕者選任式(佐久間神学生)ミサに与かりました。
宮前町教会の皆さまのご配慮により、一行は祭壇前の一番良い席でミサを与かることができました。ありがとうございました。


【トラピスチヌ修道院訪問】



【助祭叙階式・朗読奉仕者選任式の様子】











2015年3月1日日曜日

四旬節第2主日

福寿草が咲いた!先日、テレビのニュースで例年より数週間早い開花情報が流れていました。北の大地に住む私たちにとって、福寿草の開花は春の到来が近づいた良い知らせです。
祈り、施し、断食、の償いをする四旬節が始まっていますが、私の心の中は、3月7日に助祭叙階を受けられる佐藤神学生の助祭叙階式に何としても参列したいという思いと、日本独自の祝日として承認された3月17日の「日本の信徒発見の聖母」の祝日を迎える喜びで溢れています。長崎は遠く150周年記念ミサに与る事が出来ませんが、札幌の地で、禁教令下で信仰を守り抜いた先達への讃仰と感謝の気持ちを込めて祈りたいと思います。


<勝谷司教様の説教概要>
2月23日から26日まで臨時司教総会があり、最終日に司教団メッセージ「平和を実現する人は幸い~今こそ武力に頼らない平和を」を発表しました。メッセージには、今の政治の流れ、沖縄米軍基地建設の問題、日米安全保障条約、政策に関わる事にまで言及し、強い批判を覚悟で政治的スタンスを打ち出しました。内容は長いので、中央協議会ホームページ、朝日新聞デジタル版などに既に掲載されているので個別に読んで下さい。
私たちはこの世の事柄に具体的に関わることなくして神の救いについて語ることは出来ません。飢えている人を無視して天上の死後の救いについて述べる事は出来ません。私たちは、今ここで打ち立てられている現実、人間の尊厳や、肉体に関わることも含めて、それらが侵されているならば、その人たちに変わって声をあげなければいけません。私たちの心の中では、いつか理想的な平和な世界を完成させると信じていますが、しかしそれは待って何もせずして与えられるものではなく、私たちが世代を積んでこの地上に実現して行くものに召されています。この世のドロドロとした現実の中で求められているものです。今日の福音で、まさにペトロがそこに見たのは、そういった理想郷のような世界でした。しかし現実はそうではありません、現実はイエス様が先取りする形で、この救いの栄光の姿を見せて下さいますが、しかしそこに至るには受難と十字架を通って行かなければなりません。その事を弟子たちにしっかりと教えているわけです。
染色職人は美しい花びらの色を出すためには、花弁ではなくその色を根から抽出します。この世を超えた美しい花びらの色、私たちの救いは、根すなわち現実の中にあります、日常のドロドロとした中で、それを煎じて飲む生き方の中にこそ天上の救い、理想の世界があります。救いは既にこの厳しい現実の中にこそあります、しかし今は完全な姿ではない。それが教会の考え方です。
キリストご自身が十字架にかかって死んだことは、罪のためにもがき苦しむ人類のためで、憐れみのロープを天井から投げる方ではなく、ご自身も地上の泥の中に降りてきて、憐れみによって人類を救いあげようとする、それが神の愛なのです。同じように私たちはこの世にあって、泥の中に飛び込み、自分を泥だらけにし、共に苦しむことによって救いの完成を追及して行くのです。
私たちは現実の生活の中で、どの様な選択をするかが問われています。最初にお話しした司教団メッセージは、今の政治政策に関わる内容になっていますが、「カトリック信者はこれに従わなければならない」という類のものではありません。司教団はこう考えます、それに共感して賛同するか反対するかは信徒の自由です。無条件に従うのではなく、教会の中で自由に議論されるべきもので、どう受け止め、自分の中でどう解釈して自分の生き方とするかは皆さんの自由です。