2015年3月14日土曜日

「ゆるしの秘跡と祈りの時間 ~主にささげる聖時間~」

3月13日(金)午後4時から、北一条教会聖堂で教皇様の意向にこたえて
「「ゆるしの秘跡と祈りの時間~主にささげる聖時間~」が行われ、150名ほどが参加しました。

聖体賛美式、聖体礼拝、そしてゆるしの秘跡の後、
午後6時から、先週叙階されたばかりの佐藤助祭の式長によりミサがおこなわれました。








佐藤助祭のお説教をご紹介します。

『今日は助祭となって初めて式長というものを任されて、非常に緊張しています。そし
て、ミサの中で説教をしなければならないと(笑い)胃が痛くなる思いです。(笑
い)助祭になってちょっと苦しみが…これもお恵みと思います。(笑い)

今日は教皇様の意向によって私たちは、主に捧げる聖時間、聖体賛美式を行い、沈黙
の中で赦しの秘跡を受けるということを行いました。ところで、教皇フランシスコは
教皇メッセージの中で、私たちが神と隣人に対して無関心であることを指摘しておら
れます。昨今、情報技術が発達して誰でも自ら情報を発信できる世の中になりまし
た。その中には、人々の苦しみを伝える報道や衝撃的な映像が氾濫しています。それ
を見た私たちは「自分たちには何も出来ないし、遠いはるか彼方の話しだと感じて、
何もしないでいるほうが良い」と、思うようになっていないでしょうか。そのような
報道や映像にふれるたびに、神はいないのかと考えたりしていないでしょうか。私た
ちは地上の教会と天上の教会の交わりのうちに祈ることが出来ると教皇様はおっ
しゃっておられます。「祈りのうちに結ばれた多くの人々の声は世を動かす力となり
ます。たとえ直接的なものとならなくても、祈りの必要性は忘れてはならない」と教
皇様は言っておられます。そのために、今日、そして、明日の夕方まで、「主に祈り
を捧げる24時間」を教皇様は勧めているのです。そして、私たちが多くの人々との
交わりの中で祈ることを望んでいるのです。聖体礼拝の中で私たちは個人個人黙想
し、沈黙のうちに祈りを捧げ、赦しの秘跡にあずかるということを経験しました。そ
れらは自分一人で祈っていると言うものではありません。自分と神、自分と隣人との
関係の中で黙想し祈っているのです。

 今日の福音の中でイエス様は、もっとも大切な掟をのべられました。神である主を
愛しなさい、そして、隣人を自分のように愛しなさい、という二つです。この二つの
掟はまったく別のような掟ですが、表裏一体のものです。神を愛すると言うことは、
神が創られたすべてのものを愛するということです。ですから。神が創られたものを
憎んで、神を愛することは矛盾することです。逆に神を憎んで、神が創られたものを
愛するということも矛盾することです。ある神学者はこのような矛盾した状態ことを
「地獄」と呼んでいます。地獄とはどこかにある場所のことではなくて、神を愛して
いると言いながら、神が創られたものを憎む状態のことを言うのです。神を拒否しな
がら、神を愛するということも地獄という状態です。

 この四旬節をとおして、私たちはこの世の中の何かを憎んでいないでしょうか、そ
して、私たちはそれらを赦すことができないでしょうか、ということを黙想していく
と良いと思います。私たちもこの律法学者のように、心を尽くし神を愛し、また自分
のように隣人を愛することはどんなものにも勝ると答え、それを行うことが出来るよ
うになれば、神の国は私たちのすぐそばにあると、感じることが出来ると思います。
今日過ごした聖時間、そして、このミサの中で私たちの回心の歩みを、もっと深めて
いくことができるように、神に祈り続けて参りましょう。』


ミサの後、聖堂で24時まで、北一条教会として祈りが続けられ、
朝6時から24時までの「祈りのリレー」が繋がりました。