四旬節も半ばを迎えました。
教会では復活祭を迎えるために、毎金曜日の夕ミサ前と、隔週で主日ミサの後に十字架の道行きを行っています。また、今日はミサの後「蟻の町のマリア」の視聴会を行いました。
後藤神父様のお説教の概要をご紹介します
『昨日(7日)、函館宮前町教会で行われる助祭叙階式に出席するため、35名で巡礼の旅に行ってきました。行きの道中、バスの車窓の風景は雪も少なくな春の訪れを感じさせるものでした。バスの中では、巡礼の旅らしく聖歌を歌ったり祈りを唱えたりする時間もありました。函館に到着した日(6日)は、トラピスチヌ修道院を訪れました。普段は中にまで入れないのですが、院長さんのはからいにより、人が一人ようやく通れるような狭く長い廊下を通って聖堂に入りました。さらにその奥にあるシスター達が普段集会などに使っている部屋も見せていただきました。修道院の中はどこも清潔で簡素で、そこにいるだけで心が清められるような雰囲気でした。翌朝は、11時からの叙階式へ出発するまでは自由行動でしたので、元町教会の朝ミサに与かりにいった方、朝市に行って買い物する方など、それぞれに旅を楽しんでいたようです。11時からの叙階式では、祭壇前の一番良い席を用意してくださっており、宮前町教会の皆さんのお気遣いに感謝しています。
四旬節という特別な期間に行われた今回の巡礼の旅では、参加者それぞれに感じたものがあったのだと思います。
さて、四旬節も半ばを迎えましたが、今日もまた洗礼志願者のためのお祈りがありますので、皆さんご一緒に志願者のためにお祈りしましょう。
今日の第一朗読(出エジプト20・1-17)では、十戒が読まれました。この十戒の内容は簡単で基本的な教えであるはずなのに、私たち人間はなかなか守ることができません。当たり前のことが、どうしてそんなに難しいのでしょうか?それが人間の弱さなのかもしれません。十戒を守れない私たちは、赦しの秘跡に与かることが必要です。
今日の十戒を省みて、神と私たちの関係をもう一度思い起こして見ることが必要です。
福音朗読(ヨハネ2・13-25)では、イエスが神殿の境内で、いけにえとして捧げる動物を売る商売人たちに対しお怒りになる姿が描かれています。それは、神殿で神に動物のいけにえを捧げるという旧約時代の慣習から、イエスが自らいけにえとなり、新しい時代の教会の到来を告げるものでした。私たちは教会を礼拝する場所として、これからも大切にしていかなくてはなりません。
パウロの言うように、私たちも神に自分を捧げることが出来るよう、この四旬節の意義に思いを巡らせ、一致し祈りましょう。』