先週語られた「カナの婚礼」の後、イエスの宣教活動が始まります。今日から読まれるルカ福音書には、多くのイエスの宣教活動が記されています。
全国的に真冬の厳しい寒さが訪れていますが、
札幌は今日、束の間の好天に恵まれた一日でした。
後藤神父様のお説教の一部をご紹介します。
『先週の福音では、イエスが「カナの婚礼」で水をぶどう酒に変えた奇跡が語られました。
聖書を読んでいくと、この奇跡の直後からイエスの宣教活動を物語る話がいろいろと出てきます。今日のルカの福音もその一つです。
今日読まれたルカ福音書の最初の序文は、聖書をどういう理由で書くのかということを私たちにも伝えています。イエスを中心にした活動、福音宣教の一部始終を伝えること、そしてその教えが事実に基づくものであることをルカは伝えたいそう思って、これまで自分が聞いて来た、そしてすでに書物で残されているものをいろいろと調べ上げながら、それを整理して書くということでした。この聖書を書いたルカは、ギリシャ語のよく理解できる教養のある人だと言われています。また医者であったとも伝えられています。さらに、異教徒でもあったルカは、パウロと出会うことによって、改宗者として信仰を得た人です。パウロと一緒にマケドニアやギリシャや小アジアを弟子として宣教旅行へも同伴したということも聖書で語られています。自分が聞いたこと、そして伝えられた事実を確認しながら、キリストの教えや出来事を書いた、それが私たちが手にするルカの福音書であるということです。それ故、他の福音書と比べるとイエスの活動のエピソードも一番多く記していると言われています。私たちが聞くみ言葉はそういう意味で、単なるお話しではなく事実として伝えられているということです。私たちもそれを理解したうえで聖書に触れ、読むということが大切なことです。
イエスの宣教はガリラヤから始まります。ガリラヤは当時のエルサレムから約65キロほど離れている小さな町でした。私たちの身近な場所で例えるなら、札幌から苫小牧までの距離に相当します。カナの婚礼が行われた町は、ガリラヤのナザレとは3キロ程のごく近い距離にあります。恐らくイエスはカナの婚礼が終わった後、歩いてナザレまで帰ったことでしょう。しかし、その帰路の道はぶどう酒を飲んで、ほろ酔い気分で歩まれた道でなかったと思います。イエスの歩むべき道は、父なる神について語り、神の国を告げ知らせ、そして神のみ心を人々に告げ知らせることでした。先週もお話ししましたが、水をぶどう酒に変えたその目的は、神の業を知らせることでした。単に奇跡を行ったということではなく、その奇跡を知らしめることが神の業を伝えるという目的であったわけです。もうすでに貧しい大工の息子としてのイエスではなく、洗礼を受けて聖霊に満たされた歩き始めた救い主イエスであります。そして預言者でもあります。
イザヤの書に書かれていたように、主の霊が私の上におられ、聖霊の力によって今イエスは主の恵みを告げる活発な宣教活動を開始しようとしています。今日のみ言葉は、そのような意味で私たちにとって、「いつくしみの特別聖年」のスタートをもう一度考えさせるような内容になっているようにも私は感じます。
イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けたとありますが、いつもイエスは会堂で聖書を開いて皆に語り、そして教えを宣べられました。少し私は思い起こしますが、かつて教会で勉強会をしていたときに、「イエスが会堂に入って読んだ聖書は新約聖書ですか、旧約聖書ですか」と、まだ教会に入られて間もない人が質問しました。皆さんはその質問がどんな意味を持っているのか分かりましたか?新約聖書はまだその時代にはなかったのでイエスが語ったのは旧約聖書であったわけです。ユダヤ人はその旧約聖書、律法の書を大切にして自分たちの先祖伝来の信仰を守っていたのですが、熱心な人々にとっては私たちも何度も聞いている聖書の言葉「イスラエルよ聞け、主は我々の神、唯一のものである。あなたの神である主を心をつくし魂をつくし全力をつくして愛しなさい。私が今日、命じる言葉がいつまでも心にあるように、それらをあなたの子らに教え込み、家にいるときも道を歩むときも、横たわっているときも、立っているときも、それらを語り伝えよ。そして門も框に書き記せ。」このような旧約聖書の言葉をいつも心に留めながら、いつも触れながらユダヤの人々は自分たちの先祖から伝えられた信仰を大切にし生きていたということでした。
イエスの時代、会堂では信仰宣言のあと聖書朗読を行ったといわれています。ですからイエスが聖書を読む前にはおそらく信仰宣言も行われていたことだと思います。そしてイエスが手に取ったその聖書の箇所がイザヤ書であったとルカも記しています。
イエスは聖書を朗読した後、み言葉が未来への希望としてよりも、今人々の前で見事に実現した、という宣言をしました。今私たちが聞いているその聖書の言葉は、今日実現したと。そのイエスの言葉、宣言に人々は驚いたでしょう。でも人々の心の中には福音の光が差し込む瞬間でもあったでしょう。戸惑う人、驚く人がいてたでしょうが、一方ではこの新しいイエスのみ言葉の宣言に信仰の新しい道が開かれようとしていました。
私たちにとっても常にみ言葉をとおして、イエスは私たちの信仰に迫ってきます。そして私たちに大切なことは、イエスの神秘に少しでも迫っていくということだと思います。私たちもまた真剣勝負で、イエスのみ言葉に接して、イエスに近づいていくことが求められるような気がします。よい教えを私たち一人一人が生きられるように、私たちの周りの人にもすばらしいみ言葉が伝えられるように、それが私たちに求められる福音宣教であると思います。
ルカの書いた福音書には「尊敬するテオフィロさま宛に」と記されました。このテオフィロさまという名前は「神を愛するもの」という意味を持っています。そして書き記そうとしたその内容は、仕える人たち、神に仕える、み言葉に仕える人についてのことを書き記しますと述べられています。それはすなわちイエスが選んだ使徒たち、弟子たちの働きについて私は書き記します、それがルカの福音書になっているということです。そしてあなた方が聞いた聖書の言葉は今日実現したと明言されました。』