3月11日(水)午後2時から、カトリック北一条教会で、
東日本大震災犠牲者 「追悼と復興の祈り」のミサが勝谷司教様の主司式により行われ、
約150名が祈りを捧げました。
ミサの後、被災地で演奏活動を続けているアンサンブル奏楽の演奏がありました。
素晴らしかったです。
また、聖堂に隣接するカテドラルホールでは、被災者が作られた昆布などが展示販売されたくさんの人で賑わいました。
勝谷司教様のお説教の内容をご紹介します。
『教皇フランシスコは四旬節のメッセージの中で、何度も無関心ということについて述
べています。非常に懸念されることは無関心のグローバル化という言葉で私たちに警
告を発しておられるわけです。私たちは、今回の大震災の復興支援の中でけっして無
関心ではないと思っているかもしれません。確かに札幌教区は宮古で継続的に支援を
行っています。今後もそれを続けて行く予定です。しかし、後方でそれをサポートし
ている私たちは、いつのまにか無関心ではないが、何か違ったかたちで、マスコミの
言う風化している、このことが私たちの中にあるのではと懸念されています。震災で
亡くなった方は2万人弱、震災関連死は2万人を超えています。今なお、約23万人
の方が避難生活を余儀なくされていると報じられています。しかし、この数字を現実
として受け止めていく時に、私たちはひとつの落とし穴に陥ってしまいます。このよ
うな数字を統計の数字と理解してしまいます。この数字の中にそれぞれの人生、ひと
つひとつの人生にピンとこなくなってしまいます。それに慣れてしまっています。
私は震災の後に、サポートやベースをいろいろ回って歩く機会があって、最近は3回
ほど福島を中心に歩きました。そこで、都度言われていることは「マスコミは本当の
事をきちんと報道していない。」今日もそうですが、4年を経ていろいろな復興がな
されています。多くの悲しみを乗り越えて、希望に満ちて歩んでいこうとする人たち
の姿が写し出されています。
未来に向けて希望をもたらす報道は当然と思いますが、そこに関わっているボラン
ティアやそこに来ている方達の声を聞くと、そのような希望に見い出せない現実、
もっと苦しい絶望的な気持ちにある。先ほども触れたように、自死者を含めて2万人
以上の方が亡くなっている、その重たさに現実に真剣に取り組んでいる報道機関がほ
とんどない、そういった不満が被災者から必ず聞かれます。
被災者の中にも時間を経て行く中で様々な軋轢やいろいろなきしみが生じてきていま
す。最初に私が訪れたところは「いわきサポートセンター」(ベース)ですが、福島
からの最大級の避難者、あるいは津波で家を失った被災者、同じ存在ではないが同じ
地区におられる。その中で、補償問題、原発で被害のあった人たちには手厚い補償、
そうではない人たち、道路一本隔てて向こうに住んでいたかこちらにいたかで、その
補償金額にあまりにも差があるので、その同じ地域の人たちの中で、あるいはその避
難してきている人たちと、いわき市の市民の中で軋轢が起こって大きな問題となって
います。そういう現実を聞かされて来ました。
二度目に訪問したときには、会津若松の教会で自主避難している人たちをサポートし
ている人たちの話しを聞きました。小さい子供を抱えていて本当に福島に住んでいて
良いのか、、福島市はチェノブイリの基準でいうと完全に避難しなければならない、
住んではならない値なのです。しかし、日本政府は安全だ、本当にそれを信じていい
のか。実際に人類が経験したことのない中でどのレベルで安全で危険なのか、後に
なってみないと分からない。やはり不安をもって自主的に避難をしている。そして、
申し訳ないけれど福島の産物は口にできない。しかし、そういう人たちに対する支援
は手薄。そこで、教会の人たちが支援する側についている。
次に、二本松教会で支援を行っているボランティアの人の声を聞きました。そこの人
たちは福島を復興させるために、風評被害の状況の中で、一個一個の農作物を放射能
検査をして絶対安全なものとして出荷している。だから、福島の農家を支援してくだ
さいと言っている。彼らが批判するのは同じ福島県民でありながら、風評被害を助長
させている自主避難者たちがいるということなんです。両方ともカリタス・ジャパン
のボランティアが関わっている。二つのグループに軋轢が現実があると聞かされてき
ました。
そして、この間、行ってきたのは染料の高くていろいろ心配されましたが、司教団た
ちは最高では8マイクロシーベルトの所に行きました。そこでは帰宅が許されている
けれども、家族はまだまだ安心できない。別々に暮らさざるを得ない、実際に帰宅し
ても周りに誰も住んでいない状況で、どのように生活していったら良いのか分からな
い。まったく先の見えない現実の中で一家が離散しているという、切々と訴える被災
者達の話しを聞いてきました、
問題は時が経つにつれ、解決に向かうのではなく、深刻化しているという印象をうけ
ています。このような中で私たちは、希望に満ちた報道にだけ接している、本当の現
実をオブラートに包んだようなかたちで、見させてもらえないところとにある。そし
て、私たちが意図せずして風化という現象をおこしてしまっているのではないか、そ
ういうことを懸念しています。実際、私たちがそこに出かけて行って、そこにいる人
たちと関わり話しを聞くという、宮古のような支援活動を行えば良いのですが、なか
なかできない現実の中で、どうしたらこの現実を伝えられるのかというもどかしさの
中で現実を感じています。少なくても私たちはこの現実をありのまま受け止める現実
の中で、今私たちが出来ることは何であるのか、札幌教区として今続けている支援
を、継続出来るように、どのようなかたちで支援できるのか、皆さんに考えてほしい
と思います。私たちの歩みをとおして、いつも神が導びき守ってくださるように、そ
してよりよい方向に導いてくださるように祈りましょう。』