勝谷司教様のお説教の一部をご紹介します。
『今日の福音朗読にあるファリサイ派の人たちの弟子達に対する批判、
「なぜ、あなたの弟子たちは昔の人の言い伝えに従って歩まず、 汚れた手で食事をするのですか。」
というのは、一見、律法の解釈の論争のようにも言えますが、そうではなく、むしろ根本的な態度の違いが現れています。
ファリサイという言葉は、「分離する」という意味があるそうです。この世の汚れから分離して聖なる生き方をする。彼らにとっての聖なる生き方というのは、先人から伝えられた伝承を好むということです。
ファリサイ派の人が表現した「汚れた手」というのは、いろいろな人との交わりを意味するものですが、イエス様は、倫理的に正しい人、正しくない人も含めた雑多な人たちとの交わりの中で生きるという姿勢を示されました。
イエス様が2000年前にお示しになったこの態度を省みて、カトリック教会そして私たちはどちらの側に立っているのかということが問われます。
世間から自分達を分離して、自分達の聖なる世界に生きようとしているのか、世界との交わりに向かっていこうとしているのか?
今の教皇様はしきりに「出向いていく」という言葉を使われますが、この「出向いていく」というのはまさに、このことを表すものです。
では、私たちは一体どこに出向いて行ったらよいのか?
これは私たち共同体が判断して決めていくことです。
私たちの中には、教会に集う人たちは、倫理的に正しい人たちでなければならないという錯覚のような思い込みがあるかもしれません。
しかし今、シノドスで取り上げられている重要な課題は、離婚・再婚した人たち、いわゆる性的少数者と言われている人たちのことであり、そういう人たちが教会から排除されているという現実があります。教皇様は、そういう人たちも大切であり、彼らは決して破門された人たちではないと言っています。
私たちにも、宗教生活の在り方というものを見直す姿勢を持つことが大切です。』
御ミサの後、今後の司教館敷地の有効活用について、勝谷司教様と諮問委員、司教館事務局による説明会が行われました。
敷地内にある司教館をはじめベネディクトハウス等の建物は老朽化が著しく、早期に対策を講じる必要性があるとのことで、3年前から信徒の金融・建築関係の専門家からなる諮問委員による20回以上に及ぶ議論が重ねられてきたとのことです。
今日の説明会では、基本方針、検討の経過と資金繰りも考慮した具体案について提示され、多くの信徒から質問、意見が出されました。