ミサを司式された勝谷被選司教様のお説教の一部をご紹介します。
福音朗読(17・11-19)では、イエス様が重い皮膚病を患っている人を清くされた話が語れています。
この話には、もう一つの側面があります。イエスに救いを求めにきた皮膚病を患う人は全部で10人でしたが、そのうち、いやされたことに感謝しに戻ってきたのは、異邦人であったサマリヤ人たった1人だけでした。病気に苦しんでいるときには、人種の隔たりを超えて身を寄せ合っていたにも関わらず。
このようなことは実社会で暮らす私たちのまわりでも頻繁に起こっていることです。例えば独裁政権を倒すまでは民衆が一丸となって力を合わせていたにも関わらず、いざ政権を倒した途端に今度は新たな権力争いに走ってしまうという話はよく耳にします。そしてこのことは、実社会での関わりの中にこそ信仰が必要であり、その信仰を伝えていくという私たちキリスト者に課せられた宣教の使命について教えてくれています。
第2バチカン公会議では、それまでの内向きな教会から、実社会の中へと開かれた教会へという方向転換が打ち出されましたが、もう残り僅かとなった「信仰年」にあたって、このことをもう一度改めて見つめ直していく必要があります。
明日の14時から、いよいよ勝谷司教様の叙階式が藤学園で行われます。
ミサのあと、明日の叙階式を控えた勝谷被選司教様に、これまでの感謝の気持ちを込めて花束が贈られました。
また、叙階式出席のため宮古教会(岩手県宮古市)から5名の信徒の皆さんが当教会を訪れ一緒にお祈りを捧げました。
代表して齋藤さんより一言ご挨拶がありました