今から70年前に長崎に原爆が投下された午前11時2分に合わせ、北一条教会の鐘楼で「平和の鐘」が鳴らされ、平和への祈りが捧げられました。
今日の主日ミサでは、当教会を訪れているイエズス会の植栗弥(うえくり わたる)神父様が後藤神父様と一緒に司式されました。
植栗神父様のお説教の一部をご紹介します。
『ここ3週間にわたって、福音朗読では、イエス様のパンのお話が続いています。
パンは、私たちにとって日常的に食するものであって、特別なごちそうという訳ではありません。しかし、考えてみるとすばらしい意味合いを持っていると思います。
イエス様は、この世での生活が終わって、人類に何か残すものがあるかと探された時に、パンになって残れば、人類と共にずっと生き続けることができると、お選びになったのが、ありきたりのパンであったのです。
パンというのは飽きが来ない、いつも食卓に乗るもの、そして食べて体に取り入れられるということに大変深い意味を読み取ることができると思います。
パンは、口の中に入ると、噛み砕かれ、形が無くなってしまいますが、胃や腸に入って吸収され、そして私たちの貴重な栄養となります。
これこそ私たちの普段の暮らしに直結するイエス様のお姿だと思います。』